「おれと五匹と一匹」
おれの住むアパートの塀のそとに、まだ目も開いていないねこの赤ちゃんが、捨てられて、ぴゃーぴゃー泣いていた。
しょうがねえな、と思い、とりあえず、部屋のなかに入れてやった。
まだ生まれたばかりだった。 手のひらに乗るくらいちっちゃくて、抱き上げるとくずれそうなくらい、やわらかかった。 そして、あたたかった。
おれは、そのねこの世話をすることにした。
バニラ・アイスのカップに入れられていたから、「バニラ」 と名付けた。
とにかく、目が開くまでがたいへんだった。 ミルクを飲ませてやったり、トイレの世話をしてやったり。
後ろ足がなかなか立たなくて、ひょっとしたら、歩けないのかな、と思ったけれど、やがて、目が開くころには、しっかりと立てるようになった。 自由に歩けるようになってからは、やんちゃになりすぎて、こっちが翻弄されるくらいだった。 おれが家に帰ってくると、おれの大事なアナログ・レコードが散乱していたり、ギター・ケースに小便をされたり。 さすがに怒ってやろうと思ったけれど、情けなさそうな、ぴゃーという泣き声を聞くと、どうしても怒る気になれなかった。
ある夜のこと、いっしょに寝ていると、バニラが、とつぜん おれの手のひらをちゅーちゅーと吸い出したことがあった。 ほかにも、枕やふとん、ヌイグルミなどのやわらかいものを見つけては、ちゅーちゅーちゅーちゅー、際限もなく吸うようになった。 そして、仕舞いには、じぶんの前足の肉球をちゅーちゅーやるようになった。
ああ。 きっと、お乳が恋しいのだな、と思った。
目も開いていないころに捨てられたのだから、きっと、母親のお乳を吸うこともできなかったのだろう。
かわいそうなやつだ。 これから先も、ずっとお乳を恋しがっていくのだろうか。
それから、一年ほど経って、また、目も開いていないねこの赤ちゃんが、塀のそとで、みゃーみゃー泣いていた。
そいつは、チョコ・アイスのカップに入れられていたので、「チョコ」 と名付けた。
チョコがやってきたとき、さいしょは戸惑っていたバニラだったが、なんとなく、母性のようなものが目覚めたのか、チョコの世話をするようになりはじめた。 じぶんがまもってあげなくて、ほかにだれが? という義務感にでもかられているかのように。
チョコは、目を開くようになると、バニラと同じように、お乳を恋しがりはじめた。 おれの手を吸ったり、ふとんを吸ったり。 そして、やがて、バニラのおっぱいを吸いはじめた。 さいしょはいやがっていたバニラだが、あきらめたのか、「母親」 としての義務感からか、身を固くして、なにも出るものがないお乳を、チョコに吸わせてやるのに堪えた。
そのうち、バニラ自身の乳吸い癖は、なくなった。 どういうことだろうか。 擬似的にお乳をあげることで、自身のお乳への執着というか欠乏感を置き換えることができるのだろうか?
その一年後、またまた目も開いていないねこの赤ちゃんが、塀のそとで、にゃーにゃー泣いていた。
抹茶アイスのカップに入れられていたから、「マッチャ」 と名付けた。
バニラとチョコの関係と同じように、チョコがマッチャの世話をしはじめた。 マッチャはチョコのお乳を吸った。 そして、チョコは バニラのお乳を吸うことをしなくなった。
その一年後には、「アズキ」 が仲間となった。
やはり同じように、マッチャがアズキの世話をはじめ、アズキはマッチャのお乳を吸って、やがて、マッチャの乳吸い癖がなくなって ... 。
そして、さらに一年後には、「イチゴ」 が。
やはり同じである。 アズキがイチゴの世話をして、イチゴがアズキの乳を吸い、アズキの乳吸い癖が ... 。
この調子では、また一年後に、お乳を恋しがる赤ちゃんねこを拾わなければ、イチゴだけが、やり場のない、お乳への執着と欠乏、渇望をかかえたままになってしまうかもしれない。 ひょっとしたら、微妙なバランスで保たれてきたわが家の事情が、一変してしまうのでは ... 。
目も開いていない赤ん坊のねこを捨てるなんて、なんてひどいことをするやつだ (、たぶん、ぜんぶ同じやつだろうか)、と思っていたけれど。
どきどきしながら、いつもの季節を待つと、
今度は、目も開いていない 犬 の赤ちゃんが、塀の外に捨てられて、くぅーくぅー鳴いていた。
レディー・ボーデンのカップに入れられていたので、「ボーデン」 と名付けた。
はたして、イチゴとボーデンの関係がどうなるのか、おれにはわからない。 けれど、こうする以外に、なにか方法があるだろうか?
おれと五匹と一匹を、どうか、見守りたまえ !
BGM:
Stray Cats “Something Else”
おれの住むアパートの塀のそとに、まだ目も開いていないねこの赤ちゃんが、捨てられて、ぴゃーぴゃー泣いていた。
しょうがねえな、と思い、とりあえず、部屋のなかに入れてやった。
まだ生まれたばかりだった。 手のひらに乗るくらいちっちゃくて、抱き上げるとくずれそうなくらい、やわらかかった。 そして、あたたかった。
おれは、そのねこの世話をすることにした。
バニラ・アイスのカップに入れられていたから、「バニラ」 と名付けた。
とにかく、目が開くまでがたいへんだった。 ミルクを飲ませてやったり、トイレの世話をしてやったり。
後ろ足がなかなか立たなくて、ひょっとしたら、歩けないのかな、と思ったけれど、やがて、目が開くころには、しっかりと立てるようになった。 自由に歩けるようになってからは、やんちゃになりすぎて、こっちが翻弄されるくらいだった。 おれが家に帰ってくると、おれの大事なアナログ・レコードが散乱していたり、ギター・ケースに小便をされたり。 さすがに怒ってやろうと思ったけれど、情けなさそうな、ぴゃーという泣き声を聞くと、どうしても怒る気になれなかった。
ある夜のこと、いっしょに寝ていると、バニラが、とつぜん おれの手のひらをちゅーちゅーと吸い出したことがあった。 ほかにも、枕やふとん、ヌイグルミなどのやわらかいものを見つけては、ちゅーちゅーちゅーちゅー、際限もなく吸うようになった。 そして、仕舞いには、じぶんの前足の肉球をちゅーちゅーやるようになった。
ああ。 きっと、お乳が恋しいのだな、と思った。
目も開いていないころに捨てられたのだから、きっと、母親のお乳を吸うこともできなかったのだろう。
かわいそうなやつだ。 これから先も、ずっとお乳を恋しがっていくのだろうか。
それから、一年ほど経って、また、目も開いていないねこの赤ちゃんが、塀のそとで、みゃーみゃー泣いていた。
そいつは、チョコ・アイスのカップに入れられていたので、「チョコ」 と名付けた。
チョコがやってきたとき、さいしょは戸惑っていたバニラだったが、なんとなく、母性のようなものが目覚めたのか、チョコの世話をするようになりはじめた。 じぶんがまもってあげなくて、ほかにだれが? という義務感にでもかられているかのように。
チョコは、目を開くようになると、バニラと同じように、お乳を恋しがりはじめた。 おれの手を吸ったり、ふとんを吸ったり。 そして、やがて、バニラのおっぱいを吸いはじめた。 さいしょはいやがっていたバニラだが、あきらめたのか、「母親」 としての義務感からか、身を固くして、なにも出るものがないお乳を、チョコに吸わせてやるのに堪えた。
そのうち、バニラ自身の乳吸い癖は、なくなった。 どういうことだろうか。 擬似的にお乳をあげることで、自身のお乳への執着というか欠乏感を置き換えることができるのだろうか?
その一年後、またまた目も開いていないねこの赤ちゃんが、塀のそとで、にゃーにゃー泣いていた。
抹茶アイスのカップに入れられていたから、「マッチャ」 と名付けた。
バニラとチョコの関係と同じように、チョコがマッチャの世話をしはじめた。 マッチャはチョコのお乳を吸った。 そして、チョコは バニラのお乳を吸うことをしなくなった。
その一年後には、「アズキ」 が仲間となった。
やはり同じように、マッチャがアズキの世話をはじめ、アズキはマッチャのお乳を吸って、やがて、マッチャの乳吸い癖がなくなって ... 。
そして、さらに一年後には、「イチゴ」 が。
やはり同じである。 アズキがイチゴの世話をして、イチゴがアズキの乳を吸い、アズキの乳吸い癖が ... 。
この調子では、また一年後に、お乳を恋しがる赤ちゃんねこを拾わなければ、イチゴだけが、やり場のない、お乳への執着と欠乏、渇望をかかえたままになってしまうかもしれない。 ひょっとしたら、微妙なバランスで保たれてきたわが家の事情が、一変してしまうのでは ... 。
目も開いていない赤ん坊のねこを捨てるなんて、なんてひどいことをするやつだ (、たぶん、ぜんぶ同じやつだろうか)、と思っていたけれど。
どきどきしながら、いつもの季節を待つと、
今度は、目も開いていない 犬 の赤ちゃんが、塀の外に捨てられて、くぅーくぅー鳴いていた。
レディー・ボーデンのカップに入れられていたので、「ボーデン」 と名付けた。
はたして、イチゴとボーデンの関係がどうなるのか、おれにはわからない。 けれど、こうする以外に、なにか方法があるだろうか?
おれと五匹と一匹を、どうか、見守りたまえ !
BGM:
Stray Cats “Something Else”