台風情報は、子供の頃からあった。
関西は、台風の通り道であったから、
梅雨が終わって炎暑の夏が終わるころには、
かならず、一度や二度台風が襲来する。
★
台風が来るかどうかは、学校が休みになるかどうかなので、
子どもたちは、何日も前から、生き生きと話題にした。
インターネットはもちろん、電話さえすべての家にあるわけではないので、
ちょうど、朝に襲来してくる台風に合わせて学校を休むべきかどうかは、
学校に行ってみなければわからない。
まあ、台風のピークはたいてい二時間もすれば通り過ぎるので、空模様を見ながら、
行くべきか、止めるべきか、親と議論するこの朝もいつになく楽しかった。
のんきな子供時代?、世の中全体がゆるゆるだった?
★★★
台風が午後から来るくらいのときは、学校に行った。
学校で、授業打ち切りの発表があって、
「皆さん。気を付けて帰ってください」と校内放送があったりする。
屋根瓦が飛んでくるから、電柱が倒れてくるかもしれないから、
マンホールがあふれるから、「気を付けて帰るように」と、
同じ方向のものがグループを組まされて、並んで帰った。
日ごろは嫌味な男の子でも、
腕力のありそうな子は、そんなときなんとなく気負っていて、
「俺のあとをついてこい」なんて言ってくれる。
低学年の子なんか、「お姉さん。お兄さん」と頼ってくれる。
それも案外、楽しかった。――のんき――
だけど・・・すでに雨で陥没している道路があり、石垣が崩れていて、
家に帰ったものの、瞬間風速60mかと思える時は、家が揺れた。
雨戸を閉め、子どもは学用品を、親は貴重品を背負い、
家の真ん中あたりにひとかたまりになっていた。
いつもは外につながれている犬も玄関のたたきで、猫はおびえた目で窓際にいて、
でも、二時間ほどたつと、たしかに風の音がおさまってくる。
「あー、やっと行ったみたいね。ホンマ、戦争中の空襲みたい」
母は、かならず、台風直撃と空襲とを結びつける。
数年後には避難所になった小学校から、避難指示が出たその地域に、わざわざ帰っていて、
けっこうみんな無事だったのは、不思議としか言いようがありませんね。
ほんと、生きてきたのではなく、生かされてきたのですね。