ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

聖書エッセイについて――書くということ

2015年06月21日 | 聖書



       聖書エッセイの読者が増えてきたことを、自慢に思うことはまったくありません。
       ただ、うれしいだけです。
       ひとりの方がたまたま訪れたページだけではなくて、
       前後まで読んで下さるなんて、光栄です。


       考えてみてください。じょうずに漬け上がったきうりの糠漬けを一切れ差し上げたら、
       「もう一切れいいですか」と手をのばされたら、「やったー!」と思うでしょう。

       素敵なお宅のしゃれたお部屋に案内されたら、隣の部屋も見たくなるでしょう。
       もっとも、これは、どんなに期待があっても、「隣を見せて下さい」と
       あけすけにいうものではないでしょうが。

       それでも、「素敵なお宅ですねえ」と、禁断の間にも好奇心を見せられて
       嫌な人はいませんね。

                  ● ◎  

       「聖書を、食べ物や建物にことよせて話すなんてよくない。
       神様は、もっと畏れられるべき方です!」
       との声があるかもしれません。

       その通りです。重々、承知しています。
       読んでいただければ、さとうが、神様を恐れ、見上げながら書いているとわかっていただけると、
       確信しています。

       でも、読者に、自分の書いたものを、もったいぶって紹介して、
       「恐れて下さい」なんて言えるでしょうか。

       書くのは人に伝えたいからです。ネット上に発表するのですから、見せる気はなかった
       などとは言えません。

       神のことばが、聖書になっているのも同じです。
       書物にならなかったら、神様は特定の人(預言者)に語られるだけだったのです。

              
       ふしぎな編集過程があって、いま、66巻の書物になっているので、   
       私のようなふつうのおばさんが手元において、毎日味わうことができるようになったのですから、
       これをエッセイに書くって、願ってもないことなのです。


                   ●、★ 


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       一ページでもお読みくだされば、うれしいです。

       ダビデの話が語られているサムエル記などは、面白いですよ!

       もし、「おもしろくなかった」と思われる場合も、責任は書き手のさとうにあります。

       懲りずに、別の記事を試してみてくださればと頭を下げるのです。

      
                  感謝!!!