ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

新年のご挨拶

2021年01月01日 | 立ち止まって考えること

 あけましておめでとうございます!!

 

 旧年中は、コロナコロナで大変な日々でした。皆さまは、感染の脅威をどのようにしのがれたのでしょうか。病気感染はもちろんのこと、あらゆるところでさまざまな余波が巻き起こったようです。

 最悪の高波をかぶった方々、なんとか最悪は免れたけれども、見えない損失や漠然とした不安に日常をかく乱されてしまった方は多かったと思います。どちらかと言えば平時はお花畑気分のさとうも、かなり参った時期がありました。

 

 ★★

 

 さて、教会では、今年も元旦礼拝がありました。とはいえ、会堂礼拝にZOOMを併用して、いずれも少人数でした。じっさいに人と会わないようにしているので、代わりに、電話、ラインやフェイスブックのメッセンジャー機能が活発になりました。ツイッターも始めてみましたが、まだよくわかっていない。

 理解が追い付かないのに、どんどん新しいことに慣れなければいけないので、どれも消化不良です。今年の暮れまでには、少し進歩しているでしょうか。

 

★★

 

 昨年大晦日に、駆け込みのように、さとうの小説を何冊か買ってくださった方いて(もちろん、購入者の方がだれかはわかりません。)、励まされました。

 さとうは、実務的な編集作業やデジタル処理は苦手です。本当は書くだけに専念したいのですが、ここは頑張りどころです。紙の本は、大変めんどうなもので、制作コストは高く、売れなければ邪魔にもなるのです。つれあいが一応商業出版し続けた物書きでした。紙の本が作られる過程も、その労苦も、その最後の無残も、よく知っています。

 

 けっきょく本を愛した人たちによって支えられた文化です。若い時は、すてきなセーターやケーキを我慢して買った一冊ずつ。何十年たって、蔵書だけはたくさんあり、しかし、それらの多くが、昔の恋人のように色褪せてくるのは意外でした。けっきょく、十年ほど前に、五千冊くらい(二人合わせた分です)の本を捨てました。

 アメリカではすでに電子書籍の時代だそうです。見たこともない時代が、到来している気がします。

 

★★

 

 今年は、PC内に書き溜めている(溜まっている?)エッセイや小説を書籍にして出しておきたいと念じています。原稿用紙に一字一字書くことが文章作りだと教わった世代ですから、毎日ふんだんに新しい誌面が提供されるブログは、ありがたいシステムです。けれども、いつ、このシステムも終わりになるかわからない。

 考えるまでもなく、自分だっていつ御国(天国)に召されるかわかりません。人は、生まれたら、必ず死にます。早く死ぬことが不幸であるかどうかもわかりませんし、長生きしてもいくらでもありません。

 「私たちの齢(よわい)は七十年、健やかであっても八十年」と、モーセの祈りに歌われています(詩篇90篇10節)

 

 三千五百年の昔から、人間の寿命はどれほど延びたでしょうか。死は先延ばしになっても、生物としての働き盛り(繁殖期間)は大して変わっていないでしょう。すべては、神さまのみ手の中にあるとの実感をいよいよ強くしています。過去、死ななかった人はいないし、敬老の日に百歳の方が、テレビインタビューで、「あっという間だった」と言っておられるたのを聞きました。人生は短いものだと、ようやく、気づく日々です。

 

 アマゾンとは、契約書を交わしていますし、売れれば一冊からでも、きちんと支払ってくれます。 

 アマゾンが展開しているところなら、市場は世界中です。英語が強ければ、ベストセラーも夢ではなさそうですが、さとうは、英語であいさつメールを書くことと、新聞のベタ記事を読むのがやっとですから、とても外国語で、小説やエッセイを書くことはできません。

 自信のある方、意欲のある方は、どんどん挑戦なさったらいかがでしょうか。そういう時代が来ているのではないでしょうか。

 

★★

 

 2021年、

 皆様の祝福をお祈り申し上げます。

 本年もよろしくお願いします。

                 さとうまさこ

  

 

 


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