michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

始まりがあれば終わりが

2024-04-08 08:39:00 | 日記2024
午前中は意を決して、一人でお墓掃除に行って来ました。

お彼岸も過ぎて、
誰かの命日でも何でもないけど、
特に去年の後半からは約2件の家の重大問題で、
ご先祖様には申し訳ないけどお墓参りどころではなかった(⌒-⌒; )

前日まで雨だったので濡れ落ち葉で大変だろーなーと、午後からにするつもりだったのが、
一旦「行く」となったらまたせっかち母が、
(言葉には出さないが)いつ出発するのか、持って行く道具は、、
と密かにヤキモキしているのがわかるから、
結局予定より早い11時前ごろ出発。

ちなみに私一人です。
2回ほど前までは母も行く気満々だったのが、
川沿いの小山とはいえ、
さすがに階段もちゃんと付いていない山道を登る自信はなくなったらしい。

かく言う私も、
その時の体力によっても違うのですが、
昨日は特にきつかった〜〜ヽ(;▽;)ノ

片手に道具の入った袋、
片手に水の入ったタンク、
で、山の坂道の途中で脚が前に上がらない!

自分でもええっ?と思うほど、脚の筋力が落ちている!

長い道ではないのだけど、
途中で荷物を置いて一休みし、
フラフラでお墓到着(⌒-⌒; )

ちなみにその山の高さは20mくらい。
ちなみに、もし職場にいる時に南海トラフが起こった場合、
職場の場合はその裏山の、約50mの高さの一時避難所まで、延々と階段を駆け上がることになっています。

この体制が出来た頃の避難訓練では何とか基準の時間以内に上まで駆け上がっていた私も、
ここ何回かの訓練では階段の途中で脚が止まってしまう。
ヤバいな。。。

   
しばらく来ていなかったお詫びに、
割と念入りにお墓掃除をして、
いつもの如く、実質来ることはできない家族にバーチャルで映像を流しました。

無事掃除が終わってホッ( ´ ▽ ` )ノ


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ところで。

明治チェルシーが、今年の3月末を以て製造を終了したのをご存じでしょうか。

そのニュースを私が知ったのが3月半ばくらい?
でも実際にはそのだいぶ前から、 
既に店頭では見当たらない、というのが巷のウワサでした。

「特にチェルシー大好き❤」という人でなくても、
私たちの年代なら、あのCMソングと、
舌足らずの可愛い外国人の女の子の、
「あなたにも チェルシー、あげた〜ぃ」
という声は耳に残っているはず。

うちの家族の場合は、実は訳あって、
このチェルシーのことを「げるしー」と呼んでいたりするw

当時小学校低学年だった娘が、
「もひとつチェルシー」の「もひとつ」の意味が分からず、

ほ〜ら、げるしー、
おひとつ、げるしー

と歌って、家族旅行先で従兄弟4人で盛り上がっていた。

あんな平和な時代はもうないんだなぁ〜

という感慨も含めて、
うちには思い入れのあるお菓子かもf^_^;

それが全く急に製造終了になって、
もう二度とあの味は味わえないのか、
と思っていた矢先。

お墓掃除に出たものの足りないものがあって、その前にちょこっと寄った100円ショップ。

何思わず飴の棚の前を通った時、

えええっっ!?

となったのは言うまでもありません。

チェルシー、あるやんか!
3月を過ぎて4月になっているというのに。
他の飴類に混じって、
これまで通り私はここに掛かっているのが普通です、
と言わんばかりの風情で!

田舎の100均というのがひょっとして功を奏したかな?

思わず10個買いました(^^;;



もろ「転売ヤー」と思われそうで一旦は6個ぐらいにどどめておこうかとも思ったけれど、
うちにも、妹のところにも、
と数えているうち10袋f^_^;

セルフ精算のレジが、

「同じ商品がスキャンされました」

と連呼するのはやめて欲しかったw






  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜
 

チェルシーは1971年の発売だそうです。

全てのものに「始まりがあれば終わりがある」、
「入り口があれば出口がある」、
とか言ったのは村上春樹。

(でもこの世で一つ、入り口はあっても出口のないもの、それは「ねずみ捕り」、みたいに続くのは余談w)


何にしても、、
チェルシーの終わりをちゃんと味わわなければヽ(;▽;)ノ


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