元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

世界も歴史もなんもかも?

2024-07-18 06:53:47 | 独り言




「無かった事になっていく。世界も歴史もなんもかも、みんな消えてく夢のよに。もー『いいじゃんベイベー!』」と。こちらもロックミュージシャンの大槻ケンヂの名言だ。つまり風化だが、後世に残るものは、余程の事でなくては忘れ去られるだろう。寂しいが事実だ。さて今日も休みだ。午前中は、自身の持病の為に病院に行くが、午後からは難易度の低いカセットデッキの修理を試みようと思う。しかしながら今日も暑く、集中力が持続出来ればだ。近年の北海道の夏は暑い。なんと札幌は、昨日の気温を上回る予報だ。既に部屋の窓は開け、サーキュレーターを回しているが、蒸し暑くなる前兆は、もう表れている。そんな状態なので久々に怪談映画でも観ようと、大映京都が1959年に公開した「四谷怪談」を観た。お岩が中田康子、伊右衛門が長谷川一夫の名作だ。そこで思ったのは、この手の映画は暗い部屋で、大きなスクリーンに映写して観ないと「真価が解らない」と言う事が、改めて解った点だろう。実はそこに演出効果があり、画面が暗いからこそ、人間の想像力が発揮されるジャンルなのだ。だが近年に公開された、その手の映画を観ると、とにかく明るい。これでは想像力処ではないだろう。映画産業も長いが、現在までに確立された技術が風化しているように思うのは、小生だけだろうか?普通に考えれば、別にフォーマットが進化しても「演出は演出」だと思うのだが「古い考えなのか?」と。日本映画も最近は盛り返しているようだが、衰退した原因もあり、それが(近年は)アノ事務所によるものが殆どである。その辺を追及している評論がないのも権力追従か?だがそこの本穂とも潰れたので、盛り返すには良いチャンスだと思うのだが如何なものか?そんな事を思ったりする。




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