浦川和三郎司教『基督信者宝鑑』天主堂出版、大正8年発行
9-2-4 勉強にあたっては謙遜であらねばならぬ
謙遜であらねばならぬ。謙遜でしたら、自分の力に頼まないで深く天主様によりすがる。人に問うのを恥としない。分からぬところは誰にでも尋ねる。どんな下の人に教えてもらって、心から有難がって御礼を申すものだから、人が喜んで聞かしてくれます。
いったい学問というものは、天主様の栄光、国家の利益、その身の幸福を計るのに、よほど助力となるのである。もとより学問が無くても善人にはなれる。忠良な国民にもなり得られれる。
しかしながら、もし、その人に学問の光までが添えられたなら、幾倍と大いなる働きが出来るでございましょうか。
でも、それはその学者が謙遜であったときの話で、もしや、学問の光を鼻の先にブラ下げて、やたらに威張り散らすようにでもなれば、その学問は何らの益もきたさないのみか、かえって大いなる害を招く基になるのみであります。
9-2-4 勉強にあたっては謙遜であらねばならぬ
謙遜であらねばならぬ。謙遜でしたら、自分の力に頼まないで深く天主様によりすがる。人に問うのを恥としない。分からぬところは誰にでも尋ねる。どんな下の人に教えてもらって、心から有難がって御礼を申すものだから、人が喜んで聞かしてくれます。
いったい学問というものは、天主様の栄光、国家の利益、その身の幸福を計るのに、よほど助力となるのである。もとより学問が無くても善人にはなれる。忠良な国民にもなり得られれる。
しかしながら、もし、その人に学問の光までが添えられたなら、幾倍と大いなる働きが出来るでございましょうか。
でも、それはその学者が謙遜であったときの話で、もしや、学問の光を鼻の先にブラ下げて、やたらに威張り散らすようにでもなれば、その学問は何らの益もきたさないのみか、かえって大いなる害を招く基になるのみであります。