
今日でウズベキスタンのビザが切れる・・ウズベキスタン・ハドラを離れ・・トルクメニスタンに向かう。
車も通らないさみしいこの道は国境につながっているのだろうかと・・不安が出てきた。トラックが並んでいる
ところまでようやくきた・・国境だ。
トルクメニスタンに丸一日、かかってようやく入れた
2003年9月25日水曜 18℃はれ 28℃はれ 28℃はれ
ハドラの宿を7時30分に出てトルクメニスタンのマリーと言う街まで走る予定である。ハドラの街から郊外にただ広い野原に出た。まずまずの道だけれどこの道、本当に国境に向かうのか心配になるほど車が前からもうしろからも一台も通らない。へんぴな畑みたいな所が続くので間違って走っているのではないか不安になってきた。ようやく1台の車がやってきた。
手を上げて「ソーリ」「トルクメニスタン」「ボーダー」「OK」か。「OKOK」安心した。1時間ぐらいで国境についた。ホッとする。ウズベキスタン側出国は30分もかからない。これは調子いいぞ。10時にトルクメニスタン入国手続きにはいる。ツーリストの場合ホテルの「紹介状」は「あるのか」とか・・言われる。「そんなものない!」「ない!」2時間ぐらい押し問答した。英語の出来る人と交代通訳してくれる。
トランジット5日間「ビザ」ならホテルの「所在地証明は入らない」と通訳者。エーほんとにダメなのか。タシケントに戻ってトランジット「ビザ」の取り直し。それは出来ないな。きょうでウズベキスタンの「ビザ」は切れてしまう。進めない・戻れないいったいどうなるんだ。ウズベキスタン側に戻りテレホンセンターに行き地元のおばさんがトルクメニスタンに事情を説明してくれたがこれもダメ。

見張り「やぐら」の見えるところから先が「トルクメニスタン」の国境事務所


国境を行ったり来たり・・地元のおばさんたちは国境・緩衝地帯でで穀物を売っているのかおおらかに笑って過ごしていた。
日本大使館に電話する。「旅行会社」に電話してみたらと言われて「あっ」気がついた。インビテーションの「控え」を「旅行会社」から「渡され」ていたのをすっかり忘れていた。日記帳に挟んだままだったのだ。あーそうだ、そうだこれだったんだ・・。さっそくそれを持って3時頃再びトルクメニスタン側に「インビテーション」の「控えの紙」を持って行く。すぐにOKだろうと思いきや1時間2時間を過ぎてゆく。
この間「国境地帯」800mぐらいを行ったり来たり朝から何も喰ってない。その国境では地元のおばさん達5,6人は白い布に入った穀物らしいものを国境地帯の真ん中に積んでおしゃべりしながら休んでいる。同じ国境地帯でお菓子屋タバコをばら売りしている。ばら売りのタバコで気を落ち着けよう。5時を過ぎてもパスポートが戻ってこない「ワイロ」ほしさかなーと一瞬頭をよぎるが、どうもそうでもないようだ。
国境係官はあっちこっち電話を入れてくれているようだ。そのうち「ツアー会社」の人が「こっち」に向かっているからもう少し待ってと話す。おかしいなー首都アシガバードからくる??英語の出来る3人目の人が説明してくれる。しかし相当時間がかかるだろうにどうなることやら。また「きょう18時30分にOK」だと話す。でもこのボーダーは18時で閉まるとのこと。あまり信用できないので国境に寝る覚悟をする。時たま警備隊が見回りに来ているのでテント泊は無理かもしれない。

トラックの運転手はきょうは国境で泊まるようだ・・トラックのサイドにはプロパンガスなど炊事用具は万全だ
大型トラックの運転手2,3台はすでにここで泊まる用意をしている。国境ではどこでも、いつものことのようだトラックの荷台下に炊事用具、ガスから食料まで特製に作られていつでも炊事場になるすぐれものだ、感心する造りである。さっそくゆで卵をごちそうになる。18時半になって係官が来た。「こっちに向かっているが」「途中「橋」が壊れて1時間2時間遅くなると伝えてくれる。
橋が壊れた?ってなんの関係があるのだろうか。橋が壊れたら数時間で直るはずがない。よしここに泊まるしかないなと覚悟。まわりにいた行商のおばさん達もだんだん少なくなってくる。トラックの運転手は運転台の寝台付だから安心した顔であせりなどみじんもない。とうとう19時半になって暗くなった。トラックの運転手さんからもらったメロンとパン、そしてプロパンガスを使って温めたあずきをいただいた。
国境係官ではない女性が来た。その女性の話しを聞くと紹介状を書いたツーリスト会社の女性だとわかった。国境は閉鎖になった。しかし係官は書類の手続きをしてくれている。他の国境係官はウォカー呑みながら楽しそうに夕食をしている。喰いたい顔して「うまそうだ」とひやかしながら・・「頂いた」肉片一個をほうばる腹へっているので最高にうまい。ありがとう。どうもお世話になりました。
手続きは終わった20時30分。ツーリストの女性はあせっている。その車のあとについて走る。暗がりの中ボコボコした道、ちがう鉄板をつないでいる橋のようだ。その上を慎重に走りきる。先の「橋が壊れて」との話はこの橋のことだったのかもしれない。40キロぐらい走った街についた。30$のホテルは高いのであなたの家に「10$」でどうか・・泊めてほしいと言うと「OK」になった。
食料を買いに大きなバザールはにぎわっている。ビール、にわとりブロイラー漬けものを買っったあと保育園へ迎えに行きツーリストの家につく。広い屋敷になっている。おばあさんとご主人、弟さん5人で住んでいると話す。弟さんはいなかったが家族で12時頃までおしゃべりしてすごす。壁にはトルクメニスタン大統領の写真が飾ってある。

ツーリストの家に泊めてもらう・・おばあさんと息子夫婦子供一人の家族
「サマーフラワープレジデント・・ひまわり大統領なのか」と言うとおばあさんが「シー」と口に指をあてそんなこと言ったら「ダメ」みたいなしぐさをした。どこの家庭でも写真飾らなければいけないことになっているようだ。「告げ口」されるのをこわがっているようすだった、そうなのかこの国は。子どもも腹へっているようだブロイラーをおいしそうにたべている。あーでもきょうはどうなるのかと一時思った。
タシケントまで戻ってまた「ビザ」20日間待って取り直して、その前にウズベキスタンのビザが切れている・・ので、どうなるかのと心配した一日になった。ところでこの町はなんと言う町なのだろうか。