旧約聖書には、何人か特筆すべき指導者が記録されていますが、
古代イスラエル王国のためにキングメーカーとなった預言者サムエルは、
出エジプトを指導したモーセと並べうる大きな存在でした。
彼は、幼い時から神に仕え、早くから神の言葉を取り次ぎました。
預言者としての抜群の力にくわえて、
指導力があり、いつも周辺国から侵略されていたイスラエルを
守り抜き、また
正しいさばきで、民の信頼を得ていました。
しかし、彼の息子たちは不肖の息子でした。
せっかく父のあとを継いで「さばきつかさ」になったのですが、
不正が多く、利得を追い求め、
わいろを取り、さばきを曲げていたと書かれています。
民は、このことに不満をつのらせ、
サムエルに、
「どうか、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立てて下さい。」と、
王制を要求するのです。
それまでの、イスラエルは、祭司や預言者が神にお伺いを立てて、
政策を選ぶ「神聖」政治国家だったのです。
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サムエルは、民の要求を気に入らなかったのですが、
意外なことに、神は「民の要求を入れるよう」仰せになり、
神のお示しになるまま、サムエルはベニヤミン族のサウルという若者を王に選びました。
以下の聖書の記述は、民の前で、サウルを任命し、政権を移譲するとき、
サムエルが行った演説です。
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サムエルはすべてのイスラエル人に言った。
「見よ。あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、
あなたがたの上にひとりの王を立てた。
今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。この私は年を取り、髪も白くなった。
それに、私の息子たちは、あなたがたとともにいるようになった。
私は若い時から今日まで、あなたがたの先に立って歩んだ。
さあ、今、主の前、油注がれた者の前で、私を訴えなさい。
私がだれかの牛を取っただろうか。
だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。
だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。
もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」
彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、
人の手から何かを取ったこともありません。」
(旧約聖書・Ⅰサムエル記12章1節~4節)
サムエルが「さばきつかさ」としてまつりごと(政治)を行うときに、
神の前に、
いつも、公正と潔白を心がけていたことがわかります。
自分の息子の地位も、民と同じにし、
自分に不正があるなら、
「油注がれた者(新しい王サウル)に訴えなさい」と言っているのです。
地位のある人、権力のある人、人の上に立つ人はすべて、
このサムエルのように、潔白であってほしいですね。