小学生のときからの大嫌いな言葉があります。
それは、これ↓
先生が遠足のときや、なにか班分けをするときなどに
不用意に使う言葉。
「好きな人と〇人グループになってください」
先生は、この言葉が、イジメや、マイナスの空気、ネガティブな気持ち、
または、不必要な人間関係の対立や葛藤を作り出しているという自覚を持って使っていますか?
「好きな人と」ということは、グループに入れなかった人は
嫌いだから、という意味を持ってしまいませんか?
もしくは、「嫌いな人とはグループにならなくていいですよ」という意味を
孕んでいませんか?
また、人数を決めつけて言うので、
好きな人じゃないわけじゃないけど、ちょっと出遅れたり、
人数制限ではみ出してしまう場合もありますよね。
とくに影響力のある立場の人は、
排除された人や子どもの気持ちを考えない言葉を
使わない方がいいと思います。
自分の言葉が、正確に言いたいことを伝える言葉になっていますか?
この場合、正確には
「ご自由に」
「誰とグループを組んでもいいですよ」が正しいのではないでしょうか。
名前の順とか、背の順とか、学校にはいろいろな順番がありますが
そういう順番はなくて、誰とグループになってもいい、という意味じゃないのでしょうか。
言葉は、伝えたい意味に最も近い言葉を選んで使いたいものです。
一度もはみ出したことのない子や、
はみ出しても、何とも思わない子なら良かったのですが、
私は、誰と組もうかと見回したときに、はみ出していたりすると、
とてもとても傷つく子どもでした。
なので、自分が最初に就職した幼稚園教諭のときも、
今の大学教員になってからも、企業の研修や、講演のときも、
誰かと組んで、ペアワークやグループワークをしてもらうときには、
「誰でもいいので」
「近くの方と」
という言葉を使い、
人数が割り切れないこともあるので、必ず数に幅をもたせて
「3人か、4人か、5人になってください。
2人の人は3人のところと合体して、6人のところは3人ずつに分裂してください」
と、言います。
そして、
「周りを見て、後ろや離れた横のほうに、まだ入っていない人がいたら、声をかけてあげてください」
と言います。
学びの場で、さみしい気持ちになる必要なんて、1ミリもありませんもの。
それは、これ↓
先生が遠足のときや、なにか班分けをするときなどに
不用意に使う言葉。
「好きな人と〇人グループになってください」
先生は、この言葉が、イジメや、マイナスの空気、ネガティブな気持ち、
または、不必要な人間関係の対立や葛藤を作り出しているという自覚を持って使っていますか?
「好きな人と」ということは、グループに入れなかった人は
嫌いだから、という意味を持ってしまいませんか?
もしくは、「嫌いな人とはグループにならなくていいですよ」という意味を
孕んでいませんか?
また、人数を決めつけて言うので、
好きな人じゃないわけじゃないけど、ちょっと出遅れたり、
人数制限ではみ出してしまう場合もありますよね。
とくに影響力のある立場の人は、
排除された人や子どもの気持ちを考えない言葉を
使わない方がいいと思います。
自分の言葉が、正確に言いたいことを伝える言葉になっていますか?
この場合、正確には
「ご自由に」
「誰とグループを組んでもいいですよ」が正しいのではないでしょうか。
名前の順とか、背の順とか、学校にはいろいろな順番がありますが
そういう順番はなくて、誰とグループになってもいい、という意味じゃないのでしょうか。
言葉は、伝えたい意味に最も近い言葉を選んで使いたいものです。
一度もはみ出したことのない子や、
はみ出しても、何とも思わない子なら良かったのですが、
私は、誰と組もうかと見回したときに、はみ出していたりすると、
とてもとても傷つく子どもでした。
なので、自分が最初に就職した幼稚園教諭のときも、
今の大学教員になってからも、企業の研修や、講演のときも、
誰かと組んで、ペアワークやグループワークをしてもらうときには、
「誰でもいいので」
「近くの方と」
という言葉を使い、
人数が割り切れないこともあるので、必ず数に幅をもたせて
「3人か、4人か、5人になってください。
2人の人は3人のところと合体して、6人のところは3人ずつに分裂してください」
と、言います。
そして、
「周りを見て、後ろや離れた横のほうに、まだ入っていない人がいたら、声をかけてあげてください」
と言います。
学びの場で、さみしい気持ちになる必要なんて、1ミリもありませんもの。