パパちゃんの父親は、みんな「おじいちゃん」と呼んでいます。
4年前のお正月は、義父母は元気に動き回っていたのに、、、
その年の3月に脳梗塞を起こして、近くの病院に入院しました。その前にも1度あったけど、軽くすんで元の生活に戻れていたのです。でも、
3月に入院しても、麻痺した半身はよくはなりませんでした。おばあちゃん(パパちゃんの母)は、毎日病院に通い、新聞を届けたり洗濯物を交換したりーーー
そのおばあちゃんは、その年の5月の連休後、苦しくってと言いながらガンセンターで検査したとたん、手遅れとのことで、月末に亡くなってしまいました。4ヶ月前に検査をした時は、異常なしだったのに。入院して、1週間であっという間に
葬儀・法事にも参加できないまま、おじいちゃんは入院6ヶ月。
病気はOKになったけど、一人では何もできない・・・介護してもらいながら、
毎日リハビリを続けるようにと、
短期の介護施設にお世話になって、2年。特養(↑上の写真)に入って、1年半。
その間、土・日・祭日など、遠くに外出でない限り、パパちゃんは必ずおじいちゃんの所に通い続けていました。
Y新聞の競馬欄を持ち、コンビニでスポーツ新聞と甘いお菓子を1個買って~
(お酒大好きだったのに飲めない、その分甘いものが大好きに!)
子供達も、よく付き合っています。マイファミリーのいいところかな
そして、先週、
高熱・おなかの調子が悪いと、市内の大きな病院で検査。
悪いところが見つかり、貧血で血液も少なくなっている、と
入院となってしまいました。
点滴で栄養、輸血も続けなければ、、、
でも、おじいちゃんは、いつもと変わらずよくしゃべっています。
入院は、しばらく続きそうです。
チーママも、病院に通う日が続きます。子供達も、毎日寄っているんです。
今日は、おじいちゃんの誕生日!
毎年、可愛いケーキを届けていたけれど、残念ながら食べられず
代わりに、
みんなでおじいちゃんを囲んでいる大きな写真を飾ってあげました。お花もネ
足や背中をさすってあげると、喜びます。
おとといの明け方に帰ってきたパパちゃん、
清水に勝った~~と大喜び、8年めにしてレッズがあちらで!
お土産は、どちらも
団子は、あんこと黄な粉
お菓子は、パイ・ゴーフレット・クッキーの詰め合わせ やったね
4年前のお正月は、義父母は元気に動き回っていたのに、、、
その年の3月に脳梗塞を起こして、近くの病院に入院しました。その前にも1度あったけど、軽くすんで元の生活に戻れていたのです。でも、
3月に入院しても、麻痺した半身はよくはなりませんでした。おばあちゃん(パパちゃんの母)は、毎日病院に通い、新聞を届けたり洗濯物を交換したりーーー
そのおばあちゃんは、その年の5月の連休後、苦しくってと言いながらガンセンターで検査したとたん、手遅れとのことで、月末に亡くなってしまいました。4ヶ月前に検査をした時は、異常なしだったのに。入院して、1週間であっという間に
葬儀・法事にも参加できないまま、おじいちゃんは入院6ヶ月。
病気はOKになったけど、一人では何もできない・・・介護してもらいながら、
毎日リハビリを続けるようにと、
短期の介護施設にお世話になって、2年。特養(↑上の写真)に入って、1年半。
その間、土・日・祭日など、遠くに外出でない限り、パパちゃんは必ずおじいちゃんの所に通い続けていました。
Y新聞の競馬欄を持ち、コンビニでスポーツ新聞と甘いお菓子を1個買って~
(お酒大好きだったのに飲めない、その分甘いものが大好きに!)
子供達も、よく付き合っています。マイファミリーのいいところかな
そして、先週、
高熱・おなかの調子が悪いと、市内の大きな病院で検査。
悪いところが見つかり、貧血で血液も少なくなっている、と
入院となってしまいました。
点滴で栄養、輸血も続けなければ、、、
でも、おじいちゃんは、いつもと変わらずよくしゃべっています。
入院は、しばらく続きそうです。
チーママも、病院に通う日が続きます。子供達も、毎日寄っているんです。
今日は、おじいちゃんの誕生日!
毎年、可愛いケーキを届けていたけれど、残念ながら食べられず
代わりに、
みんなでおじいちゃんを囲んでいる大きな写真を飾ってあげました。お花もネ
足や背中をさすってあげると、喜びます。
おとといの明け方に帰ってきたパパちゃん、
清水に勝った~~と大喜び、8年めにしてレッズがあちらで!
お土産は、どちらも
団子は、あんこと黄な粉
お菓子は、パイ・ゴーフレット・クッキーの詰め合わせ やったね
義母は、それを「あやかりたい」と言っていたんですけれど、
5月になると、同じように入院して1週間後でした。
義母の場合は、すい臓ガンと分かったその日の入院だったんです。
冬に検査を受けた時には、何でもなかったって・・・
4年前の春、両方の実家で葬儀が続き、一時期かなりきつかったです。
それまで、パパちゃんも私も、身内から葬式を出したことがなかったのでーーー
まーにゃさんも、お辛い時期がありましたね。
>看病する人も大変、皆で助け合って、後悔しないで暮らせる事へと
そうありたいと思っています。
きのう、おじいちゃんのそばにいて、長女がちょっと貧血を起こして、、、
周りが倒れないようにしないとネ
必ず訪れる死・・・早いか、遅いか、長いか、短いか・・・
母は、ゆっくりと逝きました・・・
苦しかったのか、朝、目覚めると「まだ迎えは来んとな~」と自ら苦しさと、さよならをしたかったようです。
医者にどうかして!と聞いても、なす術無しでした。
父は、気丈で、親戚から「もう、駄目だ」と連絡がある度に、宮崎から鹿児島まで走りました。
到着すると、笑顔で「お~帰ってきたか~」と迎えていました。
それも、数回も・・・・
でも、最後は、病院に到着した時には、逝って間もなくだった様です。
いつかは迎える人生の大きなイベント「死」・・・
死を迎えるまでは、元気で人生を楽しみたいものですね~
健康で、元気が、一番です~~
20歳の時に父方の祖父が亡くなり、初めて死んだ人の冷たさを知りました。
初めて火葬に立ち合い、叔母の骨を拾った時も、ショックは大きかったです。
親しかった友人やサークルの仲間を亡くした時も、辛いものでした。
家族と同じように一緒に暮らした生き物だって・・・
そうやって、少しずつ自らの死に向かっていかなければならないんでしょうね。
SHOUさんのように考えられるのが1番だと思います。
悔いのないようにしたいです