ゆるゆるしなやかに♪ ベルマダがいく!

2011年4月からベルギー生活をはじめました。
ベルギーでの生活等々、ゆるゆる綴っていきますね。

仕事も遊びも真剣に。三の丸の夜の部。

2011-03-18 23:01:40 | グランドツアー


いーですね、この名古屋弁なコピー。笑

名古屋駅の串ふじ。いつもな居酒屋でものすごく懐かしい先輩達と飲みましたー
三の丸の夜の部、開催です☆

ほんと、相変わらず。という言葉しか浮かんでこない。笑

なんでこの人たちはこんなにおもしろいんだろー?

私が持っていたTABをみて、「これ、電話なん?」と素朴に聞かれる。
「え・・・・電話っちゃ電話ですねー」
「電話してみてええ?」
って、あのデカイTABで電話をしたがる。笑
そして顔がデカイので、TABが小さく見える・・・笑


「そーいえば、今日これんかったAさんが、君のこと好きやいっとったわ~。
理想のタイプなんやって。だから、写真送ってって言ってたから、
写真撮らせて~」というので、笑顔でかまえたら、
「ちゃうちゃうー、そのコートとファーを山ちゃんに貸してやってや~」
・・・と、私の隣の席の山田さん(47歳独身♂車はポルシェ、白衣好き)に
私のコートとファーを身につけさせ、顔を下に向けて写真撮影~
そしてメールでAさんに送付~
そしてAさんから返事~「ありがとう。感激です~。待受けにします~」笑

って、こんなくだらないことを延々とやり続ける先輩達である~

他にもおなかが痛くなるほどのおもしろいネタがあったんだけど、、、
もう忘れました~笑


思えば、私が会社のイベントで心から真剣に幹事やるのは、
この職場で鍛え上げられた賜物でした。

この先輩達は、仕事はもちろんすごくて、当時の私からみたら、
みんな魔法使いと思えたほどすごかった。

なのに、何かイベントがあると、みんな寝ずに、業務時間も削って(笑)取り組みます。
大道具も小道具もつくり・・・・、なんと漫才までこなす。
集合写真1枚撮影するのにも必ず「ネタ」を挟み、手を抜きません。

そのDNAは確実に私に植え付けられ、その後の職場での飲み会、イベントでは、
私も自ら仕込みをしました(笑)

特に、大阪時代は、月に一度、20人ぐらいの担当の飲み会が月例会の後であり、
毎回違うネタでイベントしてました。
この当時は、もう一人幹事役がいて、二人で「本当に使える飲み会ネタ100」という本を出そうと、
真剣に毎日ネタ帳持って歩いてました。笑
飲み会の案内メールにも手を抜かず、そこからして盛り上げる・・・・
大イベントの忘年会兼クリスマス会では、もちろんカブリモノを用意。
飲み会が終わったら、反省会も実施。
私の当時のアンオフィシャルな肩書きは「幹事蝶」でした(笑)

そーゆーのが、この後の南京玉簾に発展?したり、
ヘビーメタルなスキスキアッコちゃん♪になったり、
最後は、銀座のママになっちゃったりするんですねー笑


仕事も遊びも真剣にやればやるほど面白い。っていうのが、
この三の丸時代に学んだ一番のことでした。

もちろん、UNIXコマンドとブラインドタッチ、C言語等々も
後の会社人生でかなり役に立ちましたが。。。


たまーに、そんなに真剣にやらなくても。。という人がいたりしますが、
ある側面から見ると、こーゆーのって、とっても大切なんだと思う。
精神的な面もそうですが、
一つのことを成功させようと思うと、
ものすごい新しいチャレンジ要素が必要だったり、
それをやり遂げる遂行力や推進力が必要で、さらに、
全体の満足感を得るために、空気を読む力や、基本的な調整能力が求められるので、
いわゆる、仕事や案件をやっていくのに必要な能力要素が高次元レベルで要求されるわけです。


飲み会(イベント)仕切りがヘタなヤツと
オフィスで歩くのが遅いヤツ、こーゆー人は、いわゆる「仕事がデキナイヤツ」なんですよ~
少なくとも私の仕事人生の中で、これは、外れたことがありませんね。
もちろん逆はありますが(苦笑)


そんなこんなな三の丸のみんな。
ちょっぴり大人になってしまったけど、、、
相変わらず私の仕事人生における心のヨリドコロでありました。

名古屋に最後戻ってくるなら、ここがいいのかも。。。とずっと
心の底にあった職場ですね。(誰とも約束してなかったけどー笑)

たぶん、よく考えたら、この職場を最後に、次の職場からは、
「先輩達」と呼べる人たちがほぼ皆無だったからかも。

たぶん、「教えてくれる」人たちがその先ほとんどいなかったからかもしれません。

ってなことをぼんやり考える暇もなく・・・おなかの皮がよじれるぐらいに笑いつかれ、、、
三の丸ナイトは過ぎていきました。

みなさん、面白すぎる時間をありがとうでしたッ!!!













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