きのうのブログの続きです。
100歳ほども長生きの方を
食べ物だけで、その秘訣を見る、そのゆるゆるぶりを、ちょっと笑ってしまいました。
食べ物はもちろん大切だけどね・・・。
まあ、あの方たちが、私もしょっちゅう食べている「平凡な食材」だったと聞いて
ホッとしている人は多いのではないでしょうか。
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でも、やっぱり生命力と運だよねえと、思うのです。
食事など選んでいられなかった時代、身近にお医者さんがいなかった時代には、
なんと言っても、「丈夫に生まれつくこと」が一番だったような。
丈夫に生まれついても、戦争に取られるような時代だったし、戦場で、
あたら若いいのちを失うことも多く、いのちを担保に働く男たちは、必然的に
女性より短命だったかとも思うのです。
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遠縁のヨシさんを思い出しました。
50年前に80歳半ばだったので、もちろん、もう生きてはおられないでしょう。
生命力と運の強い人と、みんなに言われていました。
いつもうわさになっていたけれど、私が実際にお会いしたのは一度だけです。
彼女は、9人の子持ちでした。3人の娘を連れ子して、3人の息子がいる人に嫁いだのです。
なぜ再婚をしたのか。今のように、不倫、再婚ではなかったでしょう。
男も女もつれあいを失くす確率は、今よりずっと大きかったのです。
再婚して、3人の子どもが生まれたので、9人の子持ちとなったのです。
彼女の住んでいたのは、小豆島です。
雨の少ない、段々畑の地で、彼女は来る日も来る日も農作業をし、
9人の子と夫と舅姑の世話をしていました。、
どれくらいの規模の農家だったかはわかりませんが、彼女は大変な働き者で、
子ども9人に汚れたものを着せていたことがない、本人も場面に応じて、
マメに着替えをし、いつも身綺麗なお嫁さんだったとか。
(洗濯機のない時代です!)
まだ、村うちでは、義務教育だけで学校をやめさせる家庭が多かった時、
男の子にも、女の子にも、
女学校、中学校(今の高校)へ行かせ、
その働きぶりで、村(?)から表彰をされたこともあると聞きました。
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その日、私の母が、なぜか私をつれて、ヨシさんの娘の家を訪ねていたのです。ヨシさんの娘のひとりが
私の叔父の奥さんだったのです。
叔父の奥さんになった人はすでに亡くなっていましたが、親戚づきあいはあったのでしょう。
母が用事を足している間、ヨシさんと私は二人だけになったのです。
彼女は、骨格のしっかりした美人おばあちゃん(と、私には見えたのです)で、
気さくな笑顔に、私は親しみを感じていました。
私は、「大家族だったそうで、大変でしたね」とか何とか、申し上げました。
「ええ。それはもう。で、私は、いろいろやりましたよ。」
とヨシさんは答えました。
「子供全員に仕事をあてて、やらせるの。それはそれは、仕事が多かったからね。
学校に行く前にすること、家の手伝いですること、野良で手伝うこと、
そりゃたくさんありましたからね。」
「私はね、竹を9本、筒に切って、土間にかけておくの。それぞれに、子どもの名を書いて、
担当の手伝いができていたら、一銭を入れてあげるの。」
毎日、そうして、子どもたちにご褒美を上げたのよ」
そっか~。と私は合理的思考のおばあ様を見つめました。
「そうよね。そうしてくれれば、あたしだってもう少し家の手伝いをできるかも」
と、思ったかどうかは覚えていないのですが、
いわゆる「継子(ままこ)」のいる複雑な家族関係の中で、
それをとても上手に、切り盛りしていたという彼女の秘密を聞いたと思いました。
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私は、丈夫で、たくましく働き者で、合理的思考の、ヨシさんのようなおばあちゃんに、
なれそうもありませんが、
50年後、のちの世代の人に、
「そういえば、あのおばあさん・・・」と自分の語ったこと→生きざまを、
だれかに思い出させる力も、
はたして、私にはあるかしらと思うのです。
ヨシさんのような人こそ、本当の長生きをしているのではないかしら。
でも、それって、生命力がなくては無理!と
言い訳しているのです。