日の出と共に首都アシガバードに向かう・・どこに行くのかラクダさん・・
見なれない風景を横目に走り続ける
首都アシガバードでも・すべての銀行でお金下ろせない「アーアー」
2003年9月27日土曜 はれ12℃ 20℃ はれ はれ
7時45分「1ドル」の宿を出る。寒さを感じるなー。太陽は背中を照らしてくれている。
ラクダが5,6頭どこに行くのか朝早いのに歩いている。先回りしてオートバイとラクダを入れて写真におさめる。首都アシガバードに10時半についた。セントラル、ひまわり大統領の銅像が回っているモニューメントまで走ってみた。写真を撮ろうとしたらビルの中にいた男が「ノーノー」と言っている。ふーん、どうしてだろうか。勝手に写真を撮ってはだめみたいだな・・。ここの大統領は太陽とともに動く自分の銅像を町の中心に建てていることは有名なことらしいことを・・旅人から聴いていた。
首都・アシガバードにはシティバンクがあると聞いてきた。「シティバンク」「シティバンク」と聞く。すぐそこだと教えてくれるが、そこはトルクメニスタン・セントラル銀行。ここでアメックス・カードだったらOKとゆうがそのカードは持っていない。となりの銀行に行ってみたがカードを使えないT/Cトラベルチェックもだめ。二軒目もトルクメでダメ。地元の人にその銀行の前に建っているホテル「トルキ―」内にあるパキスタン銀行はOKと聞いて行くが土曜日でクローズ。
「トルキー」ホテルのフロントに行って「マスターカード」を使える銀行は「ウェイストバンク」と聞いた。タクシーを使ってそのうしろについて行く5分ぐらい。なに!ウェストバンク」もマスターカードはダメ。ウェストバンクが教えてくれた24時間オープンのATM機械に行った。3,4台並んでいるATM機会でもすべてのカードがつかえない。ウワァーこれじゃダメだ。安宿を探してトルクメニスタンにいてもしょうがない。
太陽とともにまわる大統領銅像・・・ひまわり大統領とよばれているらしい
トルクメニスタン・首都アシガバード
カードでお金が降ろせないトルクメニスタン・・仕方ないイランに向かおう・・・イランへの道
イランに向かおう。イランへの道を聞きながら13時アシガバードを出る。15,6キロ走った木の生えてない山を登った所にボーダーがあった。ここでツーリストカードを渡して国境スタンプは30キロ先だと言う。第2のボーダーについた。ここまで岩山をぬって上がってきた、これから先はだいぶ寒いだろうと感じる気温。気温23℃手続きの書類とパスポートを出した。その書類は走るルートが書いてある。
その書類にはイランではなくてカスピ海経由でアゼルバイジャン・バクーに向かっているルートである。だから「ここは通れない」と言う。「エエー」「どうすんだ」書類を造り直すためにアシガバードの「事務所」の地図を書いてくれた。あーまた戻るのかよ。その書類をたよりにアシガバードの街まで戻る。オフィスを探さなければならない。第一で渡したツーリストカードを受けとらないで戻ってしまった。
途中からオートバイの兄ちゃんがついてきた。国境でもらったオフィス地図を見せる「OK]オフィスまで引っ張ってくれた。ひとりでは探し出せないオフィス街だ。おー助かった・・ありがとう。オフィスに入ると係官がいない、しばらく待って書類を書いてもらった。5$=600円。ウァ―残り50$=6000円になった。
オートバイの兄ちゃんのところに泊めてもいいとOKになっていたが書類作るのに時間がかかったので帰ったのか。それとも泊めるとノーマネーだから大変なことになると思われたかもしれない。オフィスを出たらオートバイのまわりは人だかりになっている。そのうちの3人連れの人にベンジンを入れたいから連れていってほしいと頼んだ。もしオートバイの兄ちゃんが戻ってきたらと思い・・一人だけ残ってもらった。ベンジンを入れて戻ってきたが兄ちゃんの姿はなかった。
国境からルート変更のためアシガバードの事務所まで舞い戻る途中兄ちゃんがついてきてくれた
ガススタンドから中年の男がマイカーでついてきた。さてこれからイランへか。それとも3人の中に泊めてくれる人がいるかも・・「寝んね、ネンネ」「泊めてくれ」両手を耳に添えたしぐさを繰り返す。中年の男の人がホテル?携帯で連絡してくれている。英語の出来る女性と話している。「ヘロー」「ハウマッチ」・・聴こえない・・切れたのか携帯。中年の男の人「こい」とゆうしぐさ。ホテルか?街はずれまで走って着いたところは自宅らしいところ。
「ここだ」と中庭にオートバイを入れた。家にはおばあさんと奥さんがいた。お金はいくら「マネーハウマッチ」「いくらでもいいと」言われたような・・。「マイ・ノーマネー」「二日で5$」と言いながら渡す。奥さんに少しだけ笑いがあるので大丈夫なのだろう。おばぁさんが「エー」たったの「5$」って言う感じのおどろいた言い方だが悪意はないみたいだ。とりあえずあした日曜までここで図々しく粘るしかない。
「うちに来い」と自分の家に誘ってくれたので助かった・・・家族といっしょに記念写真
夜9時になって子供3人帰ってきた。長女15歳、長男14歳、二男13歳と言う。いとこ夫婦も来た。その奥さんが最初に携帯電話に出た人だったのだ。トルクメニスタンはどうか・・。うーんワールドワーストワンだ世界で一番悪い。どうして・・。うんあれこれ。そのうちマスターカードが使える銀行があるとの話になった。その銀行にはここのご主人USPさんの友だちが勤めているとのこと。
すぐに電話を入れてくれたが本人は留守。中庭の奥にはかなり古いクラシックのめずらしい自動車が止めてあるこれはリンカーン車?。少しづつていねいに直しているとか。日本で売るとすればいくらぐらいするだろうかとご主人が聞く。うーん700万円~1000万円ぐらいかなー(本当のところはわからない)ご主人は不満そうな値段と受け取ったみたいである。それにしても立派、わたしにお金があったらほしい旧い車だった。
11時頃まで家族みんなと話して床につく。わたしは個室おばさんも一人部屋。他の家族6人は大部屋にふとんを敷いて寝る。申し訳ない。いったん床についたが、いろいろと特にツーリストカードを国境第一ゲートで渡したまま、戻る時受け取ってくるのを忘れて来たのをまた思い出した。ウーンどうして取り戻すか「きのう渡した」と「話してわかるかどうか」考えると寝つかれない。
この国のむずかしさがわかってきたのでなおさらだ。いったん収めたものを戻してくれるかどうか心配になってきた。取り戻すのに地元の人を連れていき説明してもらう必要になるかも。さっきまで英語の出来るおばさんについて来てもらった方がいいな。
床についていたご主人を起して、そのおばさんに電話を入れてもらうがまだ家に戻っていない。
しょうがないあした早めに起きて第一ゲートの係官が交代する前に取りに行くことにしよう。