ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

登攀

2017年01月16日 | 思い出


    登攀(とうはん)
    めったに使わない言葉を思い出しました。
    部屋から見える丹沢の山脈が、刷毛に白い絵具をつけて、
    ざらざらした木の幹をなぞったみたいに、雪を刷いているからです。

    案外、高い山なんですね。
          

    もう30年以上も前に、山歩きが趣味の友人夫妻に、
    「一度、山に連れて行ってください」とお願いしたら、丹沢に「登攀」することになったのです。
    「まあ、初心者だということなので、鍋割にしましょう。楽なコースです」
     友人のご主人がこともなげに言われて、
    「そっか。初心者コースはちょっと不満だけれど、まあ、なにごとも初めがあるのだから」
     と、思ったくらいでした。
     私は、山道を歩くくらい、楽々! 
     子ども時代は、裏の六甲山によくハイキングにいったし、
     大勢のクラスメートと行った時も、ずっと元気で、落伍はしなかったし、
     つれあいは、なんであれ「できない」と弱みは見せられない人、
     谷川岳のすその村で育ち、つねづね、
     谷川をまるで自分の家の庭のように話していた・・・。

     小田急線のS駅で、朝7時に待ち合わせ、登山口の駅に着いたのは8時、
     まず、2キロのアプローチ道を歩きますというわけで、未舗装の勾配のない道を山の入口へ。
     「軽い軽い」と山の空気を胸いっぱい吸って、口笛なんか吹きながら、歩いているうちに、
     道は細く、急勾配になり、大きな石の間を四つん這いになったり、
     手を引っ張ってもらったりして上ること、3時間。

     「うまく歩けば、3時間ですよ」の道のりで、頂上らしいものが見える度に、
     それを励みに、
     大声を出して、はしゃいでいたのは、まだまだ、若かった証拠です。

          
     やがて、
     頂上らしい突起が見えて、そこにたどり着くと、
     まだ、先に道があるってことでした。「あれが頂上なんだ」と指差して、
     その場所に着くと、さらに先があるのです。

     「あと、一息ですから」
      20キロ以上はありそうなバックパックを背負ったご主人は、荷を下ろしもせず言います。
     「あそこまで行けば、ひと休憩をしてCoffee を飲みましょう。
      ドリップの道具をもってきていますからね」

      最悪は、つれあいが靴擦れをおこして歩けなくなったこと。
      なんと彼は前日に思いついて、
      靴屋に行き、安いスニーカーを買ったのです。
      とうとう、足指があたるという箇所を、ナイフで切り裂いてもらって
      やっと歩き出す始末です。

         
      あれやこれやで手間取り、
      下山途中で、日が山陰に落ちて行きました。
      まったくの初心者二人を連れて、さすがにガイド役の友人たちは焦っているようでした。
      それでも、「奥さんは下り方がお上手ですね。普通、上りより下りがむずかしいのですよ」
      とほめてくれます。
      アプローチの道まで戻ってきた頃には、あたりは真っ暗闇です。
      小さな懐中電灯一つで、駅に向かいながら、私と友人は歌を歌い始めました。
      熊でも出てきたら、歌声を聞いて逃げてくれるかもしれないと
      かすかな「働き」をしているつもりでした。

         
      「駅前で飯でも食いましょう」と、その小さな食堂に入ったときには、
      もう二度と立ち上がれないと思いました。

      出されたラーメンもビールもまったく喉を通らず、
      箸をもつのもめんどうで、
      全身が綿のようなのに、でも、きもちははしゃいでいました。

        
      「これから、月一回くらい上りましょう。なあに、一年もしたら、八ヶ岳に行けますよ。
      きょうは、2000メートルの山だったから」
      と、おっしゃって下さったと思ったのです。
      でも、以来、お二人との山行きはありませんでした。
      その後、お誘いがなかったのですが、
      それ以上に、
      ナイフであちこち切り裂いた、ボロボロのスニーカーで歩くことになったつれあいが、
      二度と山に行くとは言わなくなったのです。
      
      問題は、 
      私が、人に会うたびに自慢していたことです。
      「丹沢に上ったのよ。2000メートルよ。
       時間がなくて、その後は行かなかったけど。2000メートルなら大丈夫だったわ」

         
       きょう、この思い出を記事にしようと、
       ネットで丹沢・鍋割を調べました。

       なんと、標高1272・5メートルの山でした。       
       ずうっと水増しした数字を握りしめていたのです。

       こんなことって、

       ほかにも、いろいろあるかもしれない、と、大いに首をすくめました。




       

      



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