高山右近
2016年06月01日 | 本
高山右近を読みました。
一つは加賀乙彦氏、もう一つは、長部日出雄氏によるものです。
いずれも久しぶりの再読です。
★
どうやら、このところテレビの歴史特集は、
「戦国時代→桃山時代」ブームのようです。
世界や日本の先行きが混迷の中にあるらしく、
多くの人の心に、
激しい変転の時代を生き抜いた武将の物語が求められているのでしょうか。
その主人公たちは、すでに名を知られている武将がほとんどですが、
その切り口は、「勝利の方程式」とでも言えるかと思います。
とはいえ、
血で血を洗う下剋上の時代の闘争は、
いまの私たちには想像を絶する世界です。
秀吉や家康のように最終的に勝利した武将の道程に、
どれほどの死屍累々があったかを
知ることは大切だと思います。
長部氏は、信長、秀吉、家康の時代を生き抜いた
キリシタン大名高山右近に焦点を当てています。
みずから、戦国武将として戦いの中に身を置きながらいのちの根源とその意味を問いつづけ、
最後には、「この世のいのち」か「神」かの選択を迫られて、潔く世を捨てた
右近のいきざまを、ていねいな筆致で彫り込んでいます。
加賀乙彦氏の「高山右近」は、すでに秀吉の生前に「領地か」「追放か」をせまられ、
即座に、追放を選んだ右近が、その後前田家のお預けとなり、
さらに、26年間を前田家の重臣として過ごし、
徳川家による厳しい禁教令のため、棄教を迫られると、
死を覚悟して、長崎に引かれていき、
やがてフィリピンのマニラに追放になり、その地で死ぬまでの
最後の一年間ほどに、焦点があります。
右近の選択は、この世の成功と生き抜くことが最善である人々には悲惨です。
彼は武将としても、城郭建築家としても、茶人としても大変有能でした。
しかし、
キリスト者としての彼の矜持はすがすがしく、
読後、大きな希望を感じさせられるのは不思議です。
すべての人が、どれほど努力や工夫をしても、勝つとは限らず、
勝利した者たちでさえ、結局死んでいくのです。
右近の生きざまは、「勝利の方程式」が現実で勝利。
「殉教」が幻想で敗北、と言った図式を逆転してくれます。