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信心生活の入門 聖フランシスコ・サレジオ

2021-02-26 02:18:19 | 青年の友
 娯楽・またはダンスを、心身の休息のためにするのは、よいのですが、愛着のためにするのはいけません。
 また、少時間に限ること、疲労困憊する程度にいたらないこと、まれに楽しむことが必要です。平素より、かつ、しばしば行うことや、娯楽でなくて労役です。

 つぎに、どのような機会に、娯楽やダンスをしてよいのか、ということです。不良性を帯びないダンス、または、娯楽の機会は多く、不良な娯楽は、危険率あるいは不良性の程度に反比例して、その機会が少ないものです。
 ひとことで申し上げますと、上述の条件を守り、かつ、一座のよい娯楽をわかち、興ざめしないように人々とともに娯楽に興ずるほうがよいと信じた場合に限りますが、これを判断するには、聡明にして健全な常識を必要とします。人々と娯楽を分かち合いのは、愛徳の行為ですから、これによって元来悪くない娯楽は善行となり、危険な娯楽も許可され、悪い娯楽すら不良性を失うようになるのです。

 たとえば、勝敗を争うような娯楽が、一般には有害であっても、時として、一座の興をたすけるために差し支えなくなるのも、そのためです。

 聖カロロ・ボロメオの伝記に、彼が平素は極めて厳格であったのですが、スイス人とともに娯楽を楽しんだという一挿話を読んで、私は深く感動しました。

 聖イグナシオ・ロヨラも、招きに応じて娯楽を楽しみました。ホンゴリアの聖女エリザベトも、種々の集会で、しばしば娯楽に興じたり、ダンスをしたりしました。でも、彼女の信心は、ちっともゆるぎませんでした。ちょうど、波風にうたれているリエット湖畔の岩のように、聖女の信心は、貴い王妃の位につきもののの、華麗なる生活のうちに、絶えず成長していたのです。

 しかし、風が吹いて燃え上がるのは大きな炎であり、小さい灯火は、風を避けなければ、吹き消されることを忘れてはなりません。

 聖フランシスコ・サレジオ『信心生活の入門』第3篇 第34章





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