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カンパラ市内はほこりだらけ、排気ガスもひどかった
慣れないと息苦しいほど。ウガンダ
2007年10月7日日曜 くもりはれ 夕方3時夕立
きのうネットをつないでも大丈夫といってくれたネット
屋に行くがセッテングが出来ないばかりか英語も出て
こなかった。近くのネット屋では英語で打てた。久しぶり
に日本へ送信出来て気持ちが落ちつく。
午後3時ごろから歩いて市内繁華街へ。雨は「ふらない」
とホテルのスタッフ、しかしすぐに雨になる。きのうもモ
デルさんは雨は「降らない」と言ったがすぐに雨になる。
この辺じゃ「雨が降る」とは言わないのだろうかな^-。
夕立は2時間近く続いた、ガススタンドで雨宿り、オートバ
イタクシー、自転車タクシー、歩いていた人もガススタンド
の屋根の下に集まって満杯になる。給油するのにきたバ
ス、マイカーは給油出来なくなった。スタンドの人は文句
も言わないようだ。
我が者顔でオートバイを止めて寝入っているオートバイ
タクシーの面々、これがウガンダの人たちの日常のこと
なのだろうか日本じゃ考えられない横柄さでもあった。
給油に来た人は雨がやむのを待つしかないのか。中には
「どけどけ」と文句を言うドライバーもいたが動くどころ
か雨宿り人は逆に文句をたれていた。儀mm工で
それみろ!自分よければすべてよしの結果は雨がやん
でもおさまらない、隙間があれば突っ込み、反対者車線
に入り込み、中には逆送する者ありでテンヤワンヤ。大
型バスはさっきから動けずに30分たってもそのままで
かわいそうだ。
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お世話になったモビルさんの娘さんたち、このほかにも
いっぱいの子供たちがいる
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ウガンダに着いた夜泊めてくれたマック君のアパート、8畳一間で水道、
ガスなどはない、一ヶ月25$=3000円の家賃と話していた。
2007年19月5日金曜 はれ 午後夕立
夕べはぐっすり眠れた。夕べ10時ごろから家族のくつろぎの
踊りと歌なのかなーと思っていたのはキリストのお祈りのだ
った。朝も5時過ぎから太鼓をたたき踊り歌っているのはお祈
のようだ。朝、午後、夜と3回のお祈りするとのことだった。
着いたきのうからなつかしい知ってるメロディーが流れてい
る。隅田川、川の流れのように、上を向いて歩こう、犬のおま
わりさん、カチューシャ、仰げばと尊し、山手線、、まん中通る
中央線、など今日もテープが流れていた。子供のためなの
かそれともわたしのためなのかは聞かなかった。
水道は引いてあるが朝と夕方、電気も朝7時から9時ごろま
でと夕方5時ごろからしか電気はつかない。遅い時は7時過
ぎになりそれまではろうそくで明かりを取っていた。電気が
つくと「ワッツ」と食堂では歓声が上がっていた。ビールも
「ノーパワー」と冷えてない時が多い。
2007年10月6日土曜 はれ 夕方3時ごろから夕立
今日は①銀行に行く②パーキングのあるホテルを探す
と朝主人のモビルさんにたのんだ。9時過ぎにカンパラ市内
に向う、相変わらずびっしりと渋滞、市内に入りマイカーは
パーキングに止めて歩くことにした。
カードで下ろせる「バークレイバンク」を見つけていたので
地図を見ながら歩いていく。パシャパシャとATMの機械が
お札を「数える」音であーよかったー。安心する。ホテルも
あらかじめめぼしをつけていた。バンクから近かったホテル
一泊20000USウガンダシリング=1200円
部屋にトイレ、ホットシャワーがついて清潔なホテルだった。
オートバイの出し入れは楽なパーキング。予約してモビル
さん宅に戻る。「家に泊まって」もいいよと言ってくれたが
ホテルに移ることにした。3時過ぎ荷物をオートバイに積み
替えてホテルに向う。
市内に入り途中から夕立になる、道を間違えて赤土の道に
入り込んでしまった。大丈夫かと思った瞬間ツルッと滑って
横転。車の来るのを待つ、このときの時間の長いこと。一台
目は女性、二台目は通り過ぎてしまった。前後から来た車に
手伝ってもらい起こす。
マイカーの人に地図を見せホテルの近くまで案内しても
らった。いい人もたくさんいるウガンダだけど、レストラン
でのつっけんどん、マイカー、タクシー、などのドライバー
の自己中心、転倒していても通り過ぎてしまうなど私と
同じ「自分さえよければ」の考えがまかり通っているよう
に感じられる。
アフリカのケニアなどフレンドリーで冗談も通じていたが
ここウガンダはチト違うなー。転倒した時右手の甲とひじ
を打ったようだ。シップ薬を貼る。気を使わなくてやっぱ
りホテルはいい。ホットシャワーで体を洗うすっきりした。
レストランで晩めし
チキン3000US=180円
、トマト、たまねぎ=100円
ビール大瓶2000US=120円×3=360円
ライス2000US=120円
トータル12000US=700円ぐらいかな
毎日20000US=1200円渡していた、お世話になったモビ
ルさんに「あなた夫婦やいっぱいいる子供さんたちが
日本にくるようなことがことがあったら泊まるところ
など私の家でかまわないですよ」と家族の前で話した。
一人ではさびしいでしょうから二人で来てくださいと
話して別れる。誰かは来てくれる日があるだろうと思う。
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ウガンダ国にはいる 後ろは国境
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お世話になったモビルさん一家
2007年10月4日木曜 はれ
ウガンダのはじめての朝を迎える。夕べは疲れすぎてたのだ
ろうかぐっすり眠れなかった。兄のピーター君は7時過ぎに働
きに出かけた。夜は大学に通っているようだ、来年1月には結
婚すると話してへやに美人の彼女の写真を飾ってあった。弟
のマック君も7時半ごろ出て9時半ごろ戻ってきてくれた。
今日はお願いが二つある。①銀行でお金を下ろす②オートバ
イのバックを支える支柱が折れているので修理屋につれて
行ってほしいと頼んでいた。銀行ではカードを使えなくてドル
両替屋で両替を済ませる。オートバイの修理に行くとどっと
集まってくる。今まで何十回と支柱はあっちこっちの国で補
修してきた。
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道悪でバックのトランクの支柱が折れてしまったので
鉄板で頑丈に補強 カンパラ市内
最後パキスタンでバックの下にL型の鉄板を入れたら補修しな
くて済んでいたが、今回のガタガタ道の連続で補強したとこ
ろから折れてしまっていた。修理代40$を30$に負けてもら
った。これで安心して走ることが出来る。ウガンダは意外と物
価が高いようだ。
修理を済ませ彼のアパートに帰るのかと思ったら彼に実家に
着いた。町から30分ほどの所だった。静かな高台にある。お父
さん(モビルジョーン)とお母さん、家族が待っていた。彼が電
話していたのだろう。昨日マック君から兄弟は8人と聞いてい
た。が(夜には12人になっていた)
あれこれ話しているうちに「実家に泊まることになった」モビ
ルさん45歳の運転でアパートに荷物を取りに行き空けてく
れた部屋に荷物をとく。水シャワーだがすっきりとほこりま
みれの体を洗う。芝生のある広い屋敷は気持ちがいい。今
晩はゆっくり眠れそうだ。ビンの持ち帰りは出来ないので
ペットポトルをもってビールを買いに行く。
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ケニア最後の町
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赤道に沿ってウガンダに向う、このあと町を外れると20km~40kmの
道の悪さが続く
ケニア&ウガンダ国境
2007年10月3日水曜 朝はれ20℃ 昼30℃ 午後曇り
今日はとりあえず赤道を越えたエルドレットEldret町から赤
道に沿って走り国境を越えることになる。朝は晴れて気持
ちよい高原を上り下り繰り返して走る。アスファルトは町だ
けで悪路に変わる。国境に着いた10時半結構時間がかか
ってしまった。ケニアの出国は簡単に済んだ。
ウガンダ入国、いつものように名前、パスポートナンバーは
きちんと書いて。あとは「なんてかいて」「あるのだろうか」
「すみません」「よろしく」「おねがいします」などとひらが
なで書き込んで渡す。係官はだまってパスポートのスタン
プを押してくれた。ありがとう。
次はオートバイのカルネをもってカスタム(税関)へ。オート
バイの通行許可書なのか、どこでも取られているやつであ
る、20$=2400円払い手続きは終わった。12時だ。女性係
官は出前の食事をとっていた。それを見て「あーうまそう」
と言ったら「食べるか」「少しだけでいいです」
自分の皿から私の分も分けてくれる。ライスに豆の煮たも
の、野菜の炒めた高菜に似たものだった。腹へっていたの
でうまかったそれにコーラまでおごってもらった。国境の
事務所で食事をご馳走になったのは始めてであった。暑
かったのでコーラもうまかった。
12時過ぎに国境を出てウガンダの首都カンパラKanparaに
向う。ウガンダは道路がいいと聞いていたので安心して走
り出す、がすぐにデコボコの道に、アスファルトは両サイドが
欠けてなくなっている。すれ違うたびに赤土のダートを走
る羽目になる。前からトラックが追い越して私の前に来た
よけようと左による土壁の斜面グラグラと転びそうにな
る、おー危なかった。
「何だこの道は」とぶつぶついらだっている自分がそうだ
から相手も道の悪さでいらいらしているのがわかる。負ける
ものかと気合を入れなおす。どこまで続くのかこの悪路、カ
ンパラまで200kmで4~5時間と教えてくれた国境係官。
普通は3時間ぐらいなのに変だなーと思っていたらこの悪
路を計算に入れてのことだったんだ。
前方左側に湖が見えた、ガススタンドであれは「ビクトリア湖」
と聞くと「そうだ」。悪路を走り続け疲れて喜ぶ気持ち、感激
もわかない。これから先の道路は「スムーズ」とガススタンド
の人は言う。なんと200m間隔ぐらいで今度は突飛が出て
きた。砂利道の上にスピードを殺す突飛にはまいった。何の意
味があるんだろうか。ほこりをかぶりながら走り続ける。
大きな橋が見えた「オートバイを止めて」写真を撮る。ビクト
リア湖からナイル川に流れる源流かも知れない。橋を渡る時
両サイドの水流を眺めながら渡る、500mぐらいはあっただ
ろうか渡りきった所で橋まで戻って写真に収める。何とはな
しに心静める湖は緑の色だった。(あとでナイルの源流であ
ることがわかる、写真撮っててよかったー。ここはジンジャ
Jinjaと言うところだった)
ビクトリア湖から首都カンパラ間はガタガタ道はなくなって
安心して走れるようになった。ようやくカンパラ市内に4時半
到着。この国はオートバイが多く走って125ccクラスが多い。
いつものようにさっそくオートバイのお兄ちゃんをつかまえ
てホテルまで引っ張ってくれるように頼む。最初のホテルは
「パーキングがない」ので泊まれない。
YMCAに行くが「泊まり」はやってないとの返事。よわったなー。
駐車場で「一晩だけならパーキングのある多少高いホテル
でも」と話していると側でパンを食っていた学生が「うちに
泊まっても」いいと近寄ってきた。まじめそうな学生だ。2時
間も走ってくれた最初のオートバイのお兄ちゃんにお礼に10
$渡した。
別のオートバイの人に頼んで学生を乗せてもらい自宅に向っ
た。最初学生の実家と思っていたら彼のアパートだった。市内
から30分以上走ったドヤ街みたいなさびしい場所にあった。
部屋は8畳一間でベットとソファーがあるだけ、水もガスもな
かった。兄弟で二部屋借りていて私は兄の部屋に泊まること
になった。話しかけてくれたのは弟の「マック」君26歳兄は「ピ
ーター」君28歳。
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マック君のアパートここに泊めてもらった。8畳一間
一ヶ月25$の家賃と話していた。
泊まれればどこでもいい。昼間はほこりまみれ今市内から走
ってきてラッシュで汗びっしょりになる。シャワーは部屋にはな
い。そのまま下着だけ着替えて安食堂で腹ごしらえ。昼間に
国境でご馳走になっててよかった。途中で喰う暇などなかっ
たのだ。
きのうから今日まで二日間赤道に沿って走ってきた。太陽は
肌を刺す暑さを感じるが午後になって風があると涼しい、標
高が高いのだからなのだろうか。暑いのか寒いのかわからな
い、何か冷や汗をかいているようなそんな感じがする。
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お世話になったニューケニアのスタッフや日本人旅行者の
見送りを受けてウガンダへ向う
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ケニア最後の町からウガンダへ
赤道に沿って走り続けた二日間
2007年10月2日火曜 はれのちくもり
約20日間居たことになるケニア、ナイロビ「ニューケニア
ロッジ」朝8時に出発、ウガンダに向う。お世話になったホ
テルスタッフ、普段はまだ寝ている日本人旅行者が見送っ
てくれる、皆さんありがとう。
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ウガンダへの道 この後町を外れるとの道が悪かった
ナクル湖フラミンゴの町、ナクルに11時半、前回ツアーでき
た時の前が見えないものすごい土ぼこりにはまいった。
今回も同じ土ぼこりだったが風があり少しは助かった。ナ
クルをすぎた、やっぱり道が悪いアスファルトの穴に埋め
込んだアスファルトをガタガタさせながら走る。座って運転
は出来ない、ほとんど立ちっぱなしの運転になる。
赤道を越えて北半球に入る。20kからせいぜい40kmのス
ピードになる。前方は山並みになってだんだん上って周り
は高原になってきた。午後になって風が冷たく暑かったの
で脱いだジャンバーを再び着込んだ.湖の水温のような暖
かい所と冷たいところがあるように感じ体温の調整がむず
かしい。
どうなるのかと思うほど赤土、砂利の悪い道は続き赤ぼこ
り、白ぼこりで顔、服、オートバイは真っ白になる。ようやく
着いた町はエルドレッドEldretに3時半ごろ。疲れた。今日は
ここに泊まろう。ケニア最後の町だ。オートバイの周りに集
まってきた地元の青年に歩いてホテルを案内してもらう。
一軒目は1200シリング2000円は高すぎる。二軒目400シリ
ング、ナイロビと同じ800円に泊まることにした。案内してく
れた青年に100S=200円お礼に渡した。途中赤道超える時
赤道を表わす標識があるかどうか訪ねたがわからなかった。
道が悪さに気をとられていつの間にか忘れていた。それら
しき標識はなかったように思えるが、、わからない。
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