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海外の空港たち-4 モンペリエ&アムステルダム

2019-05-12 | エッセイ・シリース

  

モンペリエ(南仏)

 

 南仏のモンペリエと言われても、ピンとくる人は少ないだろうと思う。観光地ではなく、古くからの大学が有名な小さな町だ。最近は、南仏の観光開発も進んでいるようで、知名度は少しは上がっているかもしれない。

 

<飛行図> 

 成田 → オルリー ⇔ モンペリエ → アムステルダム → 成田 

 最初のモンペリエ訪問はパリのガールド・リヨン駅から、TGVならぬ、在来線の特急列車のコンパートメントに乗って、アビニヨン経由での鉄道の旅だった。ほんとうは日本からオルリーについて、国内線でモンペリエまで飛ぶスケジュールを組んでいたのだが、航空会社のストライキに遭遇して、列車の旅になった。

 

<モンペリエ空港> 

 モンペリエという田舎町に行くことになったのは、IBMモンペリエに、アプリケーション・システムの調査、導入準備のためだった。しかし、田舎町と馬鹿にしてはいけない。フランスの都市に行くとあるべきものは、すべて揃っている。オペラ座も、パリのフォーブルサントノレにも劣らない、素敵なブティックたちも、素晴らしいレストランも、ローマ時代の水道橋も残っている。

 

<パラバス> 

 車で10分位のところに、地中海に面した小さな町、パラバスがあり、そこでは牡蛎をはじめとする地中海の新鮮な魚介類が食べられる港だ。さらに行くと、エグモルトという中世からの城壁に囲まれた町が、平野のど真ん中に浮かんでいる。元もとは、海に面した町だったが、堆積した土砂のために、海の無い陸の孤島になった町だ。こんなところが、厳しい仕事の合間の、楽しいエクスカーションの場でもあった。

 

<エグモルトの町> 

 帰りは、モンペリエ空港からのエアフランスの子会社のフライトだった。その後、2度ほどモンペリエを訪れたことがあるが、その時はオルリーからの空の旅だった。離着陸の時は、眼下にカマログと呼ばれるローヌ川が作った湿原地帯が現れ、野生の馬の群れも見えた。

 

<カテドラル> 

 その後、何十年か経って、日本でモンペリエの名前を聞くことになった。僕がいた頃に、モンペリエのカテドラルにいらしたシスターYが中心となって、「モンペリエ会」を作っていらした。ご招待いただいて、モンペリエの時間を書いた僕の本を寄贈した。皆、懐かしい場所は、それを知る人たちと、懐かしさを共有したいという希求があるのだろう。(ほかに、モンペリエにまつわるいろいろなことがあるが、僕の最初の本、「父さんは足の短いミラネーゼ」に書いているから、ここではやめておきます。) 

 

アムステルダム

 

 初めてのモンペリエ行きの頃は、IBMでは出張の帰りに有給休暇を取って、自分の旅を加えることができた。最初のモンペリエの帰り、なかなかチャンスはないと思って、自分で3泊を加えて、アムステルダムで過ごすことを考えた。IBMオランダに連絡したら、簡単にホテルを予約してくれた。モンペリエからダイレクトで、アムステルダムのスキポールへ。ヨローロッパは近い。どこにでも1時間ちょっとあれば着ける。スキポール空港は、オランダが誇るヨーロッパのハブで、滑走路も今や、6本もある。

 

<スキポール空港> 

 ホテルにつくと、「アムステルダムにようこそ!」というIBMのリーフレットをIBMが届けてくれていて、さすがと感謝だった。 

 僕がアムステルダムを選んだわけは、まずは、オランダという日本にとっては近しいけれど、IBMにいてもなかなか行く機会のない所だったことも一因だ。 

 アムステルダムで見逃すことはできないのは、デカ過ぎて外国には出られない、レンブラントの「夜景」を見ておくことだった。どこから湧いてくるのか透明な光が、暗闇の世界から、その絵を浮かび上がらせてくれる。圧倒された。

 

<レンブラントの「夜警」>

 他はキューケンホフの、素晴らしい花の公園を歩いてみることだった。ここは、3月末から5月半ばまでの、限定された期間しかオープンされていない。チューリップとヒヤシンスを中心とした花たちと、森と小川の美しい場所だった。モンペリエの仕事は、4月末で終わったからゴールデンウイークに掛かり、素晴らしいタイミングだったのだ。後は運河の街を眺めたり、最近禁止の意見が出ている「飾り窓」を冷かしたり、レンガ造りの中央駅を歩いたり、アムステルダム、そのものを楽しんだ。

 

<キューケンホフの森> 

 一つ残念だったのは、帰りのスキポール空港の免税店での光景だ。丸い大きなカウンターの中に、売り子の若い美しい女の人が一人いた。時間がないのか、日本人の団体客が丸いカウンターを取りとり囲んで、四方から売り子を大声で呼んでいた。彼女は困った顔をして、私はここに一人しかいないのよと、イラついた顔をして言葉を返していた。

 なんだか日本人の僕が、気恥ずかしい思いをした記憶が鮮明に残っている。 

 

 

P.S. クレジット情報

・パラバスは、Bincent Bruさんの写真をお借りしました。Creatives CommonsのNA-SA 2.0です。

・カテドラルは、Hiro-MRさんの写真をお借りしました。Creative  Commonsの表示-継承 3.0です。



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