ダビデの不倫事件は、多くのことを私たちに考えさせます。およそ、ここからだけでも万の著述が生まれるのではないかと思います。
不倫事件は、それ自体、スキャンダラスなドラマです。関わる人間たちの間で戦場のように戦いが起こり、犠牲者が出るドラマです。無名の市民の間で起きても、関係する人たちを傷つけます。殺人事件まで絡むと、ただではすみません。
しかし、それが許される世界があり、時代があったのも事実です。一夫多妻が制度として容認されているか、不法を行う側が強くて、有無を言わせぬ力(権力、財力)がある場合、例えば、大奥を構えている将軍は不倫を咎められるでしょうか。彼にとって正妻以外に妻をたくさん持つことは、合法的なのです。自分の勢力や財力を強化するために結婚相手を選び、家系を繋げるために結婚を利用するのも当たり前のことであったのです。
大きな権力を持つ男が、女性一人を手に入れるのは、国境線の問題で争って兵を動かすよりよほど楽なことではなかったでしょうか。
ダビデは王なのですから、どうしてもバテ・シェバが欲しければ、ウリヤに離婚させることはできなかったでしょうか。かつて、ダビデは、元の妻ミカルを、再婚していた夫パルティエルから、強引に取り戻したのです。三人目の妻アビガイルとの結婚も、律法に照らして完全に正しかったかどうかわかりません。
男女の問題は、とても危ういものです。性は、非常に個人的な衝動と熱情が絡んでいます。当事者だけを隔絶した世界に誘い込む、目のくらむような欲望と道連れなのです。同時に、その私的な世界は、人間の社会的関係の中にあるのです。
性的関係を結ぶのは簡単ですが、どんな人にも家族がいます。社会的立場があります。子どもが生まれれば、新しく大きな社会関係が広がります。
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ダビデは、バテ・シェバが水浴びをしているところを見たとき、すぐにも彼女と寝たくなったのです。その時、すでに彼女を人妻だとわかっていたのですから、律法違反であることもわかっていたでしょう。バテ・シェバが妊娠せず、そのまま一度限りの関係で終わっていたら秘密の火遊びで済んだかもしれません。それでも、神の目からご覧になったら罪であり、神はそのことをお忘れにならないでしょう。
バテ・シェバの妊娠は、すでに神の罰であったとも言えます。サタンがダビデを試していたとも見えます。ダビデは自ら招いた問題で、サタンに試みられているのです。
「さあ、この問題をどう処理しますか! お手並み拝見だね」
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「『あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行おう。』」(第Ⅱサムエル記12章12節)
ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった。あなたは死なない。(12節)
しかし、あなたはこのことによって、主の敵におおいに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」(14節)
このくだりは、ダビデの真摯な悔い改めとして評価されています。ダビデは、預言者ナタンに罪を指摘され即座に悔い改めたというわけです。
事実、そのとおりであったのでしょう。ナタンは、神がダビデの罪を見過ごしてくださったと答えるのです。ダビデは死を免れ、不倫の子が死ぬのです。私個人の考えですが、これは、ダビデの受ける罰の代わりとしては、大いに軽いように思えるのです。ダビデにはすでに多くの子どもがいますし、バテ・シェバは妻ではないからです。
では、神の罰は甘かったのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。
主は、ダビデに、ダビデのしたことは、主の敵にイスラエルの神への侮りを起こさせたと言うのです。これほど、激しい非難の言葉はあるでしょうか。
事実、ダビデは、その後の人生で、自分の犯した罪を償わせられています。
それは注意深く覆われた書き方ですが。
Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記331 「ダビデとバテ・シェバ」事件(第Ⅱサムエル記12章12節~14節)より再録.