日本の戦記物には、
腕に覚えのある武将が一騎打ちをする場面が、戦場の華(はな)のように語られます。
「やあやあ、遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ」
この名乗りは、戦記物を読むと必ず出てきます。
子どもの本、たとえば、義経物語や曽我兄弟物語などにも出ていました。
戦いを前に、武者震いをしている武将の姿が目に見えるようです。ですから、
日本人には、サムエル記の次の箇所、ゴリヤテがダビデと対決する場面は、
よく理解できるのではないでしょうか。
● ◎
ペリシテ人(ゴリヤテ)はダビデに言った。
「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
ダビデはペリシテ人に言った。
「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、
私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」
きょう、主はおまえを私の手に渡される。 私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、
きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。
すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。
この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。
この戦いは主の戦いだ。主はお前たちをわれわれの手に渡される。
そのペリシテ人は、立ち上がり、ダビデを迎え撃とうと近づいて来た。
ダビデもすばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。
ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。
石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。(Ⅰサムエル記17章44節~49節)
じつに、簡潔な描写ですが、ダビデは、勝ったのです。
ダビデが石投げ器で打ち込んだ小石は、ゴリヤテの額に命中しました。
石投げ器は素朴な武器ですが、
射程は弓より長く、速度も速かったそうで、急所に命中すれば、威力を発揮したのです。
石投げ器
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E7%9F%B3%E5%99%A8
◎ ●
切り札の勇士ゴリヤテが倒されたペリシテ陣営は総崩れになって、逃げたのです。
ダビデは、イスラエルを窮地から救ったのです。
戦場から凱旋する道々、イスラエルのすべての人が街々から出てきて、
サウルとダビデを迎えたのです。
女たちはイスラエルのすべての町々から出てきて、
タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、歓び踊りながら、
サウル王を迎えた。
女たちは、笑いながら、繰り返してこう歌った。
「サウルは千を打ち、
ダビデは万を打った。」
サウルは、この言葉を聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。
「ダビデには、万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」
その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
(同18節6節~9節)
イスラエルの英雄となって、いわば金メダリストになったダビデは、
王をしのぐ人気者になりました。
見た目も、美貌のダビデが、名実ともに「輝いていく」のです。
サウルは嫉妬に狂って、ダビデの殺害を企てるようになります。
嫉妬は、サタンが使う最強の武器です。
聖書にある人類最初の家庭内殺人事件、
カインが弟アベルを殺したのも、結局、嫉妬でした。(創世記4章1節~9節)
サウルは、ダビデがなぜゴリヤテを倒せたのかを考えるべきでした。
ダビデはもちろん、石投げの名手だったでしょう。
しかし、石をゴリヤテの額に命中させてくださったのは、
次のように唱えることのできるダビデの、「神への熱い信頼、信仰」でした。
「私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、
万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」
このようなダビデの態度を、神は
「人はうわべを見るが、主は心を見る」と言われたのでしょう。