横田早紀江さんの願い
2004年9月11日
公開講座 拉致事件を通して人権と教育を考える 東京砂防会館において
主 催 東京都教育庁 参加者約 850名
こんにちは、私は横田めぐみの母でございます。本当に長い間この拉致問題に関心を持って頂きましてみなさん、みえないところでいろんなところで私たちを支えてくださったおかげで今日までこうして救出活動してくることが出来ました。本当にありがとうございます。私たちは考えることも出来ないような拉致問題というのがこの日本の中で起きていました。19年間という間は国内事件の何かだったんだろういうことで警察の方と一緒に一生懸命にめぐみのことを探し続けて参りました。めぐみのことは本当にけむりのように消えたとしかいいようのない感じで、家のすぐ近くの曲がり角でめぐみは消えていました。そしてどんなに探してもテレビに出てもめぐみの消息は全くわからないで、どうしてこんなに解らないのだろうと、毎日いろんなことで悩み続け、生殺しのようで地獄のような毎日を過ごして参りました。
そんな中で北朝鮮に拉致されたと言うことが解りました。
こないだ引き上げられました不審船(工作船)の船底に閉じこめられて長い時間泣き叫びながら清津(チョンジン)に運ばれていったと言うことがはっきりといたしました。
それでも私たちはこんな平和な時代にこんなばかなことが日本で起きているのだろうかと半信半疑の中でおりましたけれど、安明進さんという北朝鮮亡命工作員による証言によってめぐみが金正日政治軍事大学の中で目撃されそして『確かにめぐみさんに違いありません』ということを証言してくださいまして、細やかなめぐみの様子などをお聞きして『あぁこれはめぐみに違いない。』と確信することが出来ました。
そのあと佐藤勝巳さん、西岡さんや荒木さん新潟の救う会のみなさん、ほんとうにたくさんの方がめぐみ達のことを真剣に考えてくださって『これは許せないことだ、何とかしなければ、助けなければ』ということで立ち上がってくださり、日本中でいろんな努力をして参りました。その中でアメリカのワシントンに、2度行って訴え、ジュネーブの国連にも訴えに行ってきました。その中で私たちは、ほんとうにすぐにでも場所が解ったんだから救出にいけるだろうという期待でいっぱいでしたけれど、このように運動をしている中で、これは大変なことなんだと言うことが解ってきました。そう簡単に取り戻すことはできないんだということが解ってきました。
それは北朝鮮がただの共産主義の国だと言うことだけではなくて、考えられないような独裁主義、恐怖政治の国というか私たちの知らなかった社会だということを学ばせて頂きました。そこから逃れるためにたくさんの亡命者の方がいろんなところに駆け込んで、命がけでとにかく助かればいいという想いだけで多くの人が逃げてきています。その方達の証言などでこれは大変なことなんだと言うことが解りました。
そんな中で、そんな国(北朝鮮)に対して日本政府が拉致問題を解決するためにどれだけ真剣にとりくんでいるのか心を尽くして取り組んで頂いているのかという疑問を抱かざるを得ませんでした。米支援の時も、金正男という金正日の息子と言われる人の渡航問題の急遽送還にいたしましても。。
ジュネーブに行きましたときも、私たちは一生懸命子供達の写真を持ってみなさんに訴えました。私たちが大切に育てた子供なんだから、勝手に連れて行ったんだから返してもらうのが当たり前だと訴えました。
このことは、私は涙なしには話せないのですが、その時あって頂いた、デメロさんという高等弁務官の方が本当に真剣に私たちの目をみつめて、鋭いまなざしで聞いてくださいました。『頑張りなさい。皆さんは良くやっています。そんなこと絶対に私は許すことが出来ない。私たちも努力するから、頑張りなさい。』と言ってくださったあの姿を忘れることが出来ませんけれども、その何ヶ月かあとにテロに対して立ち上がってくださったデメロさんが、テロで爆殺されてしまいました。その時はものすごいショックで悲しい思いがしました。
その時も(ジュネーブ国連人権委員会に訴えに行ったとき)北朝鮮と日本の政府から拉致に関する書類が提出されていました。けれどもデメロさんにお会いする前の日にも、どのように訴えようかと予行演習などにて時間を計ったりして準備をしていました。その時の日本から来た書類はたった一枚でした。たった11行だけ書いてありました。『めぐみちゃんについても、今は特に変わったことはありません』というように書いてありました。
けれども北朝鮮から提出された書類は何枚もありました。日本の過去にこんなことをしているのにこんなこと(拉致問題)ばかり言っているとか、いろんなのことが書いてありました。ほんとに上手にいろんなことが書いてありました。それをそのまま提出してしまうと、むこう(人権委員会)で書類を見てくださる方は、これは実に細やかに書いてある、これは本当じゃないかと思ってしまうわけですから、もっともっと日本政府は書くことがたくさんあるわけですから。(たとえば)松木さんの骨が違った人の骨が返ってきたとか、めぐみの娘キンヘギョンという娘がこんなに大きく育っていたとか、もっといっぱい書いて欲しいことがあったのに、そのようなことを何枚にも書いて頂きたかったのに、こんなに大変な想いをしてジュネーブに訴えに来ている、そんなときでさえもたった一枚の書類に11行に簡単に書かれている。このようなことでは、この拉致問題について外務省の方は真剣に取り戻そういう想いを持って取り組んでくださっているのだろうか、としか思えませんでした。
私たちは、「これは大変だ」と言うことで、一緒に行っている議員の方や救う会の方が一緒になって日本の方に話して、書き直してください。ちゃんとしてくださいとお願いしました結果、ようやく次の日に提出する前にぎりぎりで外務省の方から新しい書類が何枚にも書かれて送られてきました。それでようやくその書類を対抗して出して協議の場にまにあうということがあったわけです。
そういうことをいろいろ考えますと私たちはほんとに政府を信じたい、外務省を信じたい、そしてその人達にお願いしなければ、私たち個人ではこれは動けないことなので信じていかなければならないと、こうしてくれているかもしれない、ああして考えてくれているのかもしれないと一縷の望みを持って見ていましたけれど、いつもそのことはあっけなく裏切られてしまう。言わなければやって頂けない。必死になって頼まなければ届かない。大きな声で、みんなで戦って大きな声をださなければ変わっていかない。こんな国であって良いのでしょうか。
今も蓮池薫さんがお帰りになって言っていましたけれど『私たちは毎日だれかが助けに来てくれると思ってた。』と仰っていました。薫さんはお月様を見ながら『まっていればきっと助けに来てくれるに違いないと一生懸命待ったけれど何年間待っても誰も日本から助けてくれる人はいませんでした。』と仰っていました。『だから私たちは、これはしかたがない。北朝鮮で生きていくしかないんだと思って、それで私たちは北朝鮮人としていきる覚悟をした。180度心を入れ替えたのだ。』と薫さんは仰っていました。
めぐみは連れて行かれたあとも、一生懸命朝鮮語を勉強すれば必ずお母さんに逢わせてあげると言われて-彼女は本当にだれもしらない、言葉もわからない、どこかも解らない、何で自分がこんなところにいるのかも解らない(ところで)-家族に逢いたい想いで一生懸命に、初めての北朝鮮語を勉強したんだと思います。一生懸命に勉強して、日本に帰れるかもしれない、親に会えるかもしれないと思っていたのですけれども、結局それは果たされなかった。それでとうとう、精神的に破綻をきたして病院に入院したということが書かれてありました。こんなに若い年代で親から離れて、そして知らない国で恐ろしい監視の中で何とかしておとなしくしていなければ殺されるかもしれないと、一生懸命知恵を働かせて生きてきたんではないかと思います。めぐみは今あすこの国で生きているのかどうか。。。。
相変わらず私たちは27年前の新潟時代のあの寂しい秋の、もうすぐ来る11月のあの時と同じ想いで、まだ見えないめぐみの面影を一生懸命探し求めています。
どうかかえってきて欲しい、どんなところにいても命さえあれば必ずかえってこれるのですからと、私たちは一生懸命お祈りをしています。けれどもそれをしてくださる日本の国が本気で立ち上がって下されなければ取り返すことが出来ないのです。だから私たちは全国を歩いて、7年間歩き続けて、こうして皆さんの前に立ったようにたくさんの方々に訴えて続けて参りました。『みなさん、もしこんなような状態だったら皆様はどうなさいますか』と訴え続けて参りました。『向こうに行ったらもう帰れないんだから仕方がないんだよと諦めてしまえるのでしょうか。』自分の命を削っても倒れるまで声をあげ続けて助けてあげたいとお思いになるのではないでしょうか。
一生懸命育てた子供が、本当にたくさんの若者達が日本の国から、海岸から、街角から袋に詰められて、あのような船にあっという間に乗せられて、連れて行かれ、そして監視の中で恐ろしい中で一生懸命頑張っている。そこの国に馴染まなければと頑張っている。北朝鮮の人たちに日本語を教えるために先生をしているという話もありますけれど。日本の国にいれば、どんなにか何かのお役に立っていたかもしれないたくさんの若者達がこんなに理不尽に連れ去られ、その年月は27年、寺腰さんのように30年以上も長い苦しみの中に置き去りにされている。こんなことが許されるのでしょうか。
帰ってきた方達も、長い間子供と引き裂かれていました。そしてようやく子供達が日本の地を踏みました。私はみなさんが日本の国の土を踏んだとき、『あぁ、良かった、良く帰ってきた。良く帰ってきてくださったと。ほんとうにひとつの生命が助かったのだ。』と思いました。理不尽な国から逃れてきたということは大きな喜びです。私は本当に嬉しく思いました。
私たちの子供達も、必ずその日が来なければならないと思っています。
ほんとうにどうしたら日本の国はこの事が解決できるのでしょうか。450万名の署名が集められ、官邸に届けられ、今までにないような皆様方のご支援を得ていられる中でも、なかなかこの問題が進展していかない。そして報道も、多くの人たちが家族の帰国を待ち望んでいる、そのことにもっと(報道の視点が)いかないのでしょうか。
国会議員全部が拉致議連議員でなければならない。そのようなことが何故起きないのか不思議でなりません。私たちは27年前と同じように朝も昼も夜もめぐみ達のことを想い、何を食べているのだろうか、病気になっていないだろうかと思っています。日本が必死にならなければ助かるものも助からないのに、どうしてみんな、怒ってくださらないのでしょうか。
小泉首相が2回目の訪朝をなさった前の日にも、私たちは会ってくださるようにお願いをしました。逢ってくださらなかったので、細田外務大臣にも、外務大臣にも一生懸命お願いをしました。「こんな馬鹿な、理不尽な事をされ続けて、怒ってください」とお願いしました。せっかくあちらのトップの方とお会いになるのだから、こんなチャンスはないんだから、目を見て話せるんですから、怒りを持って日本の国のために戦ってきてください。『返しなさい』と言ってくださいと一生懸命お願いしました。けれども、私達の想いとは遙かに違った回答が来たことは本当に残念な結果でした。
この国は何を考えているんだろうか、あのようにたくさんの人たちの命を虫けらのように向こうに押しやっても、もっと他にご自身で何かやりたい事がおありになるのだろうかと。自分は何か功績を挙げたとしても、こんなにたくさんのかわいそうな罪のない日本人の若者達が、そのあと山の中に放り出されてしまうかもしれない状況がはっきりしているのに、どうしてそれをまず一番に救出しようと言う気持ちがないのでしょうか。自分のお子さんであっても、その方達はそのようになさるのでしょうか。
私はほんとうに叫ばなければなりません。
日本の国のために私たちの大事な子供達、孫達がこの日本で平和に暮らして行かなくてはならないのに、このような大事な問題を放棄したままで、このままでこの問題が進んでいったときに日本の国は世界の国に笑われてしまうのではないでしょうか。あの国だったら、こんな事を言っても何も言わないだろう、何とかなるだろうというかたちでいろんな外交がすすめられ全てのことがいつもマイナスに働いていくのでしょうか。
私たちはこの大事な今こそ、この時代に生きている今こそ、犠牲を払って向こうで苦しんでいる子供達のためを犠牲者として放り投げてしまうことのないように、子供達孫達のためにも、今生きている私たちが大切なこの問題をしっかりと見て、絶対に救出する、必ず助ける、全部の拉致被害者を助けるために、日本中全部が怒ってあちらに向けてそれを言わなければならない時だと思っております。
どうか、これは皆様の一人一人の力が必要です。北朝鮮の多くの国民のかた方にも自由な人間らしい生活をして頂きたい。そして私たちも“正義”にあふれたすばらしい日本の国が運営されていくように、トップの方々がまずそのような想いをもって動いてくださる国になって欲しいと、そのようなすばらしい政治家が一日も早く一人、二人、三人と現れてこの国の政治を担って頂きたいと、毎日そのことを願っております。
どうか拉致被害者のめぐみをはじめたくさんの、見えないところにいらっしゃる被害者やご家族の方のためにもこの問題をどうぞ真剣に考えて頂いて一刻も早くせめて今年中にある程度の進展があるようにお力を貸してくださいますように、よろしくお願い申し上げます。
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2004年9月11日
公開講座 拉致事件を通して人権と教育を考える 東京砂防会館において
主 催 東京都教育庁 参加者約 850名
こんにちは、私は横田めぐみの母でございます。本当に長い間この拉致問題に関心を持って頂きましてみなさん、みえないところでいろんなところで私たちを支えてくださったおかげで今日までこうして救出活動してくることが出来ました。本当にありがとうございます。私たちは考えることも出来ないような拉致問題というのがこの日本の中で起きていました。19年間という間は国内事件の何かだったんだろういうことで警察の方と一緒に一生懸命にめぐみのことを探し続けて参りました。めぐみのことは本当にけむりのように消えたとしかいいようのない感じで、家のすぐ近くの曲がり角でめぐみは消えていました。そしてどんなに探してもテレビに出てもめぐみの消息は全くわからないで、どうしてこんなに解らないのだろうと、毎日いろんなことで悩み続け、生殺しのようで地獄のような毎日を過ごして参りました。
そんな中で北朝鮮に拉致されたと言うことが解りました。
こないだ引き上げられました不審船(工作船)の船底に閉じこめられて長い時間泣き叫びながら清津(チョンジン)に運ばれていったと言うことがはっきりといたしました。
それでも私たちはこんな平和な時代にこんなばかなことが日本で起きているのだろうかと半信半疑の中でおりましたけれど、安明進さんという北朝鮮亡命工作員による証言によってめぐみが金正日政治軍事大学の中で目撃されそして『確かにめぐみさんに違いありません』ということを証言してくださいまして、細やかなめぐみの様子などをお聞きして『あぁこれはめぐみに違いない。』と確信することが出来ました。
そのあと佐藤勝巳さん、西岡さんや荒木さん新潟の救う会のみなさん、ほんとうにたくさんの方がめぐみ達のことを真剣に考えてくださって『これは許せないことだ、何とかしなければ、助けなければ』ということで立ち上がってくださり、日本中でいろんな努力をして参りました。その中でアメリカのワシントンに、2度行って訴え、ジュネーブの国連にも訴えに行ってきました。その中で私たちは、ほんとうにすぐにでも場所が解ったんだから救出にいけるだろうという期待でいっぱいでしたけれど、このように運動をしている中で、これは大変なことなんだと言うことが解ってきました。そう簡単に取り戻すことはできないんだということが解ってきました。
それは北朝鮮がただの共産主義の国だと言うことだけではなくて、考えられないような独裁主義、恐怖政治の国というか私たちの知らなかった社会だということを学ばせて頂きました。そこから逃れるためにたくさんの亡命者の方がいろんなところに駆け込んで、命がけでとにかく助かればいいという想いだけで多くの人が逃げてきています。その方達の証言などでこれは大変なことなんだと言うことが解りました。
そんな中で、そんな国(北朝鮮)に対して日本政府が拉致問題を解決するためにどれだけ真剣にとりくんでいるのか心を尽くして取り組んで頂いているのかという疑問を抱かざるを得ませんでした。米支援の時も、金正男という金正日の息子と言われる人の渡航問題の急遽送還にいたしましても。。
ジュネーブに行きましたときも、私たちは一生懸命子供達の写真を持ってみなさんに訴えました。私たちが大切に育てた子供なんだから、勝手に連れて行ったんだから返してもらうのが当たり前だと訴えました。
このことは、私は涙なしには話せないのですが、その時あって頂いた、デメロさんという高等弁務官の方が本当に真剣に私たちの目をみつめて、鋭いまなざしで聞いてくださいました。『頑張りなさい。皆さんは良くやっています。そんなこと絶対に私は許すことが出来ない。私たちも努力するから、頑張りなさい。』と言ってくださったあの姿を忘れることが出来ませんけれども、その何ヶ月かあとにテロに対して立ち上がってくださったデメロさんが、テロで爆殺されてしまいました。その時はものすごいショックで悲しい思いがしました。
その時も(ジュネーブ国連人権委員会に訴えに行ったとき)北朝鮮と日本の政府から拉致に関する書類が提出されていました。けれどもデメロさんにお会いする前の日にも、どのように訴えようかと予行演習などにて時間を計ったりして準備をしていました。その時の日本から来た書類はたった一枚でした。たった11行だけ書いてありました。『めぐみちゃんについても、今は特に変わったことはありません』というように書いてありました。
けれども北朝鮮から提出された書類は何枚もありました。日本の過去にこんなことをしているのにこんなこと(拉致問題)ばかり言っているとか、いろんなのことが書いてありました。ほんとに上手にいろんなことが書いてありました。それをそのまま提出してしまうと、むこう(人権委員会)で書類を見てくださる方は、これは実に細やかに書いてある、これは本当じゃないかと思ってしまうわけですから、もっともっと日本政府は書くことがたくさんあるわけですから。(たとえば)松木さんの骨が違った人の骨が返ってきたとか、めぐみの娘キンヘギョンという娘がこんなに大きく育っていたとか、もっといっぱい書いて欲しいことがあったのに、そのようなことを何枚にも書いて頂きたかったのに、こんなに大変な想いをしてジュネーブに訴えに来ている、そんなときでさえもたった一枚の書類に11行に簡単に書かれている。このようなことでは、この拉致問題について外務省の方は真剣に取り戻そういう想いを持って取り組んでくださっているのだろうか、としか思えませんでした。
私たちは、「これは大変だ」と言うことで、一緒に行っている議員の方や救う会の方が一緒になって日本の方に話して、書き直してください。ちゃんとしてくださいとお願いしました結果、ようやく次の日に提出する前にぎりぎりで外務省の方から新しい書類が何枚にも書かれて送られてきました。それでようやくその書類を対抗して出して協議の場にまにあうということがあったわけです。
そういうことをいろいろ考えますと私たちはほんとに政府を信じたい、外務省を信じたい、そしてその人達にお願いしなければ、私たち個人ではこれは動けないことなので信じていかなければならないと、こうしてくれているかもしれない、ああして考えてくれているのかもしれないと一縷の望みを持って見ていましたけれど、いつもそのことはあっけなく裏切られてしまう。言わなければやって頂けない。必死になって頼まなければ届かない。大きな声で、みんなで戦って大きな声をださなければ変わっていかない。こんな国であって良いのでしょうか。
今も蓮池薫さんがお帰りになって言っていましたけれど『私たちは毎日だれかが助けに来てくれると思ってた。』と仰っていました。薫さんはお月様を見ながら『まっていればきっと助けに来てくれるに違いないと一生懸命待ったけれど何年間待っても誰も日本から助けてくれる人はいませんでした。』と仰っていました。『だから私たちは、これはしかたがない。北朝鮮で生きていくしかないんだと思って、それで私たちは北朝鮮人としていきる覚悟をした。180度心を入れ替えたのだ。』と薫さんは仰っていました。
めぐみは連れて行かれたあとも、一生懸命朝鮮語を勉強すれば必ずお母さんに逢わせてあげると言われて-彼女は本当にだれもしらない、言葉もわからない、どこかも解らない、何で自分がこんなところにいるのかも解らない(ところで)-家族に逢いたい想いで一生懸命に、初めての北朝鮮語を勉強したんだと思います。一生懸命に勉強して、日本に帰れるかもしれない、親に会えるかもしれないと思っていたのですけれども、結局それは果たされなかった。それでとうとう、精神的に破綻をきたして病院に入院したということが書かれてありました。こんなに若い年代で親から離れて、そして知らない国で恐ろしい監視の中で何とかしておとなしくしていなければ殺されるかもしれないと、一生懸命知恵を働かせて生きてきたんではないかと思います。めぐみは今あすこの国で生きているのかどうか。。。。
相変わらず私たちは27年前の新潟時代のあの寂しい秋の、もうすぐ来る11月のあの時と同じ想いで、まだ見えないめぐみの面影を一生懸命探し求めています。
どうかかえってきて欲しい、どんなところにいても命さえあれば必ずかえってこれるのですからと、私たちは一生懸命お祈りをしています。けれどもそれをしてくださる日本の国が本気で立ち上がって下されなければ取り返すことが出来ないのです。だから私たちは全国を歩いて、7年間歩き続けて、こうして皆さんの前に立ったようにたくさんの方々に訴えて続けて参りました。『みなさん、もしこんなような状態だったら皆様はどうなさいますか』と訴え続けて参りました。『向こうに行ったらもう帰れないんだから仕方がないんだよと諦めてしまえるのでしょうか。』自分の命を削っても倒れるまで声をあげ続けて助けてあげたいとお思いになるのではないでしょうか。
一生懸命育てた子供が、本当にたくさんの若者達が日本の国から、海岸から、街角から袋に詰められて、あのような船にあっという間に乗せられて、連れて行かれ、そして監視の中で恐ろしい中で一生懸命頑張っている。そこの国に馴染まなければと頑張っている。北朝鮮の人たちに日本語を教えるために先生をしているという話もありますけれど。日本の国にいれば、どんなにか何かのお役に立っていたかもしれないたくさんの若者達がこんなに理不尽に連れ去られ、その年月は27年、寺腰さんのように30年以上も長い苦しみの中に置き去りにされている。こんなことが許されるのでしょうか。
帰ってきた方達も、長い間子供と引き裂かれていました。そしてようやく子供達が日本の地を踏みました。私はみなさんが日本の国の土を踏んだとき、『あぁ、良かった、良く帰ってきた。良く帰ってきてくださったと。ほんとうにひとつの生命が助かったのだ。』と思いました。理不尽な国から逃れてきたということは大きな喜びです。私は本当に嬉しく思いました。
私たちの子供達も、必ずその日が来なければならないと思っています。
ほんとうにどうしたら日本の国はこの事が解決できるのでしょうか。450万名の署名が集められ、官邸に届けられ、今までにないような皆様方のご支援を得ていられる中でも、なかなかこの問題が進展していかない。そして報道も、多くの人たちが家族の帰国を待ち望んでいる、そのことにもっと(報道の視点が)いかないのでしょうか。
国会議員全部が拉致議連議員でなければならない。そのようなことが何故起きないのか不思議でなりません。私たちは27年前と同じように朝も昼も夜もめぐみ達のことを想い、何を食べているのだろうか、病気になっていないだろうかと思っています。日本が必死にならなければ助かるものも助からないのに、どうしてみんな、怒ってくださらないのでしょうか。
小泉首相が2回目の訪朝をなさった前の日にも、私たちは会ってくださるようにお願いをしました。逢ってくださらなかったので、細田外務大臣にも、外務大臣にも一生懸命お願いをしました。「こんな馬鹿な、理不尽な事をされ続けて、怒ってください」とお願いしました。せっかくあちらのトップの方とお会いになるのだから、こんなチャンスはないんだから、目を見て話せるんですから、怒りを持って日本の国のために戦ってきてください。『返しなさい』と言ってくださいと一生懸命お願いしました。けれども、私達の想いとは遙かに違った回答が来たことは本当に残念な結果でした。
この国は何を考えているんだろうか、あのようにたくさんの人たちの命を虫けらのように向こうに押しやっても、もっと他にご自身で何かやりたい事がおありになるのだろうかと。自分は何か功績を挙げたとしても、こんなにたくさんのかわいそうな罪のない日本人の若者達が、そのあと山の中に放り出されてしまうかもしれない状況がはっきりしているのに、どうしてそれをまず一番に救出しようと言う気持ちがないのでしょうか。自分のお子さんであっても、その方達はそのようになさるのでしょうか。
私はほんとうに叫ばなければなりません。
日本の国のために私たちの大事な子供達、孫達がこの日本で平和に暮らして行かなくてはならないのに、このような大事な問題を放棄したままで、このままでこの問題が進んでいったときに日本の国は世界の国に笑われてしまうのではないでしょうか。あの国だったら、こんな事を言っても何も言わないだろう、何とかなるだろうというかたちでいろんな外交がすすめられ全てのことがいつもマイナスに働いていくのでしょうか。
私たちはこの大事な今こそ、この時代に生きている今こそ、犠牲を払って向こうで苦しんでいる子供達のためを犠牲者として放り投げてしまうことのないように、子供達孫達のためにも、今生きている私たちが大切なこの問題をしっかりと見て、絶対に救出する、必ず助ける、全部の拉致被害者を助けるために、日本中全部が怒ってあちらに向けてそれを言わなければならない時だと思っております。
どうか、これは皆様の一人一人の力が必要です。北朝鮮の多くの国民のかた方にも自由な人間らしい生活をして頂きたい。そして私たちも“正義”にあふれたすばらしい日本の国が運営されていくように、トップの方々がまずそのような想いをもって動いてくださる国になって欲しいと、そのようなすばらしい政治家が一日も早く一人、二人、三人と現れてこの国の政治を担って頂きたいと、毎日そのことを願っております。
どうか拉致被害者のめぐみをはじめたくさんの、見えないところにいらっしゃる被害者やご家族の方のためにもこの問題をどうぞ真剣に考えて頂いて一刻も早くせめて今年中にある程度の進展があるようにお力を貸してくださいますように、よろしくお願い申し上げます。
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