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学問の上達には品行が必要『基督信者宝鑑』

2021-03-27 00:35:44 | 青年の友
浦川和三郎司教『基督信者宝鑑』天主堂出版、大正8年発行

9-2-2 学問に上達するには、品行が方正であらねばならぬ。

「今日の青年は、血の気の失せた老人のようだ。
 その額には早くも若皺が寄っている」
と、ある詩人は嘆息しているが、青年の額に若皺の寄るのは、過度の勉強の為でもなければ、激しい労働の為でもない。全く、その不身持ちの産んだ結果なのである。身を汚し、心を腐らす不潔の罪を重ねたのに職としてこれ由るのである。人に飛び抜けた勉強をしなければ、飛び抜けた上達は出来ないのに、早くから若皺の寄るくらいに弱り込んでは、人並みの勉強すら覚束ない。人並みの勉強も出来ないようでは、どうして人並みの人物にでもなれようか。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
と言うじゃありませんか。

 身体が健全だと、頭脳はまっきりして心も晴れ晴れしくなるから、何を学んでもよく記憶する。何を読んでもよく理解する。

 したがって、勉強するのが面白くなって、何時間勉強しても、全く疲れを感じない。いよいよ熱心に研究を続けて、驚くべき進歩を遂げるに至るものである。

 これに反して、不品行な学生は、たとえ若皺は寄らなくても、心が常にうかうかとしているから、とてもジッと尻を据えて勉強する気になれない。教場ですら、あちこち見回している。あくびしている。臨席の友とささやきあったり、コクリコクリと居眠ったりしているくらい、まして、自宅へ帰ってからは、今日の復習もしなければ、明日の下読みもしない。

 夜はおそくまで下らぬ友と遊び回るやら、淫がましい小説類を読みふけるやらして、ボンヤリと寝ぼけ面をして学校へ出て行くものだから、いくら教師が熱弁をふるって講義して聞かせても、到底耳に入ろうはずがない。

 いわんや、まじめな学問は常に堅苦しくて、そんな堕落生の為には何の面白味もないものだから、いよいよ以て身を入れて勉強し、精出して研究する気になり得ないのであります。





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