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何よりも先に天主様のことを学ぶ『基督信者宝鑑』

2021-04-10 01:23:24 | 青年の友
浦川和三郎司教『基督信者宝鑑』天主堂出版、大正8年発行

9-2-5 何よりも先に天主様のことを学ぶ

 何よりも先に天主様のことを学ばねばならぬ。天主様は光明の源、真理そのものに在すからして、天主様を識るというのは、第一の研究科目であれねばならぬ。

聖アウグスチノは、
「主よ、私は主を識りたいのです。
 私をも識りたいのです。」
と叫ばれたが、青年たるものは、つとに天主様を識り、己を識るべく努めなければならぬ。

 したがって、説教を聴聞するやら、公教要理を学ぶやら、聖福音書を要やら、そんなことを怠らないで、年の長けるにつれて、物事を知るにつけて、天主様に当たる知識も、いよいよ深く広くなるように努め、俗世間の学問までも、すべて天主様を識る為の道具となすようにしなければなりません。

 実に天主様は真理の源であらせられるから、どんな学理でもこれを深く究めてみれば、そこには必ず天主様の驚くべき御智慧がほの見えるのである。

 歴史上の出来事、今の世に起こる人事百般をよくよく調べてみなさい。きっと、天主様の巧妙なるおはからいを見出して、感嘆の叫びをあげずにはいられますまい。一本の樹、一本の草にでも、注意してみれば天主さまの聖名がありありと読み出せる。ダヴィドも
「天は神の光栄をかたり、その御手の業を蒼空が告げる」
(詩篇18:2)
と歌っているくらいですから、どの学問を研究するにしても、しばしば思いを天主様にあげて、その見るもの聞くもののうちに、天主様の美しい御徳のひらめきをながめるというように致さなければなりません。

 聖福音書には、イエズス様の青年時代を記して、「イエズスは智慧も齢も、神と人とに於ける寵愛も次第にいや増し給うた」(ルカ2:52)と言ってあります。

 見なさい。イエズス様は御年の長けるにしたがい、いよいよその智慧をあらわし、その徳を輝かせて、天主様にも人にも御寵愛され給うのでありました。学生たるものは、この美しい御手本にのっとり、年月を重ねるにつれて、学問にも道徳にも益々進歩しなければならぬ。

 悲しいかな、今の学生は学問の進歩だけは決して申し分はあるまいが、しかし宗教上の知識が、いっこうにそれに伴わない。勉強して広く本を読み、多く事を識るにしたがって、宗教上の知識も一段と深くならなければならぬのに、その方は幼少の頃に学んだだけに止まり、それすら大部分は忘れてしまっているという塩梅だから、次第に信仰は薄らぐし、信者のつとめは怠るしで、おのずと不品行に流れ、ついには宗教そのものまでも嫌って、悪口を叩き、いよいよ徳をやぶり、行いを汚して、何とも手に負えぬやくざもの(無能者)になってしまうのであります。

 学生たるものは、深くそこを鑑みて、学問に上達すればするだけ、宗教上の知識をも広め、その信仰を養い、その徳行を磨くように努めなければなりません。





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