登攀(とうはん)
めったに使わない言葉を思い出しました。
部屋から見える丹沢の山脈が、刷毛に白い絵具をつけて、
ざらざらした木の幹をなぞったみたいに、雪を刷いているからです。
案外、高い山なんですね。
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もう30年以上も前に、山歩きが趣味の友人夫妻に、
「一度、山に連れて行ってください」とお願いしたら、丹沢に「登攀」することになったのです。
「まあ、初心者だということなので、鍋割にしましょう。楽なコースです」
友人のご主人がこともなげに言われて、
「そっか。初心者コースはちょっと不満だけれど、まあ、なにごとも初めがあるのだから」
と、思ったくらいでした。
私は、山道を歩くくらい、楽々!
子ども時代は、裏の六甲山によくハイキングにいったし、
大勢のクラスメートと行った時も、ずっと元気で、落伍はしなかったし、
つれあいは、なんであれ「できない」と弱みは見せられない人、
谷川岳のすその村で育ち、つねづね、
谷川をまるで自分の家の庭のように話していた・・・。
小田急線のS駅で、朝7時に待ち合わせ、登山口の駅に着いたのは8時、
まず、2キロのアプローチ道を歩きますというわけで、未舗装の勾配のない道を山の入口へ。
「軽い軽い」と山の空気を胸いっぱい吸って、口笛なんか吹きながら、歩いているうちに、
道は細く、急勾配になり、大きな石の間を四つん這いになったり、
手を引っ張ってもらったりして上ること、3時間。
「うまく歩けば、3時間ですよ」の道のりで、頂上らしいものが見える度に、
それを励みに、
大声を出して、はしゃいでいたのは、まだまだ、若かった証拠です。
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やがて、
頂上らしい突起が見えて、そこにたどり着くと、
まだ、先に道があるってことでした。「あれが頂上なんだ」と指差して、
その場所に着くと、さらに先があるのです。
「あと、一息ですから」
20キロ以上はありそうなバックパックを背負ったご主人は、荷を下ろしもせず言います。
「あそこまで行けば、ひと休憩をしてCoffee を飲みましょう。
ドリップの道具をもってきていますからね」
最悪は、つれあいが靴擦れをおこして歩けなくなったこと。
なんと彼は前日に思いついて、
靴屋に行き、安いスニーカーを買ったのです。
とうとう、足指があたるという箇所を、ナイフで切り裂いてもらって
やっと歩き出す始末です。
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あれやこれやで手間取り、
下山途中で、日が山陰に落ちて行きました。
まったくの初心者二人を連れて、さすがにガイド役の友人たちは焦っているようでした。
それでも、「奥さんは下り方がお上手ですね。普通、上りより下りがむずかしいのですよ」
とほめてくれます。
アプローチの道まで戻ってきた頃には、あたりは真っ暗闇です。
小さな懐中電灯一つで、駅に向かいながら、私と友人は歌を歌い始めました。
熊でも出てきたら、歌声を聞いて逃げてくれるかもしれないと
かすかな「働き」をしているつもりでした。
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「駅前で飯でも食いましょう」と、その小さな食堂に入ったときには、
もう二度と立ち上がれないと思いました。
出されたラーメンもビールもまったく喉を通らず、
箸をもつのもめんどうで、
全身が綿のようなのに、でも、きもちははしゃいでいました。
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「これから、月一回くらい上りましょう。なあに、一年もしたら、八ヶ岳に行けますよ。
きょうは、2000メートルの山だったから」
と、おっしゃって下さったと思ったのです。
でも、以来、お二人との山行きはありませんでした。
その後、お誘いがなかったのですが、
それ以上に、
ナイフであちこち切り裂いた、ボロボロのスニーカーで歩くことになったつれあいが、
二度と山に行くとは言わなくなったのです。
問題は、
私が、人に会うたびに自慢していたことです。
「丹沢に上ったのよ。2000メートルよ。
時間がなくて、その後は行かなかったけど。2000メートルなら大丈夫だったわ」
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きょう、この思い出を記事にしようと、
ネットで丹沢・鍋割を調べました。
なんと、標高1272・5メートルの山でした。
ずうっと水増しした数字を握りしめていたのです。
こんなことって、
ほかにも、いろいろあるかもしれない、と、大いに首をすくめました。