ノアの小窓から

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【婚活】クリスチャンの婚活Partyに密着してきました!!(主催:クリスチャンのための結婚相談所Lita)

2020年08月17日 | 立ち止まって考えること

 

結婚という言葉は、「誕生」「死」と同じく、いのちの大きな節目ですね。未婚の人の割合が増えているとか、結婚だけが人生の姿ではないと考えられるのも事実ですが、結婚は、生命の営みの内に、最初から組み込まれた「不思議な装置」ではないでしょうか。

何もかも完全に与えられ、快適に整えられたエデンの園に置かれた最初の人アダムは、一人でも十分やって行けたはずです。彼は、園の管理人として自由にのんびりとくらしていたのです。園の中央には「命の実の木」があって、その実を食べれば、アダムは永遠に生きることができました。神様がいつもそばにいて下さるのでさびしくもありませんでした。

けれども、神様はアダムを見て仰せになりました。

「人がひとりでいるのは良くない。助け手を与えよう」

そしてエバを、アダムに娶(めあ)わせられたのです。

この話をファンタジーだと思われるでしょうか。そう感じていただいてもOKです。しかし、ファンタジーに真理がなければ、だれが聞くでしょうか。

 

【婚活】クリスチャンの婚活Partyに密着してきました!!(主催:クリスチャンのための結婚相談所Lita)

 

 

   

とにかく、人は結婚し続けてきました。成人前に亡くなるとか、なぜか独り身を選ぶとか、すぐに死に別れるとか、かならずしも自分の目に叶った相手でないとか、いろんな不完全さの中で、でも、結婚してきました。その結果として、いのちを繋いで、増え続けてきたのです。まさに、神様が人を置かれた後に、仰せになった通りです。

「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を満たせ」

これは、ファンタジーではないですね。リアルですね。

地球は人であふれていて、だれひとりとして、結婚(もちろん広い意味でです)の結果として、生まれなかった人はいないのです!!

 

   ★★

 

私個人は、個人的に誰かに、「結婚しなさい」などというつもりはないのです。

けれども、としごろになって、誰かを恋い慕うのは、素晴らしいと思うのです。恋の先に愛と結婚があり、その結婚が多くの人から祝福されるものであれば、申し分がないですね。なぜ人を恋い慕うようになるのか、だれにもわかりませんね。でも、そのような「時」があり、その時でなければならないこともあるのです。ただ、だれもが「その時」に出会えるとは限らないのです。

私の若いころには、仲人さんがあちこちにいました。半ばプロみたいに、独身男女を見ると結婚話にまとめる人。チャンスがなければ、「お見合い写真」を配れば、どこかで実ることもありました。年配者や親せきや、友人が心配してくれたのです。

最近では、人ではなく、ネットが人を出会わせるそうです。

また、「婚活」という言葉も花盛りです。クリスチャンの世界でも、例外ではありません。

 

 

 

 

 

                    

 

 

 

  

 

 

 


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