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7-8-4 『ユートピア』

2023-10-16 07:49:53 | 世界史


『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
8 ヒューマニストの運命
4 『ユートピア』

 エラスムスの重要な著書が出版された一五二六年は、イギリス・ヒューマニズムにおいても忘れることができない年である。
 それはこの年の末、モアの名著『ユートピア』が発行されたからであり、一五一六年は期せずして、十七年前に始まった二人のヒューマニストの交友の最終的な実りであり、「エラスムス的改革者の勝利の年」と呼ばれるにふさわしいであろう。
 『ユートピア』はイギリス社会に対する批判をふくむ第一部と、理想国ユートピア(どこにもない場所という意味)の地理、政治、軍事、宗教、経済、家族制度、風俗などについて書かれた第二部とからなっている。
 この構想自体が新大陸、新航路の発見に由来するものと思われ、モア自身もロンドン市民の出身として、イギリスの海外発展、植民活動について少ながらぬ関心を抱いていた。
 そして物語はモアが、アメリゴ・ベスプッチの航海に参加したラファエル・ヒスロデイという船乗りから聞いたものとして展開している。
 ヒスロデイとは、おしゃべりが得意な人というような意味である。
 またいろいろな知識のみなもとは、ふるくはギリシア・ローマの古典、同時代ではこのベスプッチの本などに求められているが、モアはある船乗りから、日本についての知識もえていたといわれる。
 『ユートピア』は第二部が先に、一五一五年、モアの国外出張(ネーデルラント)のときに書かれ、つづいて第一部が一五二六年ロンドンで、「睡眠と食事とから盗みとった時間だけ」で書きあげられた。
 ともにラテン語である。
 第一部はものの見かた、考えかたがよく似ているので、エラスムスの作ではないかと疑われたという。
 またラテン語で書くということはイギリスだけでなく、ヨーロッパの知識人として発言することを意味しており、この点、ヒューマニストのインターナショナルな性格がうかがわれよう。
 この第一部では国家悪、社会悪というべきものが指摘されており、その実例としてモアが生活しているイギリスが取り上げられている。
 ヘンリー八世時代は、王の即位当時にヒューマニストたちが期待をよせた「天がほほえみ、地が喜ぶ」ような時代ではなかった。
 たとえば毛織物工業の発達はイギリスの海外貿易を盛んにしたが、一方、農地が「囲い込み」によって牧羊場とされたため、多くの農民が耕地を追われて浮浪人、泥棒などにならざるをえず、しかもわずかな盗みに対しても重刑が科せられるありさまであった。
 この事情について、モアは登場人物の口を借りて、「羊が人間を食い殺す」という有名な表現を使った。
 「……以前はたいへんおとなしい、小食の動物だったそうですが、このごろでは、なんでも途方もない大食いで、そのうえ荒々しくなったそうで、そのため人間さえもさかんに食い殺しているとのことです。
 ……そのわけは、、もし国家のどこかでひじょうに良質の、したがって高価な羊毛がとれるというところがありますと
 ……その土地の貴族や紳士や、そのうえ自他ともに許した聖職者である修道院長までが
 ……百姓たちの耕作地をとりあげてしまい、牧場としてすっかり囲ってしまうからです。」
 「そういうとき、彼らに残された道としては泥棒を働き、そしてその結果正しい法の裁きを、そうです、正しい法の裁きをうけて絞首台の露と消えるか、それとも乞食をして歩くか、そのいずれしかありません。
 しかも乞食をすればするで……浮浪人として牢獄にぶちこまれます。
 彼らだってどのくらい仕事につきたがっているかわかりません。
 ただだれも仕事を与えてくれないだけの話なのです……」(平井正穂氏訳による)

 モアはこうした状態に対して痛烈な批判を加えるとともに、フランスの国王とその重臣たちを例にあげて――この点でイギリスに言及することは、さすがに遠慮したとみえる――政治上の奸策(かんさく)や野望をあばき、さらに政治や社会の欠陥の根本的な原因を私有財産制に求め、金銭が絶大な力を持つところでは、国家の正しい繁栄はないとまでいいきっている。
 エラスムスはモアの『ユートピア』出版の目的は、諸国家の邪悪な状態の原因を追求するところにあるとしているが、注意すべき発言であろう。
 『ユートピア』第二部では財産共有の理想国が描かれており、これによってモアは近代社会主義、共産主義の先駆者ともみなされている。
 しかし彼の財産共有論は経済論よりも道徳的な目的をもつもので、それによって人間の悪の根源に対する反省をうながしたものと解すべきであろう。
 そういえばユートピア島そのものも、現実にこれを作るというわけではなく、搾取のない生産や分配、快適な労働、教育の男女平等、幸福な市民生活、平和主義、信仰上の寛容などの共同体を論ずることによって、当時のイギリス人に、またひろくヨーロッパ人に――といっても、むろん支配階級であるが――道徳的反省を求めたものであろう。
 そしてそこには理性的な教化をもつて、人間を幸福に導こうというヒューマニストの理想があったのだ。





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