※めぐみちゃんの偽遺骨に関して細田官房長官から北朝鮮へ制裁を含むメッセージが送られて5ヶ月、被害者家族は渋谷ハチ公前で訴えた。
横田早紀江さん(2005/5/24水曜日午後渋谷駅頭にて)
渋谷の皆様こんにちは、今日は内閣府に参りまして小泉総理に私たちの気持ちをもう一度お伝えするために5つのことを出してきました。
私たちは、ほんとうに考えられないような、恐ろしい事件に巻き込まれてしまいました。
これは、めぐみより一足先に帰った人であったかもしれない、めぐみより一足あとで学校から帰ってきた人かもしれない。誰がこのような目にあったかもわからない。どの人がこの拉致問題の罠におかれたかもしれないという本当に限りないほど恐ろしい問題が日本の中で行われ続けていたということなんです。
私のめぐみは、28年前に学校の帰りに、すぐ家の近くで拉致をされました。
私たちは、日本の中での何かの事件であろうとしか思いませんでしたし、警察も大変な大捜索をしてくださって、めぐみを捜し求めて、どんな細かいことまでも捜索をしてくださいましたけれども、めぐみの行方は米粒ほども得ることができませんでした。
そして、私たちは、20年近くの間、家族で探し続けて、泣きながら、ほんとに悲しい中を必死で生きてきました。
そして「どうしてこんなに、煙のように一人の人間が(不明)のように消えてしまうのだろうね」と毎日毎日、話し合っていました。
そして、9年前、突然めぐみちゃんが、北朝鮮の工作員に拉致をされて、北朝鮮の平壌にいるらしいという情報が入りました。もう、信じられない事でした。こんなこと、何でそんなところにいるのかと思いましたけれど、そのあといろいろと北朝鮮の勉強をしたり、いろいろな外交の中で私たちは本当に恐ろしい現実を目の当たりにいたしました。
けれども、めぐみちゃんが本当にあの国に生きていたのだという証拠が、キム・ヘギョンちゃんという、私たちが考えてもみなかった、これも不思議な孫が元気に育っておりました。
そして私たちのめぐみは、帰って来られた方、五名以外の8名の死亡とといわれる中に入れられておりました。
あんなに明るく、元気で歌をを歌ったり、そしてバトミントンの選手になって、これから頑張ろうとしていた子どもが、ただ学校から帰るその道で、何で何の罪もないのに袋に入れられて、あの不審船の船底に入れられて、連れて行かれなければならないのか?
そしてそのことはめぐみだけではなく、蓮池さんも地村さんも、そして、曾我ひとみさんも、みんな同じような状況の中で、突然襲われてそして袋に詰められて、あの不審船の船底に入れられ、泣き叫びながら北朝鮮に連れて行かれ、そして30年近くの間、あの国に監禁されて、どこかわからない、私たちにまだ見えない。どこに居るのでしょうか。山の中でしょうか。それとも平壌の大変難しい政治の中の一部に入れられて、そちらで仕事をさせられているのでしょうか。(私達には)わかりませんが、とにかくあの子どもたちは「元気で生きている」と私たちは信じて、このように闘ってまいりました。
そして昨年、めぐみの骨と言われるものが持ち帰られました。せっかく頑張って行ってくださった実務者協議の方々が「これは、めぐみさんと言われる骨を、夫と言われるキム・チョルジュさんが大切に大切にしていたものを、前の日になってやっと持って来ました」ということで持ち帰られました。
それでも私はその骨壷を見た時に「めぐみはこんなものではありません。元気でいます。こんなもの信じておりません」と言いました。
けれども、私たちがあの28年前、忽然と消えた、あの学生姿の白いブラウスと紺のスカートを着ためぐみの写真が、成人した2枚の写真と一緒に提出されました時は、骨以上に愕然と致しました。
あんなに捜し求めて、新潟の海岸を泣き叫びながら「めぐみちゃん、何処にいったの。何処にいるの」と「どこにいるのか教えて」と叫びながら、小さな弟たちと一緒に捜しまわっためぐみが、あの時の、あの姿が、そのままで写されて、出されてきたのです。
何と悲しい顔をしていたでしょうか。
寂しくて苦しくて恐ろしくて、「お母さん、どうしたらいいの?私は何でこんなところにいなければならないの?」という、何ともいえない眼差しで、その写真は私たち家族を見つめていました。弟たちも思わず男泣きに泣きました。私たちも涙を禁じることができませんでした。
そして骨が鑑定に出されるときも「この骨は公になってもよろしいでしょうか?」と薮中さんがおっしゃいましたが、「どうぞ出してください。そしてこの鑑定をしっかりとしていただいて、日本国民の皆さま方、全部にそれをはっきりとお知らせください」と申し上げました。
そして骨は鑑定されましたけれども、その骨は2人の他人のものでありました。まったく違う骨、そしてその骨壷に入れられた、北朝鮮の誰かわからないおふたりのその方々に対しても、私は本当に申し訳なくてなりません。身代わりとなってこのような政治の道具に使われて、遠い所まで骨壷に入れられて運ばれて来た名のないおふたりの方々の事をいつも想っています。
骨はめぐみのものではないということがはっきりと証明されました。北朝鮮がどんなに嘘をついて、次から次から私たちを、また、日本国民を欺こうとしているかということが、はっきりと表された瞬間でした。
それなのに、小泉総理は未だに「対話と圧力ですね」と、軽く手を振っていつも話をしていらっしゃいます。もしご自分のお子様が、お隣か、一軒隣のご主人に連れて行かれて、そしてこのような思いをさせられている時、みなさまは自分の子どものために何をなさるのでしょうか。その家の玄関まで行ってドアを打ち破ってでも蹴飛ばしてでも、その家に入り込んで、「何をするんだ」と怒鳴り込むんじゃないでしょうか。
(不明)国家犯罪として遠い国の中で行われていることですから北朝鮮に拉致をされた。誘拐をされたんだとわかっていても、それが現在見えない状況の中に置かれているために、なかなか、国民の皆さま方に見えないために、本気になっていただくことができないのかもしれません。
けれども、このような恐ろしいことがまだ解決されない、もっともっと多くの人たちが、若者たちが(拉致されているのです。)
今渋谷の街でこうしてお元気で、何にも考えないで平和だと思い込んで歩いていらっしゃる皆さまが、突然その角で夕方に拉致をされていっても、やはりこのようになっていくのでしょうか。
これは私たち家族だけの問題ではありません。日本国民の全部の大事な問題なんです。そして政治は、この時にはっきりとこの問題を解決するために、北朝鮮に毅然とした態度を示し、どんなことがあっても制裁をしてでも、「子どもたち全部を取り返すんだ」という姿勢を、私たち家族も、外務省も、警察も、官邸も、すべての国民全部が一つの心になってこのことと闘わなければ、多くの国の人たちは何と見ているでしょうか。
「日本は頼りないね、何をこんなに大変な命が囚われてしまって、30年近くも苦しんで助けを待っていても、何にもできないんだな、何だ、こんな国なんだったら何とでもできるから、こういうふうに交渉しなさい、ああいうふうにしなさい」ということで、あらゆる外交問題に日本の政治は馬鹿にされ続けていくことははっきりとしています。
この拉致問題のために、どんなに苦しくあちらの国で待ちわびている子どもたち。
曽我さんはお帰りになって言っておりました。「いつもめぐみちゃんと2人で一緒に勉強し、そして眠る時に誰もいなくなると、お布団の中で日本を想って泣きました。小さな小さな声で、日本語で、<埴生の宿>や<故郷>を歌って、早く誰かが助けに来てくれないか、と泣いたのですよ」と言ってらっしゃいました。
曽我さんは帰って来られましたが、まだまだ多くの日本の人たちが-めぐみもまだ-「ああ、曽我さんは帰ってしまった。私はいつ助けに来てくれるのだろうか」と毎日待ち望んでいると思います。
この大変な拉致問題を解決するために、総理を始め、政府の議員の方々、警察庁、官邸から、それからあらゆるこの国の全部(の機関)国民の方々が一つの心になって、「私が家族だったら、私だってこうしますよ」という想いを持って、この拉致問題を解決のために、頑張って頂きたいとお願いしております。
どうか皆さま、この拉致問題を(私達の)後の子どもたちや孫たちに、何の解決もなく残していくことはできません。
私たちはもう今年で70歳になろうとしております。いつまでこのような活動が続けられるかわかりませんが、元気な間は一生懸命に闘ってまいります。
どうか皆さま、私たちに力を貸してください。
力を貸して下さいというだけでなくて、皆さまご自身の問題として、日本の国家の大変な問題として取り扱っていただき、一緒に私たちに声を頂きたいと思います。
小泉総理も、その行動が、一日も早く日本の国家国民のためになるような方向に動いてくださいますように、そしてそれが取りも直さず、この国を本当に正しい国に導いてくださることなんだということを認識して頂きたいと願っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございます。
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横田早紀江さん(2005/5/24水曜日午後渋谷駅頭にて)
渋谷の皆様こんにちは、今日は内閣府に参りまして小泉総理に私たちの気持ちをもう一度お伝えするために5つのことを出してきました。
私たちは、ほんとうに考えられないような、恐ろしい事件に巻き込まれてしまいました。
これは、めぐみより一足先に帰った人であったかもしれない、めぐみより一足あとで学校から帰ってきた人かもしれない。誰がこのような目にあったかもわからない。どの人がこの拉致問題の罠におかれたかもしれないという本当に限りないほど恐ろしい問題が日本の中で行われ続けていたということなんです。
私のめぐみは、28年前に学校の帰りに、すぐ家の近くで拉致をされました。
私たちは、日本の中での何かの事件であろうとしか思いませんでしたし、警察も大変な大捜索をしてくださって、めぐみを捜し求めて、どんな細かいことまでも捜索をしてくださいましたけれども、めぐみの行方は米粒ほども得ることができませんでした。
そして、私たちは、20年近くの間、家族で探し続けて、泣きながら、ほんとに悲しい中を必死で生きてきました。
そして「どうしてこんなに、煙のように一人の人間が(不明)のように消えてしまうのだろうね」と毎日毎日、話し合っていました。
そして、9年前、突然めぐみちゃんが、北朝鮮の工作員に拉致をされて、北朝鮮の平壌にいるらしいという情報が入りました。もう、信じられない事でした。こんなこと、何でそんなところにいるのかと思いましたけれど、そのあといろいろと北朝鮮の勉強をしたり、いろいろな外交の中で私たちは本当に恐ろしい現実を目の当たりにいたしました。
けれども、めぐみちゃんが本当にあの国に生きていたのだという証拠が、キム・ヘギョンちゃんという、私たちが考えてもみなかった、これも不思議な孫が元気に育っておりました。
そして私たちのめぐみは、帰って来られた方、五名以外の8名の死亡とといわれる中に入れられておりました。
あんなに明るく、元気で歌をを歌ったり、そしてバトミントンの選手になって、これから頑張ろうとしていた子どもが、ただ学校から帰るその道で、何で何の罪もないのに袋に入れられて、あの不審船の船底に入れられて、連れて行かれなければならないのか?
そしてそのことはめぐみだけではなく、蓮池さんも地村さんも、そして、曾我ひとみさんも、みんな同じような状況の中で、突然襲われてそして袋に詰められて、あの不審船の船底に入れられ、泣き叫びながら北朝鮮に連れて行かれ、そして30年近くの間、あの国に監禁されて、どこかわからない、私たちにまだ見えない。どこに居るのでしょうか。山の中でしょうか。それとも平壌の大変難しい政治の中の一部に入れられて、そちらで仕事をさせられているのでしょうか。(私達には)わかりませんが、とにかくあの子どもたちは「元気で生きている」と私たちは信じて、このように闘ってまいりました。
そして昨年、めぐみの骨と言われるものが持ち帰られました。せっかく頑張って行ってくださった実務者協議の方々が「これは、めぐみさんと言われる骨を、夫と言われるキム・チョルジュさんが大切に大切にしていたものを、前の日になってやっと持って来ました」ということで持ち帰られました。
それでも私はその骨壷を見た時に「めぐみはこんなものではありません。元気でいます。こんなもの信じておりません」と言いました。
けれども、私たちがあの28年前、忽然と消えた、あの学生姿の白いブラウスと紺のスカートを着ためぐみの写真が、成人した2枚の写真と一緒に提出されました時は、骨以上に愕然と致しました。
あんなに捜し求めて、新潟の海岸を泣き叫びながら「めぐみちゃん、何処にいったの。何処にいるの」と「どこにいるのか教えて」と叫びながら、小さな弟たちと一緒に捜しまわっためぐみが、あの時の、あの姿が、そのままで写されて、出されてきたのです。
寂しくて苦しくて恐ろしくて、「お母さん、どうしたらいいの?私は何でこんなところにいなければならないの?」という、何ともいえない眼差しで、その写真は私たち家族を見つめていました。弟たちも思わず男泣きに泣きました。私たちも涙を禁じることができませんでした。
そして骨が鑑定に出されるときも「この骨は公になってもよろしいでしょうか?」と薮中さんがおっしゃいましたが、「どうぞ出してください。そしてこの鑑定をしっかりとしていただいて、日本国民の皆さま方、全部にそれをはっきりとお知らせください」と申し上げました。
そして骨は鑑定されましたけれども、その骨は2人の他人のものでありました。まったく違う骨、そしてその骨壷に入れられた、北朝鮮の誰かわからないおふたりのその方々に対しても、私は本当に申し訳なくてなりません。身代わりとなってこのような政治の道具に使われて、遠い所まで骨壷に入れられて運ばれて来た名のないおふたりの方々の事をいつも想っています。
骨はめぐみのものではないということがはっきりと証明されました。北朝鮮がどんなに嘘をついて、次から次から私たちを、また、日本国民を欺こうとしているかということが、はっきりと表された瞬間でした。
それなのに、小泉総理は未だに「対話と圧力ですね」と、軽く手を振っていつも話をしていらっしゃいます。もしご自分のお子様が、お隣か、一軒隣のご主人に連れて行かれて、そしてこのような思いをさせられている時、みなさまは自分の子どものために何をなさるのでしょうか。その家の玄関まで行ってドアを打ち破ってでも蹴飛ばしてでも、その家に入り込んで、「何をするんだ」と怒鳴り込むんじゃないでしょうか。
(不明)国家犯罪として遠い国の中で行われていることですから北朝鮮に拉致をされた。誘拐をされたんだとわかっていても、それが現在見えない状況の中に置かれているために、なかなか、国民の皆さま方に見えないために、本気になっていただくことができないのかもしれません。
けれども、このような恐ろしいことがまだ解決されない、もっともっと多くの人たちが、若者たちが(拉致されているのです。)
今渋谷の街でこうしてお元気で、何にも考えないで平和だと思い込んで歩いていらっしゃる皆さまが、突然その角で夕方に拉致をされていっても、やはりこのようになっていくのでしょうか。
これは私たち家族だけの問題ではありません。日本国民の全部の大事な問題なんです。そして政治は、この時にはっきりとこの問題を解決するために、北朝鮮に毅然とした態度を示し、どんなことがあっても制裁をしてでも、「子どもたち全部を取り返すんだ」という姿勢を、私たち家族も、外務省も、警察も、官邸も、すべての国民全部が一つの心になってこのことと闘わなければ、多くの国の人たちは何と見ているでしょうか。
「日本は頼りないね、何をこんなに大変な命が囚われてしまって、30年近くも苦しんで助けを待っていても、何にもできないんだな、何だ、こんな国なんだったら何とでもできるから、こういうふうに交渉しなさい、ああいうふうにしなさい」ということで、あらゆる外交問題に日本の政治は馬鹿にされ続けていくことははっきりとしています。
この拉致問題のために、どんなに苦しくあちらの国で待ちわびている子どもたち。
曽我さんはお帰りになって言っておりました。「いつもめぐみちゃんと2人で一緒に勉強し、そして眠る時に誰もいなくなると、お布団の中で日本を想って泣きました。小さな小さな声で、日本語で、<埴生の宿>や<故郷>を歌って、早く誰かが助けに来てくれないか、と泣いたのですよ」と言ってらっしゃいました。
曽我さんは帰って来られましたが、まだまだ多くの日本の人たちが-めぐみもまだ-「ああ、曽我さんは帰ってしまった。私はいつ助けに来てくれるのだろうか」と毎日待ち望んでいると思います。
この大変な拉致問題を解決するために、総理を始め、政府の議員の方々、警察庁、官邸から、それからあらゆるこの国の全部(の機関)国民の方々が一つの心になって、「私が家族だったら、私だってこうしますよ」という想いを持って、この拉致問題を解決のために、頑張って頂きたいとお願いしております。
どうか皆さま、この拉致問題を(私達の)後の子どもたちや孫たちに、何の解決もなく残していくことはできません。
私たちはもう今年で70歳になろうとしております。いつまでこのような活動が続けられるかわかりませんが、元気な間は一生懸命に闘ってまいります。
力を貸して下さいというだけでなくて、皆さまご自身の問題として、日本の国家の大変な問題として取り扱っていただき、一緒に私たちに声を頂きたいと思います。
小泉総理も、その行動が、一日も早く日本の国家国民のためになるような方向に動いてくださいますように、そしてそれが取りも直さず、この国を本当に正しい国に導いてくださることなんだということを認識して頂きたいと願っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございます。
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