ノアの小窓から

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天使について

2017年07月06日 | 聖書




      天使が通る


      会話が途切れて、一座のものが黙り込むことをいうフランスのことわざだとか。
      さすがフランス人、しゃれていますね。

      聖書では
      じっさいには、天使は複数の人にではなく、
      ひとりの人に現れていることが圧倒的に多いと思いますが、

      天使を見た人たちは、みんな唖然としてすくんでいる感じです。

      たとえば、受胎告知を受けたイエスの母マリヤ、
      年老いた妻エリザベツが身ごもると告知を受けた、バプテスマのヨハネの父

      怪力の英雄サムソンの誕生を告げに来たのも「主の使い」とありますから、天使です。

      いずれも、人を唖然とさせる劇的な場面です。

      聖書では

      私たちは、神のお姿を見ることはできないのです。

      神を見た者は死ぬと書かれています。
          ★★

      でも、神は、必要がある時はお語りになっているのです。
      神が語りかける場面は、エデンの園のアダムとエバの物語、
      彼らの長男で、弟アベルを殺したカインをはじめとして、
      箱舟に避難するよう特別な警告を受けたノア、
      メソポタミアから、一族をはなれ、はるばるカナンに出てきたアブラハムの選択も、
      神のご命令によるものです。

             〇●

      神は、風や雨やいろいろな自然現象を通じてもお語りになる書かれていますが、
      天使は実在の(人の)姿を取って現れるので、

      たぶん、目の前に天使が現れたら、どんな不信心者もおしゃべりをやめて、

      唖然としてその姿を見ることでしょうから。

      会話が途切れた時の静寂を、
      こんな風にたとえるなんて、拍手ですね。

      
      最初に言ったのはだれでしょう。
      座布団五枚!!ですね。


 


     

     




       


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