丸い家から四角の家に変ってきた マリ
2008年4月7日月曜 はれ
ニジェール、ブルキナファソに比べると暑さがやわらい
だように感じる。陽が落ちた夕方宿の周りを歩く、土壁
家の軒先には仕事を終えたおやじさん、おばさん達、そ
して若い人たちは5,6人集まってしゃべりながらくつろ
いでいるのどかな雰囲気だ。
これまで炎天下を走ってきた。走っていて気がついた
のはロバ馬車が多いこと、トラックのスタックが多いこ
とだ。あの小さいロバが薪(まき)を積んだ荷車を一頭、
あるいは2頭立てで活躍していた。クルマよりロバ馬車
の方が目についた。そのロバ馬車に追突しているライト
バンも見かけた、考えられないことだ、まったく、ロバは
大丈夫だったのだろうか。
運んでいるのは薪(まき)ばかり、時には自転車に山の
ように積んで運んでいる、見ているだけで今にも倒れ
そうだがハンドルを木で固定して押していた。女性も
同じようにして運んでいた大変なことだろう。
またこれまで走ってきた中で目につくのは道路の脇に
停めて修理しているトラックが多いことだ。走っている
と草や、木の枝をトラックの前後、道路にまきちらして
注意をうながしている。
一日に5,6台は道路際に停めて修理しているのを見
た。中にはトラックの下にベッド敷いて長期戦に備えて
いたドライバーもいた。また同じトラック同士気持ちが
通じ合うのだろう自分のトラックを停めて手伝ってい
るトラックも見受けた。なにせ炎天下の下大変なこと
だ。
ガーナを除いてこれまで走ってきた、トーゴ、ベニン、
ニジェール、ブルキナファソ、マリは元フランス領なの
でフランス語だけで英語はまったくと言っていいほど
通じない、若い人は少し話す人もいる。そこへわたし
がいるのだが人々は親切なのでどうにか過ごすこと
が出来ている。
一度は直したスタンド、道のデコボコでスタンドが落ち
てガガーを引きずってきたこともあり停車する時オー
トバイのスタンドの座りが悪い。この前はペトロールス
タンドで転んだ、自分もいっしょに崩れ落ちるので危
ないのだ。転んだ時は胸を打ったり腰を打ったりして
今も痛い。
オートバイ屋に来てもらい、スタンドをはずして溶接屋
で思い切って曲げた。これでスタンドの軸が「突飛」と
かに当たっても当分は心配しなくてすみそうだ。溶接代
手間賃込み1200円。
2008年5月8日火曜 はれ
これから進むセネガル方面への道を調べる。ガイドブ
ックの市内地図、道路地図を広げてホテルのスタッフ
にどっちの方面かを聞いた。地図ではホテルの位置
がわからないので分岐点まで歩いて行った。500m
ぐらいで右に大きな道路が続いている。この道を真
っすぐに行けば「いい」と教えてくれた。
バコマ市内から出るのに厄介なことになりそうだと
気がかりだった。市内から出るのは意外と簡単でホ
ッとした。その曲がり角ロータリーにはモニューメント
が建っていてマリ国旗がなびいていた。
ホテルに戻る。オートバイの両サイドのボックスをつ
ないでいる布がシートからずれ落ちてくる。そのず
れ「落ちる」のを防ぐため後ろのボックスとシートの
間にL字型のアルミを探しに行く。ホテルのスタッフ
にマルシェについて行く。
古本、ノート、釘、ツルハシ、ホース、洋服、布、食器、
便器、サンダル、はみがき「木」、ピーナツ、ゴムひも
何に使うのかわからない金具、工具、くさり、建築材
鉄棒、鉄板、オートバイ修理、販売、部品、溶接屋、薬
草何から何まで売っている。西アフリカの国でのマ
ルシェ(バザール)はどこの国でも50年100年たっ
ても変ることがないのではと思う。
鉄骨屋の棚に捨ててあった空のかんかんを切り落と
してL字型に直してもらう40円。これでも金取るの
か、これじゃ拾ったほうが安くて済んだなー。ホテ
ルに戻りボックスをつなぐ布の下にL字アルミ缶を
組み込んだ。
前ブレーキのオイルもれ、スタンドの座りも直した、
とりあえず気になるところは今のところはなくなっ
た。これでいつでも出発できる。
アフリカを旅している青年Iさんがホテルに来たと
ゆうより戻ってきた。ギニアかどこかへ行って戻っ
てきたらしい。そのIさんとネットカフェに行き、日本語
で打てる「方法」を習った。彼はこれから3年かけて
旅を続けると話す北海道出身。日本人女性はNGO
の活動を続けているようだ。
昼はセネガル料理200円と高い、夜はマリ料理120
円と安い。それぞれ持ち帰り、宿でトマト、たまねぎ、
きゅうりを添えて毎日同じパターンの食事が続く。