最終日は浜離宮恩賜庭園へ
港区周囲は徳川将軍の残された物が多い
公演は日々整備されて美しいです。東京湾周辺はどぶ臭いのが興ざめになります。
のんびり、木陰で休んで過ごしました。
午後は、三田の慶応義塾まで行きました。福沢諭吉さんもお疲れ様でした。
渋沢栄一さんへバトンが渡されましたね。いつまで紙幣が流通するのでしょう?
何処もかしこもキャッシュレス支払いが増え、セルフレジとか田舎出の爺さんは
まごつくばかりです。
東門前から
近くのファミレスで食事をする。日曜日なのに学生が一杯でした。
次は若いころに、立ち寄っていた新橋の横丁です。
サラリーマンや職人のおじさん達が帰宅前にひっかけていた。
立ち飲みの焼き鳥屋は、ウナギの肝とかよくたべた。
当時は赤ちょうちんがぶら下がっていた。
割烹やの店はだいぶ年期が入ってきた。アルバイトしていた女学生にヤクルトだったか?
おごっていた時代です。
かめやの立ち食いそばも残っていたが、当時とは内装もちがった。
メニューはうどんかおそばで揚げたての玉ねぎのかき揚げが入った
小ぶりの一品だった。160円ほどだったかな?
何年前の話かと言えば40年以上前になるのか・・・
実家のほうでも、高層の建物がならび古い木造の空き家が出てきた。
人の入れ替わりも多く、当時の風情が消えてゆきます。
そろそろ時間もよろしいようで、片付け掃除してお別れにします。
東京のいなかっぺ(東京ボン太だった?)は、食べて回る、見て回るくらいしかすること
がないようでした。それていて、すごく疲れを感じていた気がしたしました。
旧知の方々とも何時、今生のお別れになってもよい頃合いで、幼馴染も旅立った者も
ありますが、それまではピンピンさせていただきましょう。