貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる。(伝道者の書4章13節)
加齢により頑固になるのは、もう、「世界の法則」みたいなものですね。どのような生き物にも旬があり、「見ごろ」「食べごろ」があり」ます。栄養を取り入れて育つ時期、恋をして子孫を作る時期は定まっています。
自然界の生物は年を取ればしぜんに死にますが、人間は、生殖できなくなっても、仕事ができなくなっても,からだのあちこちにほころびが現れても、生きることができます。生活環境や医療や栄養が良くなったからだけではなく、人間は、「動物とは異なる内的時間をもっている」からです。
聖書によれば、それは、「永遠を思う」能力です。聖書の主役である「創造主なる神」は、永遠から永遠までを、「現在として自存しておられる」方です。
私たち人間は、他の動物と異なって、神に似せて造られたのです。(少なくともこれが聖書の立脚する視点です。さとうももちろん、この視点に立っています。)
神に似せて造られた人間は、ほかの動物とは異なっています。良心や愛の心をもち、永遠を想い、神に祈らないではいられないのです。永遠をのぞみ見ることができる人間にとって、老齢は、単に衰えて行くだけのものではありません。肉体は古壁のように落剝しても、決して滅ぼされない「たましい」があると考えられるのです。
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長寿自体は、もちろん、喜ばしいことですが、物質である頭脳は固くなり、体は病にかかるのです。日々直面する激しい労働には耐えられなくなります。
自分の生活を守っていればよい庶民は、それでも良いのですが、多くの人を支配管理する王が頑なになって、忠言を受けいれなくなると世の中に支障が起ります。
そのような愚かな王よりは、貧しくても知恵ある若者の方が、よほど良いと、伝道者は言うのです。
たとい、彼が牢獄から出て来て王になったにしても、たとい、彼が王国で貧しく生まれた者であったにしても。(14節)
私は、日の下に生息するすべての生きものが、王に代わって立つ後継の若者の側につくのを見た。(15節)
この箇所は、ソロモンの実体験から導かれた言葉のように見えます。
彼自身が、その手腕を見込んで引き上げたヤロブアムという若者が、けっきょく、ソロモンの国に対抗して北イスラエル王国を立てたのです。イスラエル王国は、以後、南北に分裂して弱体化して行きました。
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いろんな幸運も重なって、ソロモンは古代イスラエル王国の絶頂期に君臨していました。
一介の牧童から神の選びにより王に立てられたは父王ダビデは、弱い国を安定させるためにたくさんの試練を経験しなければなりませんでした。
一方、父王の死後、ソロモンは、すっかり盤石になったイスラエル王国を受け継ぎました。当時の国際情勢もあずかって、ソロモンは国土を広げ、交易や政治的折衝で国を富ませ、あらゆる繁栄を楽しみました。何よりも彼は多大の時間と経費をかけて、イスラエル国家の中心である神との礼拝の場、父ダビデの念願だった「神殿』を建設しました。
ソロモンの王位は、約40年間続きました。しかし、神の戒めに逆らって、多くの妻を持ち、妻たちの持ち込んだ異教の神々を認め、また軍備を増強し、税で民を苦しめるようになったその政権に、謀反が起きるようになっていきました。
すべての民には果てしがない。彼が今あるすべての民の先頭に立っても、これから後の者たちは、彼を喜ばないであろう。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。(16節)
自分の死後、王国が足元から瓦解していくかもしれないと認めていながら、伝道者は、その一大事を、どこか他人事のように考えていますね。
「空の空、すべては空」と、ものうく世界を見まわす「老人」になっていたからでしょうか。