ベオゴルフスク?駅からチタまで列車で送る
チタからウランウデ経由モンゴル・ウランバートルまで地図からノートに写した。
2003年7月3日木曜 はれ12℃はれ18℃はれ18℃はれ20℃はれ30℃
起きれるかどうか不安だったが8時前に目が覚める。8時過ぎにオートバイを受け取りに行く。又何かと「マネー」を要求するのではと思っていがそれはなかった。ベンジンを入れてホテルに戻った。タクシーの運転者さんにオートバイの「方向指示器」が故障しているので直すところを教えてほしい。運転手はお客を送ってまた戻ってくると出て行った。
荷物をまとめて部屋からオートバイに積み込むとタクシーが戻ってきた。タクシーは10分ぐらい走った自動車修理工で止まった。サンキュウありがとう。50P=200円。修理工二人で荷台をはずして、うしろカバーもはず修理にかかった。タイヤカバーが割れかかった所を「溶接」、電線回路の取り替えなどすべて終わったのは13時になっていた。1000P=4000円これぐらいはしょうがないかな。
チタでの修理工場と従業員の人たちと記念写真
写真を取りモンゴルへの別れ道「ウランウデ」に向かって走り出す。日本とはチト違う家の造りを写真に撮る。なんだろう?けむっているような感じだ。近づくとなんと山火事になっている。道のすぐ脇は燃え上がっている「ヤベーぞ」。いたる所の樹木が黒こげになっている。いつもこんな山火事が起きるのだろうか。山火事はどうして起きるのかな、樹木と樹木がこすれて発火するのだろうかな?。
日本の家とはちょっと造りが違う
煙は何だろうと走ってきたら山火事で道のそばまで燃え上ってきた
途中の村か町みたいなところ(ヒオスク)についた。安いホテルがあったら泊まろう。ビッグなマイカーで通りかかった青年が「ホテル」と言ったら引っ張ってくれた。牛の群れが道いっぱい広がって家路に向かっている。道が空くのを待ってついたところは普通の家で宿ではなかった。青年はわかってなかったんだ。二軒目は休業。三軒目は外人はダメみたいな感じでダメ。ウクライナでも同じようことに出会ったことがあった。
この時間は牛の御帰還
テントを張ったところ・・「そうだ写真をとらなければ」と朝テントを撤収した跡。
しょうがないビールと食料を町で調達してテントを張ることに決める。本線に戻る途中の適当な場所にテントを張った。腹が減って場所はもうどうでもいい気持ち。テントを張り終わると同時に生ぬるいビールをガブガブながし込む。9時からはじめて10時になった。二人連れの男が何か話している地元の青年か「これは金になる」仲間を連れてくるのかも。不安になるが寝袋に入るといつのまにか寝いっていた。
チタからウランウデ経由モンゴル・ウランバートルまで地図からノートに写した。
2003年7月3日木曜 はれ12℃はれ18℃はれ18℃はれ20℃はれ30℃
起きれるかどうか不安だったが8時前に目が覚める。8時過ぎにオートバイを受け取りに行く。又何かと「マネー」を要求するのではと思っていがそれはなかった。ベンジンを入れてホテルに戻った。タクシーの運転者さんにオートバイの「方向指示器」が故障しているので直すところを教えてほしい。運転手はお客を送ってまた戻ってくると出て行った。
荷物をまとめて部屋からオートバイに積み込むとタクシーが戻ってきた。タクシーは10分ぐらい走った自動車修理工で止まった。サンキュウありがとう。50P=200円。修理工二人で荷台をはずして、うしろカバーもはず修理にかかった。タイヤカバーが割れかかった所を「溶接」、電線回路の取り替えなどすべて終わったのは13時になっていた。1000P=4000円これぐらいはしょうがないかな。
チタでの修理工場と従業員の人たちと記念写真
写真を取りモンゴルへの別れ道「ウランウデ」に向かって走り出す。日本とはチト違う家の造りを写真に撮る。なんだろう?けむっているような感じだ。近づくとなんと山火事になっている。道のすぐ脇は燃え上がっている「ヤベーぞ」。いたる所の樹木が黒こげになっている。いつもこんな山火事が起きるのだろうか。山火事はどうして起きるのかな、樹木と樹木がこすれて発火するのだろうかな?。
日本の家とはちょっと造りが違う
煙は何だろうと走ってきたら山火事で道のそばまで燃え上ってきた
途中の村か町みたいなところ(ヒオスク)についた。安いホテルがあったら泊まろう。ビッグなマイカーで通りかかった青年が「ホテル」と言ったら引っ張ってくれた。牛の群れが道いっぱい広がって家路に向かっている。道が空くのを待ってついたところは普通の家で宿ではなかった。青年はわかってなかったんだ。二軒目は休業。三軒目は外人はダメみたいな感じでダメ。ウクライナでも同じようことに出会ったことがあった。
この時間は牛の御帰還
テントを張ったところ・・「そうだ写真をとらなければ」と朝テントを撤収した跡。
しょうがないビールと食料を町で調達してテントを張ることに決める。本線に戻る途中の適当な場所にテントを張った。腹が減って場所はもうどうでもいい気持ち。テントを張り終わると同時に生ぬるいビールをガブガブながし込む。9時からはじめて10時になった。二人連れの男が何か話している地元の青年か「これは金になる」仲間を連れてくるのかも。不安になるが寝袋に入るといつのまにか寝いっていた。