「経験とは、誰もが自分の過ちに与える名前だ」。これはアイルランド出身の詩人で作家(劇作家)のオスカー・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)氏の名言。著作も多いが、後期の「『サロメ』(Salomé)(1893年:詩劇)、『裁きの家』(The House of Judgement)(1893年:散文詩)、『ウィンダミア卿夫人の扇』(Lady Windermere's Fan)(1893年:喜劇)、『スフィンクス』(The Sphinx)(1894年:詩集)、『つまらぬ女』(A Woman of No Importance)(1894年:喜劇)、『青年のための成句と哲学』(Phrases and Philosophies for the Use of the Young)(1894年:箴言)、『理想の夫』(An ideal Husband)(1895:戯曲)、『真面目が肝心』(The Importance of Being Earnest)(1895年:喜劇)、『レディング牢獄の唄』(The Ballad of Reading Gaol)(1898年:詩)辺りは傑作であり、読む者は魅了されよう。さてその名言だが、過ちを【経験】と言う言葉で済ませたくなるのは解る。だが実際、時が過ぎれば【経験】だろう。そんなものだと思う、その過ちは反省でもあり、苦い思いをするので、そこで学習をするものだ。さて今日は休みである。疲れていたのか寝過ぎてしまい、出だしが遅い。まだレストアされたカセットデッキ、TEAC「A-450」のテスト録音をしている。
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このカセットデッキの限界を知らないと、後々困るからだ。即ち特性で、限界を知れば無理をさせないので故障の予防にもなる。「なんだ、こんな事か?」と思うかも知れないが、実は電子回路もある機械を扱うには大切な事なのだ。今の処は良好だ。そこでそろそろレストアをして貰った業者に経過報告でもしようと思う。その録音テストでのソースも様々だが、1982年に伊.Cetraで発売されたフルトヴェングラーエディションにあるCMv・ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」でテスト録音だ。さっきテープのA面を聴いてみたが、まあま良かった。後にテープを選び、鑑賞用としよう。ノーマルテープでも腰の折れない音がした。ちなみにこのテストソースは(賛否はあるが、)最初期のステレオ録音だ。音質は勿論良い。だからテストソースとして使える。今日は、そんな一日だった。明日は、Bluetoothを利用して、テープのダビンヅ作業が出来ないか試してみよう。
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