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故郷は、遠きにありて、思うもの

2004年08月16日 23時03分06秒 | 想在
 休みが明けて、今日から、会社へ。

 今年は、実家には帰らなかった。

 わが家系は大家族。

 祖父母も、両親も、私自身も、兄弟が多いので、お盆ともなると、いつもにぎやかだ。

 しかし。 私のいちばんうえの兄など、私の九歳年長なので、兄弟という気がしなかった ... と言ったら、兄に失礼だろうか。

 いや、でも、ほんとうに、私が幼稚園、小学生のころに、すでに高校生とかなわけで、兄というよりは、おじさん、という感じで、まったくなじめなかった。 いまにして思うと、かわいくない妹だったのだろうな、とは思うけれど、こわかったのだから、しょうがない。

 そんな長兄とは、ずっと、打ち解けて話ができなかった。

 小さなころに植えつけられてしまった恐怖心を、なかなか克服できなかったのだろう。

 家のなかで、妙にいつも、どきどきと、かしこまっているような、ぎこちない子どもであった。

 そんな私も、東京に出てきて、ひとり暮らしをはじめてからは、だれに遠慮するでもなく、思う存分、好き勝手に生きているが。

 はなれてみると、両親のありがたさ、兄弟のやさしさ、家族の良さ、というものがわかって、帰る場所があるというのは、いいことだなあ、と、思うようになって ... 。

 いまでは、実家に帰れば、幼いころに打ち解けられなかった長兄とも、酒を酌み交わすくらいである。 とおいむかし話を語りながら。

 こんなことは、幼いころには、考えられなかった。

 はなれてみてこそ、できたことなのだろうか。 そして、たまに、帰るから、いいのかなあ ... 。



 ああ、そうだ。 ここで、あるエピソードを。

 先日、知人に、旅行土産として、風鐸 (風鈴) を買って、送った。

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」 という、室生犀星さんの詩の一節が、風鐸の舌 (糸で吊るされた短冊) に書かれているものを。

 窓の外に吊るしていたら、その短冊が、台風にさらわれて、どこかに飛んで行ってしまったらしい。

 知人は、申し訳ない、と、あやまっていたけれど。

 きっと、遠きにありて思いきれずに、故郷に帰っていったのだろうか ... ? と思うことにしている。





 関連リンク:
 ・『室生犀星記念館』
 ・Blue Signal - 「室生犀星(石川県)」



 BGM:
 Olivia Newton-John ‘Take Me Home, Country Road’

コメント (12)
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