こんにちわ。やっと九月になりました。
皆様、お元気にお過ごしでしょうか。
振り返ると、まるまる一か月の間、「ノアの小窓から」をやすんでしまいました。
体力の限界を、これほど感じた夏はありませんでした。
老化が確実に訪れているのを認めないわけにはいきません。
すべての生きとし生けるものには、神さまがお定めになったプログラムがあるのですから、
自分だけ、また、老いに対してだけ、例外を思うのは、ムシが良すぎるかもしれません。
じっさい、子どものときは、成長する楽しさと同時に、不自然さに戸惑う時代だったし、
若い娘のときは、気が散ることが多くて、喜びと苦しさが背中合わせだった。
結婚して、だれかと暮らす日々は・・・。
とにかく、あっという間に時間が過ぎて、
いまは、ときどき、自分が地に落ちている空蝉のように感じる・・・
でも、もちろん、深刻ではないのです。
私たちは、
「死んでも生きる」者であり、「生きていてわたし(キリスト)を信じる者は決して死なない」、
と、神様から約束していただいている。
今月は、敬老の日があるので、
老いと、この世での人生の終わりを、
聖書で、見て行きたいと思っています。
希望をこめて!!
聖書箇所、ヨハネの福音書11章25節26節
★ブログはもう一つ、聖書通読エッセイを出していて、それだけはなんとか書き続けています。
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