ダビデのデビュー・ダビデとゴリヤテ
ミケランジェロのダビデ像を見たことがない人は少ないのではないでしょうか。
彫りの深い背の高い若者の立像は、
たくさんのレプリカが作られて、世界中の美術館の内外や町の中に置かれています。
もちろん、絵画教室や美術室には石膏が置かれています。
二日ほど前にも北京にあるダビデ像がテレビで話題になっていました。
高校時代、一応美術部にいた私と親友は、
石膏の若者たちを見ながら、よく言いあったものです。
「あんなに鼻が高い人が、ほんとにいるのかしら。」
神戸は、「国際都市」と言われていましたが、
いまのように外国人が「となりのアパートにもいる」ってことはありませんでした。
ハリウッドスターのカーク・ダグラスは、かなり石膏像に近かったけれど、
雷蔵さんのほうがイケメンだと思う時代でした。
● ◎
ダビデが、あの石膏像のような顔立ちだったかどうかはわかりません。
その子は血色の好い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。
(旧約聖書・Ⅰサムエル記16章12節)
ミケランジェロは、
この聖書の言葉からインスピレーションを得て、ダビデ像を作ったのでしょう。
いかにもギリシャ彫刻ばりの美貌ですが、そのことを非難できないかもしれません。
古代イスラエル人は、いわゆる白人ではなく、
むしろ、いまの中近東の人々のようだったろうと言われています。
聖書が生まれた場所が、じつはアジアであることは、今でも案外、見過ごされているかもしれません。
それでも、ダビデ像が素晴らしく美しい彫刻であることには変わりありません。
ミケランジェロは、外見ではなく、やはり、ダビデの心を写そうとしたのです。
◎ ●
大預言者サムエルから、
サウルの次の王として油を注がれた(王として任命のしるし)ダビデでしたが、
すぐに、王になれたわけではありません。
しばらくは、羊飼いの仕事をしながら、のんびりと生活していました。
おりしも、ペリシテとイスラエルの間に戦端が開かれました。
地中海に面したエラの谷で、両軍は、対峙しました。
(Ⅰサムエル記17章)
エッサイの家からは長男エリアブ、二男アリナタブ、三男シャマが戦場に出ていました。
ある日、ダビデは父親に呼ばれ、戦場に兄を見舞うよう言いつけられました。
戦いがこう着状態だったので、すべてのイスラエル人は心配していました。
こう着状態の理由は、ペリシテ人の勇士ゴリヤテでした。
ゴリヤテが、「だれか、自分と一騎打ちしないか」と挑発してくるのです。
もし、イスラエル人の戦士が勝ては、ペリシテが敗北を認めて撤退し、
イスラエル人が負ければ、「ペリシテの奴隷になれ」との条件です。
なにしろ、相手は2メートル50センチほどの大男。
その強さでその名はあたりに知れ渡っていました。
イスラエル側では、代表戦士をつのっても、みな怖気づいて志願する者がいません。
ゴリヤテは、毎日のようにイスラエルの陣営近くに来て、挑発します。
そのままでは、不戦敗になってしまいますから、
王サウルはほとんどノイローゼ状態でした。
ちょうどダビデが戦場に到着した時も、ゴリヤテが挑発する声がとどろいていました。
この侮辱に、ダビデは発憤しました。いえ、ダビデに着せられた神の霊が
ダビデを奮い立たせたのです。
ダビデは、サウル王にゴリヤテとの対戦を志願します。
サウルは、まだ少年のように見えるダビデの申し出に、最初、反対しました。
完全武装のゴリヤテに対して、ダビデは丸腰でした。
武器は、石投げ器一つ。それで小石を投げて大男を倒そうというのです。
とうてい勝ち目があるようには見えませんでした。