チュニジアとリビア国境にダメもとで入った。ビザがないので係官が「ダメ」・・50mでUターン
2015年4月16日木曜 はれ はれ
腕が痛いのがまだ治らない・・例のスピードを落とす「突飛」の度(たび)にギヤ―を
トントントンさげて前後のブレーキをかけてスピードを落として走ってきた。
このくり返し、ここに来るまで約300キロの間使ってきたので右手が特に腕が上がら
ないほど筋肉痛になっている。朝方目が覚めるほどの冷え込み・・二枚目毛布かけた。
きのう頼んでいた縫製屋さんへ。オートバイカバーに布を当ててもらい縫ってもらった
のをとりに行く。しっかりと縫い込んでもらったのでしばらくは大丈夫だろう、100
0円。ありがとうございました。
今度はオートバイシューズ・・の修繕。きのう頼んでいた一般の靴修理屋では「できな
い」と言われていた。きのう見つけていた昔からの靴修理屋さん、ここでは出来そうだ
った。マジックテープはきのう買ってあるので説明してお願いした。
ここのおやじさんは昔堅気の職人らしく・・人のゆうことはあまり聞かないで・・・進
める。心配だが任せるしかない。足首にまく「皮」だから・・少しぐらい曲がっても別に
かまわないが・・寸法も図らずにだいたいの目見当で切っていく。
接着剤をつけて出来上がりは午後になる。シューズ足首に巻きつける皮を縫い付けた
シューズが出来上がった・・だいたいわたしのイメージ通り出来上がっていたので納得。
何十年も皮の切れ端などほったらかしの作業部屋でティを作って飲ませてくれた、オー
甘い・うまい。修理代1300円、ありがとうございました。
郵便局に切手を買いに行く、ホテルのすぐ前にあった。「舌(べろ)」を出して「切手を
張るしぐさ」で分かったようだ。新しい切手ばかり・・あなたの「ベイビー」のころの「昔
の切手は」ないのか・・。年配の女性「ない」あまり気にいった切手はなかった。
仕方ない・・4,5種類4枚づつ買った、1300円。ぱっと思い出していい切手だなー
と思えるのは山奥で買った「ケニア」の動物の切手と「キプロス」の蝶々が載った大き
な切手。
2015年4月17日金曜 はれ はれ
6時過ぎ起きてすぐにきのうの残りブログの作業・・・もたもたしていた9時を過ぎた。
残りのビールを飲んで朝めし兼昼飯。
ホテルの一角にある洋品店の女性たち、ヤーヤーと毎日あいさつしている。その女性たち
とホテルのオーナーたちと雑談。
チャンチャチャチャーン・・結婚式のメロディを口すさみ・・頭に角隠しの人さし指で丸
、ワンイヤー一年目、しおらしく・・ツーイヤ―二年目、スリーイヤー三年目・・
だんだん指をとがらせ10年目「ウーウー」ご主人に向かって行く牛のしぐさをすると・
・みんな大笑い・・。
特にご主人は顔を赤くして「そうだそうだ」腹をかかえて笑っていた・・・この牛のしぐ
さをすると、どこの国でも大笑いされる・・とゆうことはどこの国でも奥さんは強い、同
じ女性の性格(あり方)なんだろうなと思う。
夕方ビールを買いに行く案の定やっぱり金曜日だから閉まっている。帰り際食堂のおやじ
さんと話していた男の人にビールショップは閉まっている「ビール売っているところはな
いか」と聞いてみた。
すると「3,5」とか言って二人はマイカーを出して走りだした。ホテルについた・・ビ
ール6本を頼んでいる。20デナ1300円いつもより2倍の値段。なるほど大きなホテ
ルに行けば手に入るのか。
マイカー代400円渡してホテルに戻る。話してみるもんだなーどこでどうなるのか、ま
さかビールを買えるなんて思いもしてなかったのに買えた。アル中はしょうがないな・・
まぁこれは元気の「もと」なんだから仕方ない。
晩飯はきのう見つけていた焼鳥ならぬ・・フライパンで焼鳥とレバーのくし刺しを油で揚
げたものを買いに行く。日本の焼鳥より小ぶりのくし刺し、味はまずまずだったがマトン
みたいなハンバーグはあまりうまくなかった。
2015年4月18日土曜 はれ はれ
厚手のジャージの洗たくを朝一番すませる。けさはいつもより暖かく感じる。8時には開
けていると前に聞いていたので9時過ぎにビールショップへ・・。
朝のレストランではティを飲む人で混雑している。軽食とは別に食事はどこの店でもそう
だがレストランのスパゲティなどの食事は12時にならなければ出来ないと話す。チュニ
ジアの習慣なのだろうか。
あしたはリビア国境に寄って・・見当もつかない・・岩をくりぬいて造ったようなシュー
ニーニとゆう所に泊る。いったいどうなっているのか、興味と不安が入り混じる。
2015年4月19日日曜 はれ朝18℃ はれ10時20℃ はれ
7時ちょっと前にシンドバッドホテルを出発。きょうはリビア国境に寄って洞窟のあるホ
テルまで走る。地図で見ると海だが・・埋め立てたてて造ったのだろうか、一本道の道路、
途中海水の通り道と思われる橋がひとつ造られていた。小さい町、村みたいなところを走
る。「リビア・リビア」「こっち、こっち」と教えてくれる。
日曜日で町では露店市が開かれてにぎやかだ。道にはみ出している露店のため地元のバス
とトラックがすれ違いが出来ない。露店を移動するまでしばらく待つ。
100キロ走ってきた、途中は地平線が見える広大な土地。にぎやかな街に入ったここか
らあと30キロだ。複雑な街の道路・・バイクに人にリビア方面を誘導してもらう。
国境についたようだ・・トラックがずらりと列をなして停まっている。どこの国境でも見
られる光景。国境に入ってみる。
10mほど進んだところでストップ、国境係官「パスポート」リビア「ノービザ」・・やっぱ
りダメだった。ここから「引き返せ」・・国境では写真を撮ってはダメと知っている。
自分の「オートバイを撮る」と言い訳、見ないふりする係官、一枚だけとって引き返す。
国境の門を出たところで両替屋のお兄さんに記念の写真を撮ってもらう。
別の係官が「写真を撮っちゃダメだ」撮ったものは「消すように」にと忠告「OK」「黒い」
画面を見せて「消した」・・たまたま黒い画面が出てきたのでOKになる。
フイルムの時代は「フイルムごと没収」されそうになったのをモロッコの国境で見たこと
もある。最近はデジタルの扱い方を知っている係官なのでごまかしはきかない。
せっかく来たのだ・・リビア紙幣1300円分両替した。並んでいるトラックは50台以
上・・今日中に通過できるのだろうか。
いつでも食事できるようにトラックの荷台の下にはプロパンガス、水、食糧など「自炊用」
の台所をこしらえているトラックもある。
トルクメニスタン国境ではでゆで卵をごちそうになった。来るときは気付かなかったが3
0キロの街に戻ると両替屋の小屋が両サイドずらりと3,40軒以上並んで建っている。
相当な数の人たちがここを通ると言うことなのだろう。最初の街に戻って・・食事。これ
から洞窟のある場所まで移動・・150キロぐらいか。さびしいところ・・が続く。
タタウィーンの街から20キロ・・洞窟のある遺跡、シューニーニと村。山全体が岩を掘
り上げた住居跡を望める。
駐車場から階段を歩いてホテルまで上がる、いやーまいったなー地元の青年が荷物運びを
手伝ってくれたので助かった。
岩(土)をくりぬいた洞窟の中に部屋があった。昔ながらの扉などそのまま使っている、宿
からは遺跡全貌を見渡せるロケーションはいいところ。
荷を解いてまわりの散策。日曜でさっきまで観光客を見ていたが4時を過ぎると地元の子
供たちだけ。一軒あったレストランも閉まっている。食料店など一軒もない。
宿の食堂は7時にならないと作らないと話す。昼間、食事したチキンの残り、ピーナツ、
ソーセージなどで晩飯にする。
ビール、ワインは持ってきている。8時頃管理人なのかパスポートを確認に来た。シャワ
ーを浴びて9時間に寝る。朝7時から15時まで約300キロ走ってきた。
2015年4月20日月曜 はれ朝15℃ はれ12時20℃
三日間・・22日まで泊ることにしていたが、店も何もないところでは過ごせない。キャ
ンセルして戻ることにした。隣の管理人の人に荷物運びを頼んだ。
オートバイは傾斜のある駐車場・・ゆっくり切り返しているうちにひっくり返ってしまっ
た・・管理人と、ちょう小型トラックが来たので手伝ってもらい起こす。ジャスト7時に
「スース」の街まで出発・・泊ったことのある宿まで走る400キロぐらい。
来る時には喰えなかったヒツジ・ヤギの露天の焼肉を喰った。日本ではあまり習慣はないが
・・日本で魚の頭を切り落とすような感じで・・ヒツジ、ヤギの頭を簡単に落としてしまう。
ヒツジを注文炭火で焼く・・うまかった650円。スースの宿に15時についた・・420
キロ走っている。スーパーでビールを仕入れ、近くのレストんでステーキ&スパゲティ58
0円・・安くてうまいうまい。7時から15時まで・・今日は420キロ走った。