『宋朝とモンゴル 世界の歴史6』社会思想社、1974年
9 草原の英雄
2 蒼い狼の子孫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b8/57f6b233ab4f6d7c9fd4afcb7be2ce8a.png)
エスゲイに死なれて、テムジンたちの境遇は一変した。
それまでエスゲイにしたがっていたタイチウト氏の人々が、テムジン一家をすてて、去ってしまったのである。
エスゲイのもとにいた部衆も、タイチウトを追って移動した。
たちまちにして、一家は窮乏のどんぞこにおちいってしまった。
それでも、ホエルンは男まさりに生まれたので、おさない子供を養うに、しっかりと裾(すそ)をからげて、帯しめて、オノンの川を上へ下へと走りまわり、木の実をひろって、草の根をほって、昼夜の糧(かて)とした。
子供たちもまた、母を養おうと話しあって、オノンの岸べにすわっては、片目や、かたわの魚をつった。
あみを結んでは、小魚をすくった。
モンゴリアのように、乾燥した草原に住む人々は、農耕をいとなむことはできない。
そこで、馬や羊のような家畜をやしない、それらの家畜が食べる草をもとめて、あちこちに住居を移動しながら、生活をつづけてゆく。
すなわち遊牧の生活である。
家畜の群れが大きく、ひろい牧地を占めて、また召使の人の数が多ければ多いほど、その家は勢力がつよい、ということになろう。
家畜の数もかぎられ、召し使う人もなく、本や草をあさって暮す生活などは、草原の民にとって、もっとも落ちぶれたものに違いない。
しかし、ホエルンも、一家の人々も、心まで落ちぶれていたわけではなかった。
子供たちを前にして、ホエルンはモンゴルの古老がつたえる話を例にひき、いましめとした。
むかし、モンゴルにはアラン・ゴア(ゴア=美女)という気高い女性があった。
夫との間に二人の子供を生んだのだが、夫がなくなって後、さらに三人の子供が生まれた。
さきに生まれた二人は、母のことをうたがって、さまざまに言いかわした。
それに気づいて母のアランは、ある春の一日、羊をにながら、五人の子供を並べてすわらせ、矢を一本ずつわたした。
「折ってごらん。」
五人はたちまち折ってしまった。こんどは五本の矢を一つにたばねて、わたした。
「折ってごらん。」
だれも折れなかった。そこで母なるアラン・ゴアは語りはじめた。
「お父さまがなくなってから、三人の子供が生まれました。
だれの子なのかと、疑うのも、もっとものこと。しかし、これには、わけがあるのです。
夜ごとに、ひかる黄色のひとが、家の空窓(そらまど=帳幕の上部に開いている煙り出しの窓)から入ってきて、私のおなかをさすります。
その光は、腹のうちまでとおるほど。
出てゆくときは、日や月の光によって、黄色い犬のように、はって出るのです。
こうしてみれば、この三人の子供は、天の光によって生まれたのですよ。
天の御子(みこ)なのですよ。かるはずみなことを言っては、なりません。」
そうしてアラン・ゴアは、五人の子供に教えをたれて、言うのだった。
「みんな、五人とも、ひとつの腹から生まれたのだよ。あたかも五本の矢のようなもの。
ひとりひとりでいるならば、一本ずつの矢のように、たやすく折られよう。
束ねた矢のように、何ごともいっしょに力を合わせてゆけば、だれにもたやすく破られることはありますまい。」
この光によって生まれた三人の兄弟のうち、末のボドンチャルが、テムジンたちの先祖なのであった。
カブールも、アンパガイも、クトラも、そしてエスゲイも、みなボドンチャルの子孫なのである。
祖先にまつわる輝かしい伝えは、エスゲイの残された子供たちを、ふるいたたせずにはおかなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/54/d2ff9443beb3f709f84b82f6a6d3f9c0.png)
さらにモンゴルには、もっと古い伝えもある。
それはモンゴルの発祥を告げる話であった。
「天から命をうけて生まれた蒼(あお)い狼(おおかみ)があった。
白い鹿(しか)を妻とした。大きな湖を渡ってきた。オノン川の源のブルガン山に住みついて」モンゴル全体の先祖となった、という。
してみれば、モンゴルの人々は、蒼い狼の血をうけている。
さればこそ、父たるエスゲイのような勇猛な武将もあらわれたのだ。
テムジンたちは、あらためて白分たちの血にめざめた。
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9 草原の英雄
2 蒼い狼の子孫
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エスゲイに死なれて、テムジンたちの境遇は一変した。
それまでエスゲイにしたがっていたタイチウト氏の人々が、テムジン一家をすてて、去ってしまったのである。
エスゲイのもとにいた部衆も、タイチウトを追って移動した。
たちまちにして、一家は窮乏のどんぞこにおちいってしまった。
それでも、ホエルンは男まさりに生まれたので、おさない子供を養うに、しっかりと裾(すそ)をからげて、帯しめて、オノンの川を上へ下へと走りまわり、木の実をひろって、草の根をほって、昼夜の糧(かて)とした。
子供たちもまた、母を養おうと話しあって、オノンの岸べにすわっては、片目や、かたわの魚をつった。
あみを結んでは、小魚をすくった。
モンゴリアのように、乾燥した草原に住む人々は、農耕をいとなむことはできない。
そこで、馬や羊のような家畜をやしない、それらの家畜が食べる草をもとめて、あちこちに住居を移動しながら、生活をつづけてゆく。
すなわち遊牧の生活である。
家畜の群れが大きく、ひろい牧地を占めて、また召使の人の数が多ければ多いほど、その家は勢力がつよい、ということになろう。
家畜の数もかぎられ、召し使う人もなく、本や草をあさって暮す生活などは、草原の民にとって、もっとも落ちぶれたものに違いない。
しかし、ホエルンも、一家の人々も、心まで落ちぶれていたわけではなかった。
子供たちを前にして、ホエルンはモンゴルの古老がつたえる話を例にひき、いましめとした。
むかし、モンゴルにはアラン・ゴア(ゴア=美女)という気高い女性があった。
夫との間に二人の子供を生んだのだが、夫がなくなって後、さらに三人の子供が生まれた。
さきに生まれた二人は、母のことをうたがって、さまざまに言いかわした。
それに気づいて母のアランは、ある春の一日、羊をにながら、五人の子供を並べてすわらせ、矢を一本ずつわたした。
「折ってごらん。」
五人はたちまち折ってしまった。こんどは五本の矢を一つにたばねて、わたした。
「折ってごらん。」
だれも折れなかった。そこで母なるアラン・ゴアは語りはじめた。
「お父さまがなくなってから、三人の子供が生まれました。
だれの子なのかと、疑うのも、もっとものこと。しかし、これには、わけがあるのです。
夜ごとに、ひかる黄色のひとが、家の空窓(そらまど=帳幕の上部に開いている煙り出しの窓)から入ってきて、私のおなかをさすります。
その光は、腹のうちまでとおるほど。
出てゆくときは、日や月の光によって、黄色い犬のように、はって出るのです。
こうしてみれば、この三人の子供は、天の光によって生まれたのですよ。
天の御子(みこ)なのですよ。かるはずみなことを言っては、なりません。」
そうしてアラン・ゴアは、五人の子供に教えをたれて、言うのだった。
「みんな、五人とも、ひとつの腹から生まれたのだよ。あたかも五本の矢のようなもの。
ひとりひとりでいるならば、一本ずつの矢のように、たやすく折られよう。
束ねた矢のように、何ごともいっしょに力を合わせてゆけば、だれにもたやすく破られることはありますまい。」
この光によって生まれた三人の兄弟のうち、末のボドンチャルが、テムジンたちの先祖なのであった。
カブールも、アンパガイも、クトラも、そしてエスゲイも、みなボドンチャルの子孫なのである。
祖先にまつわる輝かしい伝えは、エスゲイの残された子供たちを、ふるいたたせずにはおかなかった。
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さらにモンゴルには、もっと古い伝えもある。
それはモンゴルの発祥を告げる話であった。
「天から命をうけて生まれた蒼(あお)い狼(おおかみ)があった。
白い鹿(しか)を妻とした。大きな湖を渡ってきた。オノン川の源のブルガン山に住みついて」モンゴル全体の先祖となった、という。
してみれば、モンゴルの人々は、蒼い狼の血をうけている。
さればこそ、父たるエスゲイのような勇猛な武将もあらわれたのだ。
テムジンたちは、あらためて白分たちの血にめざめた。
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