パリダカレースのゴール地点「独立広場」とホテルのオーナーに聞いたが
ほんとなのかどうかわからなかった。プラスと呼んでいる独立広場
ダカールは寒かった
2008年4月14日月曜 はれ
ホテルを7時に出発。ダカールまで260km、60kを過ぎて
悪路はなくなった。それでも今までの悪夢で怖くてスピードを出
せない。海が見えてきた、水田ならぬ塩田はコンバインか
ら白い塩の山を築いている。もうすぐダカールだ。ところ
がダカール市内に入るまで大渋滞。
ダカール「セントロ」「センター」と聞きながらダカール市
内に着いた。独立広場にオートバイを停めホテルを探す。
集まってきた一人の若い人がOOOホテルはすぐ「そこ」
だと歩いて案内してくれる。こんなに近くにあったんだ。
ラッキーだった。ホテル前にオートバイを移動して部屋に
入る。一泊2000円と中心街にしては安い方だろう。
周りは高層ビルが並ぶビジネス街だ。クーラー付の部屋
にしたかったがこのホテルには天井のファンだけしかな
い。独立広場のレストランで小瓶一本=240円もする、ウ
フェ。夜はホテルのスタッフに頼んで大瓶200円2本買っ
てきてもらう。地元の人でないと安く買えないらしい。
彼に手間賃100円上げても安いのだ。
2008年4月15日火曜 はれ
ダカール初めての朝。こんなに寒いのかダカールは。
ここに着く前の道悪のスタンドでダカールは「寒い」ぞと
言っていたのはほんとうだ。最初部屋に入り毛布を見た、
まさか毛布までは必要ないだろうと思っていた。しかし
明け方毛布をかけないと寒いのだ。
クーラー付の部屋じゃなくてよかったのだ。ファンだって
回すどこじゃない。ネットカフェに行ってコネクト出来るか
聞いてみた。出来ると言ったがセッテングできなかった。
パソコンのスイッチを入れても電源が入らない。転んだと
きパソコンも壊れたのかとお先真っ暗になった。今井さん
から以前裏のふたを開けてバッテリーを取り出して入れ
なおしてみた「点いてくれー」祈る気持ち。
ランプがついた、電源が入った。あーよかった。ホテルの
スタッフのオートバイで日本大使館へいく。モーリタニアビ
ザを申請する時日本大使館のレターが必要と聞いていた。
一時間待ってレターを受け取る。日本大使館は太平洋が
広がる海岸通りに建っている。
2008年4月16日水曜 はれ 朝10時21℃夕方22℃
オートバイの兄ちゃんに今日も頼んでモーリタニア
大使館にビザ申請に行く。9時前に大使館につき、
申請用紙に記入提出。ビザ代80000セファ=16000
円。うへっー高い。館員は表を見せる。日本などヨー
ロッパなど一番高いランクになっていた。
高くても5~6000円ぐらいだろうと思っていた。まさ
かの16000円、銀行に行ってお金を下ろして支払う。
で、即発行はプラス1000円だと抜かす。二度来る
のは面倒だ、仕方ない1000円支払ってパスポート
を受け取る。ま、これでいつでも出発できる。二日目
でビザ取れたのはよしとしよう。で、日本大使館の
「レター」はいらなかった。
半そでで歩居ている人は少ない、ほとんど長袖シャ
ツである。朝方17,8℃ぐらいまで下がっているので
はないか。昼間30℃ぐらい。夜はヒューヒューと音
をさせて風が吹きいっそう寒さを感じている。
食事のサイクルがどうもかみ合わない、食堂で昼は
どうにか手にすることが出来るが夜はライスがな
かったりとまちまちなのだ。ビールは昼と夜スタッフ
に頼んで買ってきてもらっているので助かっている。
彼には4日分400円手数料を渡してある。
2008年4月17日木曜 はれ
あした出発のためガソリンタンクが必要な区間が出
てきそうだ。近くのスタンドでオイルを空にした物が
ないか聞いてみた。あった、5リッタータンク二つを
200円で分けてもらった。
ホテルのオーナーにパリダカのゴールはダカールの
「どこだ」と聞くとテルのそばの「独立広場」のことを
さしているようだけどほんとかどうかはわからなかった。
ここに来て早くアフリカのたびを終わらせたい気持
ちが出てきた。とにかくこれから先のことが不安な
のだ。