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7-11-3 黄金世紀

2023-11-07 02:41:12 | 世界史

『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
11 日の沈まない国――フェリペ二世のスペイン――
3 黄金世紀

 十五世紀末のイサペル・フェルナンド夫婦王時代に活躍した宗教審問官トマソ・デ・トルケマダ(一四二〇~九八)の残虐さは伝説的であったが、カール五世時代のスペインでは、回教(イスラム)徒弾圧は法的にはきびしくても、実際にはきつくなかった。
 フェリペ二世の時代になって、オスマン・トルコの影響がスペインにふたたびはいりはじめ、回教徒が海賊としてスペイン沿岸を荒らすばかりでなく、移民として流入する形勢が強くなった。
 そこで断固たる態度をとらねばならぬと、フェリペ二世は判断したのである。
 一五六〇年から宗教審問官の仕事が強化され、秘密回教徒の摘発が開始された。
 摘発の基準は歌、ダンス、結婚式やお祭りのやりかた、婦人のベール、アラビア文字、禁酒と豚肉ぎらい(いずれもコーランで禁止されている)など意地悪いもので、戸口の錠(じょう)の禁止というプライバシーの完全侵害にまでおよび、一五六八年アンダルシアの絶望的な大反乱(一五七〇年平定)を挑発した。
 この異教徒との戦いは地中海と北アフリカにエスカレートし、一五七一字から七四年にかけての軍事的行動となる。
 「レパントの海戦」におけるスペインの勝利はスペインの黄金時代を象徴する輝かしいものとされ、さらに対抗宗教改革の思想的武器として宣伝され、一種の宗教的興奮をさえまきおこした。
 一五七一年オスマン・トルコのスルタン・セリム二世の海軍が、ベネチア共和国の確保していたキプロス島を占領した。
 これに対してローマ教皇が十字軍結成を希望し、ベネチア・ジェノバ・スペインの連合艦隊を、カール五世の庶子で、アンダルシア平定の功のあったドン・ファン・デ・オーストリア(一五四七~七八)が指揮して、トルコ艦隊をギリシアのレパント沖にやぶった。
 ドン・ファンはさらに北アフリカに渡り、テュニスを一時的に占領した。
 しかしフェリペ二世はキプロス島やテュニスに深入りする気はなく、やがてドン・ファンをネーデルラントに転戦させた。
 キプロス島は簡単にトルコの手にもどり、トルコ側はレパントの海戦でたいした敗北感をもたなかった。
 アンダルシア大反乱ののちの宗教審問官の仕事は、ずっと地味になった。
 回教徒からの改宗者の集団居住を禁じて、同化を促進する政策がとられた。その成果はいちじるしく、一五九三年往年の大回教都市グラナダで開かれた公開裁判で、秘密回教徒として断罪されたものは、重罪犯人八十一人中、ただ一人であったとう。


 フェリペ二世は一五八〇年、ポルトガル王位が絶えたのに乗じてこれを継ぎ、ポルトガル王フェリペ一世となった(一五八四年天正の日本少年使節に面会したのは、ポルトガル王の資格においてである)。
 この継承はポルトガル王室側の不用意によるエラーという面があり、フェリペ二世もポルトガル人の感情を計算に入れて、その権利を奪わないと約束した。
 しかしそれは無理であった。
 フェリペ二世の敵、すなわちエリザベス一世のイギリスと、独立戦争中のネーデルラントが、ポルトガルの敵になった。
 ポルトガルの海上の活動は大きく制約をうけ、またポルトガルの人材も、船も、富も、スペインの利益に奉仕させられることになる。
 ポルトガル史を通じてこのスペインとの同君連合時代(一五八〇~一六四〇)ほど、新貴族がむやみと任命されたときはない。
 しかしそれは「優遇」ではなく、スペインの戦争にかり出されるための生命財産の危険を意味していた。
 フェリペ二世は二十年かけて、マドリードの北にエスコリアル宮殿を建設した。
 これは寺院を兼ねた大建築で、イタリア・ルネサンス建築のスペインにおける最初のものとされる。
 イタリア・ルネサンス文化の相続ということでは、スペインはフランスの強力な敵手であった。
 文化史的にはフェリペ二世の治世から十七世紀までを、「黄金世紀(シグロ・デ・オロ)」と呼び、むしろ十七世紀にバロック絵画のグレコ(一五四八?~一六一四)とベラスケス(一五九九~一六六〇)、文豪セルバンテス(一五四七~一六一六)が目立つのだが、そういう盛況はフェリペ二世の時代に十分用意されていた。
 スペイン・ルネサンス的と思われるものの一つに、作者不明の小説『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』というのがある。これはどん底の生活を道徳感覚を振りきって書いた、いわゆる「悪漢小説(ピカレスク)」である。
 文化が浪費を意味するならば、この貧しさのなかに浪費される厖大な才能がスペイン・ルネサンスの底辺をつくっていたともいえそうである。
 フェリペ二世の統治は、慎重であったにもかかわらず、大きなスケールにおいて、浪費であった。
 最大の浪費、しかしおそらく避けられなかった浪費であった「ネーデルラント独立戦争」に話をうつそう。
 それはイギリスとの対決をも意味し、あの有名な「無敵艦隊」を登場させる。





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