そういえば、昨今、ほとんど聞かれない言葉に、「ひきょう」があります。
「ずるい」は、生きているようですが、「ひきょう者」って言いませんよね。
やまゆり園で大量殺人を行った男に対して、一番ピッタリな言葉、
それが、ひきょう者だと思います。
彼が逮捕されたとき、悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべていたことを
「不敵な笑い」と形容する向きもありましたが、それは買いかぶりすぎというものです。
一番弱い、一番傷つけやすい者を傷つけるなんて、「ひきょう」そのものです。
行きずり殺人などを見ていても、切り付けやすい女子供を狙っている。
いかにも強そうな「おにいさん」なら、腰をかがめて避けて通るのに、
ちゃんと相手の強さや大きさを測れる。
そのような者に心神喪失なんてあてはまらない!
と思うのは、私だけでしょうか。
★
「ひきょう者は弱虫だ!」
そんな言葉が、広がればと思います。
たとえ、全身に入れ墨があっても、
銃や刃物で武装していても、
おおぜいで群がっていても、
「ひきょう者は弱虫だ!」
しかし、逆は真ならずです。
「弱虫は、ひきょう者」では、ありません。
パウロも言っています。
「私は、弱い時にこそ、私は強いのです!」(新約聖書・Ⅱコリントへの手紙12章10節)
これはもちろん、弱さをみとめて神の前にひざまずくとき、神が味方になって下さるからです。
「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(同9節)
赦せないっていえば赦せないけど、精神の病気の人、って間近で見るといつもすごく怖いです。本当に責めるだけで良いのかな…
たしかに、彼もかわいそうだと思います。取り返しのつかないことをしてしまったのですから。
彼の中で、何か理想とか夢が崩壊してしまったのではないでしょうか。福祉の仕事って人の美しい心を吸収するところがあるでしょう。良いことをしようと思って来る、成長産業だと思って来る人とか、色々だと思いますが、どこかで、つまずくんでしょうね。人生でつまずくことはいっぱいあります。でも、ほとんどの人は,「たいへんなとき」も、人を殺したりしません。実際にひどい事件を起こしたから、心の病というのでもないような。
やっぱり、私たちには神さまが必要だと思います。泣いたりつまずいたりした時こそ、抱きしめてくれるイエス様を今からでも知ってほしいと思っています。
身体の弱ってるときにこの事件のことを思ったら非常に、精神的に来ましたね。
今後聖職者と接見の機会があるかもしれません。
刑務所で聖書に出合い、救われた人もいます。いつか神様に出会って欲しいものです。…アーメン。
悔い改めてイエス様を信じて下されば、罪が赦されて「神の国」に入れていただくことができるのです。心から悔い改めてほしいです。人間に対しては、いろいろ突っ張って、カッコつけているんでしょうが、神様につっぱっても仕方がない。みんなで、彼の救いのために祈りましょう。、