ノアの小窓から

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潔白であるということ

2016年06月16日 | 聖書



        旧約聖書には、何人か特筆すべき指導者が記録されていますが、
        古代イスラエル王国のためにキングメーカーとなった預言者サムエルは、
        出エジプトを指導したモーセと並べうる大きな存在でした。

        彼は、幼い時から神に仕え、早くから神の言葉を取り次ぎました。
        預言者としての抜群の力にくわえて、
        指導力があり、いつも周辺国から侵略されていたイスラエルを
        守り抜き、また
        正しいさばきで、民の信頼を得ていました。

        しかし、彼の息子たちは不肖の息子でした。
        せっかく父のあとを継いで「さばきつかさ」になったのですが、
        不正が多く、利得を追い求め、
        わいろを取り、さばきを曲げていたと書かれています。
        民は、このことに不満をつのらせ、
        サムエルに、
        「どうか、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立てて下さい。」と、
        王制を要求するのです。

        それまでの、イスラエルは、祭司や預言者が神にお伺いを立てて、
        政策を選ぶ「神聖」政治国家だったのです。
                  

        サムエルは、民の要求を気に入らなかったのですが、
        意外なことに、神は「民の要求を入れるよう」仰せになり、
        神のお示しになるまま、サムエルはベニヤミン族のサウルという若者を王に選びました。

        以下の聖書の記述は、民の前で、サウルを任命し、政権を移譲するとき、
        サムエルが行った演説です。
                  


        サムエルはすべてのイスラエル人に言った。
        「見よ。あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、
        あなたがたの上にひとりの王を立てた。

        今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。この私は年を取り、髪も白くなった。
        それに、私の息子たちは、あなたがたとともにいるようになった。
        私は若い時から今日まで、あなたがたの先に立って歩んだ。

        さあ、今、主の前、油注がれた者の前で、私を訴えなさい。
        私がだれかの牛を取っただろうか。
        だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。
        だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。
        もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」

        彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、
        人の手から何かを取ったこともありません。」
                          (旧約聖書・Ⅰサムエル記12章1節~4節)



         サムエルが「さばきつかさ」としてまつりごと(政治)を行うときに、
         神の前に、
         いつも、公正と潔白を心がけていたことがわかります。
         自分の息子の地位も、民と同じにし、

         自分に不正があるなら、
        「油注がれた者(新しい王サウル)に訴えなさい」と言っているのです。

         地位のある人、権力のある人、人の上に立つ人はすべて、
         このサムエルのように、潔白であってほしいですね。