薬剤師はピンキリって聞くけど
って
まだ病院で研修生やっていた頃に
うたごえグループの仲間がチラリと
口にしたのが妙に印象に残っていた
その頃も、自分に自信がなかったけれど
そのまま猛勉強することなく
出来ないままに、他のことに手を出して
やり過ごして
結婚して病院薬剤師から逃げてしまった
そのころの薬剤師は
ひたすらピッキングが中心だった
正確に速く処方箋通りにお薬を揃えること
あるいは散剤を計量すること
がまず出来ることが前提である
散剤の常用量の計算とか そういうことも
出来ないまま
日々憂鬱にすごしていた
添付文書を持ち帰り、集めたり
少しの努力はしようとは思っていたものの
結局
自分は薬剤師には向いていないんだ
と勝手に思っていた
仕事の面白さが見いだされなかった
しかし、やたら調剤室への懐かしい気持ちだけは
今も残っている
お薬のたくさん並んだ棚を見ると
ちょっぴりワクワクしてしまう
結婚して出産して夫の仕事で渡米して
帰国し子どもが幼稚園、学校へ行くようになり
ひとりの時間が出来ると
今度は免許を使ってパートに出ることを考えた
近くの薬店へ自転車で週何度か通ってみた
その頃は、まだ景気が良くて
今から思えば狭くて汚い店に、たくさんのお客が集まっていた
レジ打ちが慣れなくて
無資格の白衣を着たパートのおばさんに
ほとんど無視された
私より若い薬剤師の子は
好かれていたらしく、
同じおばさんにたくさん話しかけられていた…
自分は人と馴染むのに時間がかかる性質なんだろうな
とも思うけれど
それより前に 自分は嫌われている などと
考えて委縮してしまう
それより仕事への本気度が違うから
根を張って居場所を勝ち得ることが出来ないのだろう
とも考える
ともかくもその店は
ちょうど?人間関係がイヤになった頃に
引っ越しすることになったことを幸いに辞めることが出来た
引っ越し後、しばらくは家にいたが
ダスキンの集金などで小遣い稼ぎをしている時に
近場のスーパー新店オープンで
薬剤師を募集していることがわかり
応募してしまった
当初は年輩の厳しい薬剤師の先輩を怖がったり
色々なこともあったけれど
概ね楽しく仕事をしていた
市販薬の知識も少しは蓄えられた
が、賃貸マンションから一軒家への引っ越しや
ダスキン集金の仕事との兼ね合いや
子どものこと…
一度に多くのことが受け止められなくなり
精神的に病んでしまい、
続けられなくなった
そうして子どもの中学受験が終わって一段落すると
また勤めたくなった
選んだ先は、漢方を扱う診療所
もっとしっかり勉強すれば良かったと
苦い思いで、思いだされる
私はそこの老ドクターが何種類もの漢方薬を
「おやつと同じ」という感覚で何倍もの量を
どんどん処方されるのが怖かった
投薬は古手の事務さんがやっていた
全てを牛耳っているそこの事務さん2人は仲が良くなく
双方の悪口蔭口を聞かされた
しかし、概ね私は親切に迎えてもらった
歓迎会までしてくれたし
パソコンの苦手な先生には教えてほしいと言ってもらえた
期限切れのお薬を一気に処分させてもらった
そんな環境でいることにもっと私は感謝すべきだったし
もっともっと漢方薬について
わからないのなら
噛り付いてでも勉強すべきだったのに
カルテにかかれた読みにくい先生の文字への不満は
自分が調剤を間違えることへの
言い訳だった
監査も古手の資格のないパートさんが
やってくれたが
完全に私より彼女達パートの方が仕事が出来た
考えてみれば
その時も調剤が普通の人より正確に出来ないことには
気付けていたはずだった
性懲りもなく
私はその「大量の漢方薬」から逃げるために
調剤薬局へ移ることにしてしまった
初めて勤めた調剤薬局で
私は周囲にあきれられる立場になった
食いつこうとしたけれど
全てが裏目に出てしまい
深く病んだ
今思うと、あの頃も相当苦しかった
泣きながら過ごした日々
今、この線路の上から飛び降りたら
楽になるかも、 と何度か思った
(恐らく私を心配した)夫には
薬の本とカバンを投げつけられて
ビリビリに破った
もう一生調剤はしない と決心した
それからはしばらく離れていたのだけれど
またドラッグストアに縁あって勤めることになっていた
OTCだけ。と
思っていたのに
10年ほど経つうちに
また調剤の波に巻き込まれた
あとは割愛
これだけ色々な職場をふらふらと経験したのは珍しいかも知れない
良いことだとは決して言えないだろうし
軽蔑やもしかしたら同情はされたとしても
褒められた話じゃない
どちらかといえば 恥ずかしい、隠しておきたい話である
曲がりなりにも薬剤師として勤めていたのであるが
知識は万全とは全然言えないだろう
そんな私も一応は昨年、認定薬剤師の資格は取った
6年制卒業生の国試レベルの問題は解けるようにはとも
考えてはいる が実情全然なのではあるが
今はどこから手をつけて良いのか
またもやさまよっている状態である
60にもなって、である
目の前のことをしていくしか
ないのか とも思っている
今一緒にいる薬剤師の年輩男性は
研究職にいた人だから
私の様にバタバタ走り回るようなタイプじゃない
薬の知識もひょっとしたら同じくらいかな
と勝手に思ったりしている
会社側は、幸い私を「若い」と考えて
POP作りや売り場作成や管理、パソコンの仕事を
回してくれる
けれども、人員的には余っているから
他部門の商品整理とか 誰でも出来るような仕事まで
回される
他部門のパートさんと仲良くなるには
例によって私にはなかなか時間がかかってしまう
お客さまには時に信じられないような言動をされることもある
こちらは買ってもらう立場なのだから
それは仕方のないことであり
これは調剤薬局や病院ではないことだろう
ダイレクトに自分の薦めたいお薬を薦められる
のも楽しさのひとつである
処方箋どおりにお薬を揃えて
あるいは処方箋の中のお薬の処方意図を探り
処方量、相互作用、をすばやく検討し
もちろん正確にお薬を揃えて
きっちり説明して、薬歴を管理する
そりゃ高等なお仕事だろうけれど
今の私には やっぱり実力的に無理なのである
もうバカにされたって良いじゃないか
自分が自分をバカにしなければ
それで良いのだ
よく考えれば
自分で自分をバカにしているから
バカにされている と感じているだけなのかも知れない
市販薬
という目の前の課題に
もっと真剣に
浮気しないで
見つめようかと 考え始めている
(続く)
って
まだ病院で研修生やっていた頃に
うたごえグループの仲間がチラリと
口にしたのが妙に印象に残っていた
その頃も、自分に自信がなかったけれど
そのまま猛勉強することなく
出来ないままに、他のことに手を出して
やり過ごして
結婚して病院薬剤師から逃げてしまった
そのころの薬剤師は
ひたすらピッキングが中心だった
正確に速く処方箋通りにお薬を揃えること
あるいは散剤を計量すること
がまず出来ることが前提である
散剤の常用量の計算とか そういうことも
出来ないまま
日々憂鬱にすごしていた
添付文書を持ち帰り、集めたり
少しの努力はしようとは思っていたものの
結局
自分は薬剤師には向いていないんだ
と勝手に思っていた
仕事の面白さが見いだされなかった
しかし、やたら調剤室への懐かしい気持ちだけは
今も残っている
お薬のたくさん並んだ棚を見ると
ちょっぴりワクワクしてしまう
結婚して出産して夫の仕事で渡米して
帰国し子どもが幼稚園、学校へ行くようになり
ひとりの時間が出来ると
今度は免許を使ってパートに出ることを考えた
近くの薬店へ自転車で週何度か通ってみた
その頃は、まだ景気が良くて
今から思えば狭くて汚い店に、たくさんのお客が集まっていた
レジ打ちが慣れなくて
無資格の白衣を着たパートのおばさんに
ほとんど無視された
私より若い薬剤師の子は
好かれていたらしく、
同じおばさんにたくさん話しかけられていた…
自分は人と馴染むのに時間がかかる性質なんだろうな
とも思うけれど
それより前に 自分は嫌われている などと
考えて委縮してしまう
それより仕事への本気度が違うから
根を張って居場所を勝ち得ることが出来ないのだろう
とも考える
ともかくもその店は
ちょうど?人間関係がイヤになった頃に
引っ越しすることになったことを幸いに辞めることが出来た
引っ越し後、しばらくは家にいたが
ダスキンの集金などで小遣い稼ぎをしている時に
近場のスーパー新店オープンで
薬剤師を募集していることがわかり
応募してしまった
当初は年輩の厳しい薬剤師の先輩を怖がったり
色々なこともあったけれど
概ね楽しく仕事をしていた
市販薬の知識も少しは蓄えられた
が、賃貸マンションから一軒家への引っ越しや
ダスキン集金の仕事との兼ね合いや
子どものこと…
一度に多くのことが受け止められなくなり
精神的に病んでしまい、
続けられなくなった
そうして子どもの中学受験が終わって一段落すると
また勤めたくなった
選んだ先は、漢方を扱う診療所
もっとしっかり勉強すれば良かったと
苦い思いで、思いだされる
私はそこの老ドクターが何種類もの漢方薬を
「おやつと同じ」という感覚で何倍もの量を
どんどん処方されるのが怖かった
投薬は古手の事務さんがやっていた
全てを牛耳っているそこの事務さん2人は仲が良くなく
双方の悪口蔭口を聞かされた
しかし、概ね私は親切に迎えてもらった
歓迎会までしてくれたし
パソコンの苦手な先生には教えてほしいと言ってもらえた
期限切れのお薬を一気に処分させてもらった
そんな環境でいることにもっと私は感謝すべきだったし
もっともっと漢方薬について
わからないのなら
噛り付いてでも勉強すべきだったのに
カルテにかかれた読みにくい先生の文字への不満は
自分が調剤を間違えることへの
言い訳だった
監査も古手の資格のないパートさんが
やってくれたが
完全に私より彼女達パートの方が仕事が出来た
考えてみれば
その時も調剤が普通の人より正確に出来ないことには
気付けていたはずだった
性懲りもなく
私はその「大量の漢方薬」から逃げるために
調剤薬局へ移ることにしてしまった
初めて勤めた調剤薬局で
私は周囲にあきれられる立場になった
食いつこうとしたけれど
全てが裏目に出てしまい
深く病んだ
今思うと、あの頃も相当苦しかった
泣きながら過ごした日々
今、この線路の上から飛び降りたら
楽になるかも、 と何度か思った
(恐らく私を心配した)夫には
薬の本とカバンを投げつけられて
ビリビリに破った
もう一生調剤はしない と決心した
それからはしばらく離れていたのだけれど
またドラッグストアに縁あって勤めることになっていた
OTCだけ。と
思っていたのに
10年ほど経つうちに
また調剤の波に巻き込まれた
あとは割愛
これだけ色々な職場をふらふらと経験したのは珍しいかも知れない
良いことだとは決して言えないだろうし
軽蔑やもしかしたら同情はされたとしても
褒められた話じゃない
どちらかといえば 恥ずかしい、隠しておきたい話である
曲がりなりにも薬剤師として勤めていたのであるが
知識は万全とは全然言えないだろう
そんな私も一応は昨年、認定薬剤師の資格は取った
6年制卒業生の国試レベルの問題は解けるようにはとも
考えてはいる が実情全然なのではあるが
今はどこから手をつけて良いのか
またもやさまよっている状態である
60にもなって、である
目の前のことをしていくしか
ないのか とも思っている
今一緒にいる薬剤師の年輩男性は
研究職にいた人だから
私の様にバタバタ走り回るようなタイプじゃない
薬の知識もひょっとしたら同じくらいかな
と勝手に思ったりしている
会社側は、幸い私を「若い」と考えて
POP作りや売り場作成や管理、パソコンの仕事を
回してくれる
けれども、人員的には余っているから
他部門の商品整理とか 誰でも出来るような仕事まで
回される
他部門のパートさんと仲良くなるには
例によって私にはなかなか時間がかかってしまう
お客さまには時に信じられないような言動をされることもある
こちらは買ってもらう立場なのだから
それは仕方のないことであり
これは調剤薬局や病院ではないことだろう
ダイレクトに自分の薦めたいお薬を薦められる
のも楽しさのひとつである
処方箋どおりにお薬を揃えて
あるいは処方箋の中のお薬の処方意図を探り
処方量、相互作用、をすばやく検討し
もちろん正確にお薬を揃えて
きっちり説明して、薬歴を管理する
そりゃ高等なお仕事だろうけれど
今の私には やっぱり実力的に無理なのである
もうバカにされたって良いじゃないか
自分が自分をバカにしなければ
それで良いのだ
よく考えれば
自分で自分をバカにしているから
バカにされている と感じているだけなのかも知れない
市販薬
という目の前の課題に
もっと真剣に
浮気しないで
見つめようかと 考え始めている
(続く)