2011年3月11日は、冷たい日だった。
当たり前の3月の冷たさだったかもしれないけれど、
絶対的な冷たさを経験した長い一日。
あんな揺れは経験したことがなかった。
テーブルの下にもぐって、叫んだ。
「助けて下さい。神様。助けて下さい」
叫んでも叫んでも揺れは続いた。
ケータイをもって、外に駆けだした。
まず、連絡を! 妹に連絡を。弟に連絡を。友人に連絡を。
いやいや教会に連絡を。
携帯はまったく通じなかった。
トランジスタラジオをもっている人のそばで聞き耳を立てる。
激しい地震は、それでも、東京直下ではなかった。
長い時間呆然と立ちすくむ。人の顔もよくわからない。
★
空腹に気がついて、近所のスーパーに行った。
すでに店は閉じられていた。
もしかして、食べられないかも知れない。
寒さに耐えられなくて、部屋に戻った。余震が続く。
暗くなってきた。電気がつかない。ガスがつかない。
信じられない。こんなことが自分の身に降りかかるなんて・・・。
真っ暗な中で祈った。
祈りの歌を歌った。
ひっそりと息をつめたような静寂の中で、
聞いてください。この祈りを~
震えながら、声をかぎりに歌った。
電気がついた後、パソコンに関西の友人たちからたくさんのメールが入っていた。
「大丈夫ですか!」
みんな気にかけていてくれたんだ!! うれしかった。
★
祈る時間も、歌う時間も、泣く間もなく、往った方々のために、
今夜も祈り、歌う。
聞いてください。この祈りを。
聞いてください。この叫びを。
神様。みんな、あなたのお造りになった子供です。
どうか、だきしめてくださって、
天国の美しい流れのそばで、憩わせてあげてください。
私たちもいずれ、そこに行きますから。
3,11
人として
忘れることはぜったいにないです。