母の最初の子だった私です
こもりうたというと
母は
江戸こもりうた
そして・・・
この歌もよく口ずさんでいました
かわいいおまえって
私のことですよね
群馬から下谷へ嫁いで来て私が生まれた当初
大家族の家庭内の諸々に耐え切れず
2階にあがっては
私を抱きしめて泣いていたそうです
耐え忍んで母は実のある人生を父とともに全うしました
江戸子守唄 悲しき子守唄
それはいつまでも母の声で私の胸で鳴り響いています
小保方さんの行方が案じられます
もう半世紀前のことを想いおこしている私です
私には乳きょうだいが居たのです
生家の三軒先のX君
私の母は若く、X君の母上は歳を重ねており、お乳の出が悪かった
そんな環境の中での助け合いだったんでしょう
共に長じてお互いが23歳になる夏の日
彼は理研の研究員として学窓から巣立った日々を送っていました
一方
私は某大学の演奏旅行中で神戸におりました
オーケストラの一員としてベートーベンの英雄を演奏中
二楽章・・いわゆる葬送行進曲・・を演奏中、
看過しかねるほどの地震が起きました
でも~指揮者は演奏を中断しなかった!
ほどなく帰京した私の耳に
X君が急逝したとの知らせが
学校は中学からは別々だった私達
成人式にひさしぶりに逢い、
帰り道で彼は打ち明けた
「僕は理学部なんだけれど、本当は建築学を学びたかったんだ」
これが彼と交わした最後の言葉となってしまったのです
理研の日々はどんなだったんだろう・・・
彼を思い起こすこと・・・これが私の彼への供養です