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4日間漬け込み、熱燻製した。山桜の枝を切り水に漬け置き良く煙る。お金が無い、時間は掛けられる。亜硝酸塩など加工肉添加物も手に入らないので安全!
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當間寺奥の院の庭、浄土曼荼羅を感じます。新しい庭。
最終日は浜離宮恩賜庭園へ
港区周囲は徳川将軍の残された物が多い
公演は日々整備されて美しいです。東京湾周辺はどぶ臭いのが興ざめになります。
のんびり、木陰で休んで過ごしました。
午後は、三田の慶応義塾まで行きました。福沢諭吉さんもお疲れ様でした。
渋沢栄一さんへバトンが渡されましたね。いつまで紙幣が流通するのでしょう?
何処もかしこもキャッシュレス支払いが増え、セルフレジとか田舎出の爺さんは
まごつくばかりです。
東門前から
近くのファミレスで食事をする。日曜日なのに学生が一杯でした。
次は若いころに、立ち寄っていた新橋の横丁です。
サラリーマンや職人のおじさん達が帰宅前にひっかけていた。
立ち飲みの焼き鳥屋は、ウナギの肝とかよくたべた。
当時は赤ちょうちんがぶら下がっていた。
割烹やの店はだいぶ年期が入ってきた。アルバイトしていた女学生にヤクルトだったか?
おごっていた時代です。
かめやの立ち食いそばも残っていたが、当時とは内装もちがった。
メニューはうどんかおそばで揚げたての玉ねぎのかき揚げが入った
小ぶりの一品だった。160円ほどだったかな?
何年前の話かと言えば40年以上前になるのか・・・
実家のほうでも、高層の建物がならび古い木造の空き家が出てきた。
人の入れ替わりも多く、当時の風情が消えてゆきます。
そろそろ時間もよろしいようで、片付け掃除してお別れにします。
東京のいなかっぺ(東京ボン太だった?)は、食べて回る、見て回るくらいしかすること
がないようでした。それていて、すごく疲れを感じていた気がしたしました。
旧知の方々とも何時、今生のお別れになってもよい頃合いで、幼馴染も旅立った者も
ありますが、それまではピンピンさせていただきましょう。
東京、横浜の処分が無事に完了しました。
いつもの様に、ついでに上野の美術館巡りをする
上野公園の噴水池、江戸時代は寛永寺でしたが彰義隊が潰され廃仏毀釈で現在に
コルビュジェ作品西洋美術館の中庭
明治維新も556も226も同質の暴動と言われます。
失敗か成功か?勝利か敗北か?
勝てば官軍となり、その手で歴史が刻まれる。
良い部分も悪い部分も内包されているのが常のよう。
アメ横前の交差点、敗戦後の闇市から、ベトナム戦争時代の米軍の
流れ品などが多く扱われた、現在はアジア関連の店が多くなった
様子です。
賑わう浅草寺、スカイツリーが見える。ほこりと、蒸し暑くて
早々に、立ち去ることになる。
戻りは、吾妻橋から日の出ふ頭まで水上バスで、一時の涼を楽しむ。
少し、どぶ臭いようです。
出る前は雨を予想していたが、がらりと天気がかわり晴天の日々
私は東京タワーが好きな世代です。
芝公園では野鳥などが多く見る事ができる都会のオアシスですね。
芝公園周辺も、随分と開発が進んだ、結婚式をあげたクレッセントハウス
の建物も消えて、夏にはビヤガーデンで賑わった芝プリンスホテル
(若いころにアルバイトさせてもらった)、クックルククーっと
あの時のラテン音楽が聞こえてくるよう。
増上寺内にある徳川家廟です。
外国人ツーリストがスマホを見せてたずねられた。
「滝はどこですか?」って。
聞いた覚えがなく、滝の名前を聞いたら
もみじの滝と言うそうだ。
ごめん、聞いたことがないね。
増上寺の角を東京タワーへ向かいます。
暑いので、タワー手前の緑地にあるベンチに座り一休みすると、看板があるので
見に行くと”もみじの滝”だった。オイオイっとあの旅人を探し歩き、見つけて
滝を教えてあげた。東京にいったときは気にもとめなかった滝の事を、外人に
教えられた。
目立たない小さな滝です。
写真データが重いかな?
つづきは明日にします。