ノアの小窓から

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人はうわべを見るが

2016年03月18日 | 聖書
                                         
          イケメンのコメンテーターが、経歴詐称だとたたかれていますが、
          イケメンを喜ぶのは誰かなあと思うのです。

          学歴や経歴も、「美しいパターン」があって、
          それだけで、信用するのは、だれでしょう。

          そりゃ、もう高齢者である私でも、
          実際にイケメンが目の前に現れたら、目を見張るかもしれず、
          まして、輝かしい経歴や地位にも、うなずいて、
          そのチャンネルを毎日見るかもしれず、
          

          視聴者は、テレビや新聞を信用しているのです。
          テレビが招いている人だから、信頼できるとか、

          大新聞に載っている記事だから、信用できるとか。
          舞台を提供していた側が、
          ワイワイガヤガヤ、バッシングしていて、
          いいのかなあと思うのです。
               ★                 

            主(しゅ=神)はサムエルに仰せられた。
            「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。
            わたしは彼を退けている。
            人が見るようには見ないからだ。
            人はうわべを見るが、神は心をごらんになる。
                          (旧約聖書・Ⅰサムエル記16章7節) 



            古代イスラエル王国の時代の初め、
            預言者サムエルは、神様から次期王を選ぶようにと預言を受けて、
            ダビデの父エッサイのもとにやってきました。

            エッサイには息子が八人いて、末っ子のダビデを除く七人が、
            サムエルの前に集められていました。
            いずれも容姿の美しい息子たちで、
            長男エリアブが進み出たとき、サムエルでさえ、
            彼を本命だと思ったのです。

            しかし、そのとき、神が言われたのが、上のことばです。