![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/79/d65d3a253aef79fdc8fb95bebfa94ba0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b8/b299d5d01591342ce50c14d6e0bb111b.jpg)
1回目、2回目あわせて一ヶ月ぐらいだろうかお世話になったモスクワ。クレムリン・ウズベンスキー教会、赤の広場をあとにしてカザフスタンに向かう
これまでロシアポリスのこと
その1.
○いい人、悪い人にポリスを分断
これまで3,4回ポリスの検問にかかった。そのうちの一回は「ナンバープレート」が「付いてない」とクレーム。別にボックスに保管していた国際ナンバーを引き出して見せた。今までのは道がガタガタで振動で途中「とれてしまったのだ」と言っても通じない。とにかく所定についていないからと「マネーマネー」ワイロがほしいのだ。針金で所定に着けて見せる。二人のうち一人は人の好さそうのおまわりである。暑い日差しの中停められたのだ。
とうとう頭に来たので「お前はワールド、ロストーナンバーワン、ハートがコールド、世界で一番冷たい最低のポリスだ」と日本語でまくしたてるとゆうより吠えた。人のよさそうなポリスには「ワールド、ナイス、ハートもホット、フェイスもナイス、スマイルもナイス、ワールド、ナンバーワンポリス」世界で一番いい、おまわりさんだと日本語でほめたたえる。意味は分かってもわからなくてもいいのだ。二人の分断を図ってみた。「道がよくなって次でとりつける」からと「ほめたおまわりさん」に話した。
するとほめた「いいおまわりさん」は「O・K「O・K」行けとゆう。「ナンバー」を取り外して保管してバイバイ。
その2
○「パスポートいらね―」「お前にやる」
二回目はスピードガンを使っている検問所。いきなりスピードオーバーときた。「ノーノー」と言っても、受付ない。「マイ、スロースロー」で走ってきた。そんなにスピードは「出してない」しかしスピードガンを見せて「頑」として受け付けない。「ノー・スピード」とゆうがダメ。パスポートは提出している。もういい「パスポート」は「いらない」「お前にやる」とオートバイにまたがってエンジンをかけ「本気」で「出発しよう」とまたがった。
するとポリスはあわてて「持って行け」とばかりに「パスポート」を「差し出した」。もちろん罰金なし。ほんとにスピードは出してなかったので「いいや」と最後は本気だったのだ。このことがあってから「自分」でも「いい方法」を見つけたものだと。「ポリスとイザコザで長引きそうになったら」開き直って「パスポートいらねー」「お前にやる」と「この手」を使って何回か通過してきた。
その3
○ピストルで脅(おど)かされる(オートバイの旅①でも書いている)サンクトペテルブルグからバルト三国エストニアに向かう途中・・止められた。さっき「50m」手前で女性おまわりさん達3人たちのところで止められたばかりだ。なのに二人の男おまわりにストップをかけられる。○と×の標識を両手に持っていてストップの×を出した。そこから「15センチ」ぐらい過ぎて止まった。それが違反だと言ってるようだ。2mぐらいある「大男」と「普通」の男おまわり二人である。
小さい小屋の中に連れ込まれてパスポート、カルネ、を出した、「国際免許証」も出したこれは海外に出てはじめて提出。OKかと思いきや小さいおまわりが「ちょっと待った」と「お札」を数える「マネー」のしぐさをする。「何のマネだ」前日サンクトペテロブルグ市内で見ていたのと同じおまわりのワイロほしさなのだろう。ハンドブック「規則集」みたいなものを出して「違反した」みたい「文章」のところを指さした。
ロシア語「わかるわけねーだろー」と声には出さないが顔に出す。しかし「ふざけんじゃねー」と大声を出してオートバイに戻りまたがった。すると「オーノー」みたいなしぐさ。大男のおまわりが腰のピストルに手をかけ「カシャッ」と音を出しておどかす。その手には驚かない、ほんとにケンカするつもりでオートバイから下りて大男に「撃つなら撃ってみろ」と突っかかって詰め寄る。
よし「エンバシー」大使館に「電話する」と言ってオートバイに乗って先程の50m手前にあったガススタンドまでバックして給油する。戻るとまだその「でかい」おまわりがいて再び「止まれ」の合図。「テレホンエンバシ・電話したからいま車で「係官が来るぞ」と「日本語」で話す。すると「でかい」方のおまわりが自分の「両手を組み」握手するようなその手を頭の上にかざして「O K」「行け」と言ってるようだ。
「演戯?」したおれの「ジェスチャー」がおまわりに勝った?のだ。とにかくロシアのおまわりは何だかんだと文句をつけてワイロを要求すると聞いていた。止められたとき今回は「解放される」まで「半日ぐらい」かかるだろうと最初から覚悟してかかった。しかし30分もかからず意外と早くすんなりとワイロを渡さなくてすんだ。そこからちょっと2、3kmぐらい走っただろうかエストニアの国境についた。
そこのロシア国境の係官が「なぜ」「どうして」「止まらなかった」みたいに笑いながら話してきた。うん?さっきのおまわりが電話連絡したんだろうか。こいつもグルか?。又ここで時間がかかるのかと不安がよぎる。さいわいに何事もなくすんなりと国境手続きを終えてエストニアに入いることが出来ホッとした。ここの国境には日本人20人ほど乗せたツアーバスが止まっていて国境通過手続きで「通してくれない」と日本人添乗員は苦戦していた。バスの中に入りわたしも日本から来ましたと挨拶して別れる。
その4
○罰金を払う
まさかこの辺にはおまわりはいないだろう。上り坂で遅い車を追い越したとたん「エエーおまわりだ」。「説明しようがない」停められた。「ハロー」と「にこにこ」したが
ダメ。「マネー」いくらだ。「100ドル?」「ええ―」ヨシここはいつもの演技だ「パスポートいらねー」と「オートバイ」にまたがって見せたが効果がない。「500ルーブル=2000円」出してこれが「オールマネー」だ。おまわりはしぶしぶ受け取った。
その5
○見逃してもらった
10台ぐらいつながってゆっくり走っている。一台づつ追い越していく。直線になった
ところで一気に追い越しにかかった。トップに出たとこでおまわりがチェックしている。アア―すぐには止まれないふりして100メートルぐらいすぎた所で停まって待った。しばらく停まってポリスが来るのを待つが来ない。「いいのかな」ヨシ来ないなら「行ってしまえ」とスピードは上げずにそのまま走った。
追いかけられれば止まればいいや。普通に走って行く。5km過ぎた頃バックミラーに映った「来た来た」パトカーが来た。道ばたに停めた「どうして止まらなかった」紙を出して「一台づつ追い越した」「ほかの車」は「一気に追い越して過ぎ去った」と図面を書いて説明した。するとパトカーはなにも言わずにそのまま走り去った。次のチェックポイントでこってりやられそうな感じだ。
チェックポイントについた。パトカーも停まっている。パスポートを見せる。なにも言われない。そのまま走り過ぎた。お―よかったー。ロシアはチェックポイント=おまわりがパスポートや免許証など確認する「検問所」と言った方がわかりやすいだろうか。
道路のいたるところ設けられている。なかには愉快な人のいいポリスもいるがワイロを目的にしたポリスが多い。わたしは罰金を取られたのは一回だけだった。
バルト三国のラトビアからモスクワに入ったのが2001年6月。二回目は日本からシベリア横断してモスクワに入ったのが2003年7月。1989年ソビエト連邦が崩壊して10年。まだまだワイロの要求が常態化。今でもそうかもしれないが・・。それでもわたしはこれまで「社会主義社会」を信用してきた。
ひとりごと
ソ連が崩壊、東ドイツが崩壊していく・・。勝ち誇ったように資本主義諸国は喜んだ。今
欧米しかり、アメリカしかり・日本はゆうにおよばず資本主義社会の行き詰まり・・これからどこえ道を切り拓いて行こうとしているのか。共産主義はイヤだイヤだといいながら資本主義「諸国」は中国に頼り切っているではないか。笑わせないでおくれ。日本では優秀な会社は海外に出ていってしまうともゆう。海外に出て行ってどうするの・・せいぜい20年でおしまいになるじゃないの。そのあと帰国するのだろうかね?。
中国からインドそして南アメりカ・・最後はアフリカに向かう。水は高いところから低い所へ流れるこれ常識。経済も同じではないのかね。じゃーどうすんの・・弱肉強食、自分さえよければすべてよしの「資本主義」から持ちつ持たれつ「社会主義」を目指すしか道はないとわたしは思うけど・・。ちなみにわたしは元社会党・党員→いまの「社民党」・・。自分さえよければすべてよしの考えはまだかなり残っている自分自身がいるけれど・・お許しを。それでもめざす「社会主義への道」は別項で・・。