おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

九戸城跡のスタンプ(2023年5月)

2023年06月03日 | ぺろちゃんのスタンプだいすき
ぺろちゃんでしゅ😊
こんちゃんと一緒に来た九戸城跡は、続日本100名城なんでしゅって~😃
こんちゃん石碑の上でスタンバイ中でしゅけど、ぼくちょっとスタンプ探ちに行っちゃいましゅ~😊

きっとここでしゅよ😌
エントランス広場にある九戸城ガイドハウスでしゅ😊

ぼく探ちてきましゅ~😌

ありまちたよ~😃

ペタコ~ン❗❗

本丸南堀跡のとこみたいでしゅね😌

続日本100名城スタンプの他に、記念スタンプとスタンプ用紙もありまちたぁ~😊
ペタコ~ン❗❗

国指定史跡 九戸城でしゅ😊
登城記念になりましゅね😌


九戸城跡・2(2023年5月)

2023年06月03日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんが、九戸城跡からお送りします😌
二ノ丸から本丸へ向かいます😃
本丸と二ノ丸を結ぶ入口は東側と南側の2か所あり、いずれも枡形虎口になっているそうです😊
東側の本丸追手門から入って行きます😃

本丸追手門は空堀で二ノ丸と隔てられた場所にあり、木橋が架かっていたと思われているそうです😌
現在の橋の上から見た堀跡です😊
きれいに整備されていますねぇ😌

橋を渡った場所に「本丸追手門跡」の石碑がありました😊
石垣があったように見えます😌

反対側にもありますねぇ😃

本丸跡です😊
九戸城落城後に蒲生氏郷により約100m四方の矩形、直線の近世的な郭に改修されているそうです😌

本丸から、九戸城ガイドハウスのあった、三ノ丸方向を眺めています😊
北面、西面は切岸状の断崖で三ノ丸と画されています😌
三ノ丸の向こうには、馬淵川が流れています😌
城は馬淵川右岸の河岸段丘上に位置し、馬淵川、白鳥川、猫淵川を外堀としているそうです😊

土塁が見えます😊
登れるようになっていたので行ってみました😃

土塁の上から東側、二ノ丸方向を眺めています😊
右手に本丸南側堀があり、石垣が残っているのが見えました😃
東北最古と言われており、会津若松城の天守部分に残存する天正期の石垣との類似性などから、蒲生氏郷による普請で、穴太衆という足軽も兼ねた石垣構築専門集団がいたと考えられているそうです😌

土塁の上から、もう一つの本丸と二ノ丸を結ぶ入口、本丸南虎口が見れました😊
ここからだと、枡形がよくわかりますね😃

「九戸城本丸跡」の石碑と、土塁の石垣です😃

本丸南虎口から二ノ丸へ出て来ました😊
名称は不明なんだそうです😌
土橋で本丸と二ノ丸を繋ぎ櫓を配し櫓門を構えていたことから城郭の中でも重要な虎口であったと推定されているそうです😌
1辺が約15m四方の枡形を呈し、本丸の出入口には櫓門の礎石が残っていたそうです😊
発掘調査などによって、九戸氏の時代にも同じ位置に虎口があったと推定されているそうです😌

「九戸城二ノ丸跡」の石碑です😊
二ノ丸跡とゆうにはちょっと端っこにありましたね😅

本丸南堀跡です😊
南面の石垣と北面の石垣の積み方が異なるそうです😲
北面石垣は横目地が通らないことから、在地系の職人によって築かれた可能性が指摘されているそうです😌
残っている石垣は隅石が失われ、V字に崩れていることから、寛永13年(1636年)の廃城時に破却された可能性があるそうです😞
確かに規模は違いますが佐賀県の名護屋城跡にあった破却跡とおんなじに見えました😌

二ノ丸南側に地形模型がありました😊
お城の形がよくわかります😃

二ノ丸を出て東へ行き、若狭館との間にある堀跡を歩きました😊
右手に見えているのが、若狭館跡です😌
九戸城時代の姿を残しているといわれているそうです😌

奥へ進んでゆくと、正面に石沢館跡が見えて来ました😊
この辺りも整備して園路を作る予定なのかもしれませんね😌

更に奥へ進むと、石沢館跡と二ノ丸跡の間の堀跡です😊
こちらから三ノ丸にある九戸城ガイドハウスへ戻れるみたいなのですが、現在は立入禁止になっていました😌

そして正面は二ノ丸搦手に繋がっていました😊
しかし現在はこちらも通り抜け出来ませんでした😌
なので今回のお城めぐりはここで終了となります😊

史跡指定当時は、本丸の大部分が農地となっており、二ノ丸の約半分は國分氏の宅地だったそうですが、土地買上により公有地化が進められ、平成元年から史跡環境整備事業による調査が実施されているそうです😊
現在はお城の遺構を残した素敵な史跡公園になっていました😃
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌

九戸城跡・1(2023年5月)

2023年06月03日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
三ノ丸跡の石碑の上から失礼します😌
今回ワタシが訪れたのは九戸城跡です😃
九戸氏が明応年間(1492年~1501年)に築城したといわれています😌
それでは始めましょう😊
こんちゃんのお城めぐり、第133回「九戸城跡」です😃

三ノ丸跡のエントランス広場に九戸城ガイドハウスがありました😊

九戸政実が城主の頃、豊臣秀吉による奥州仕置で、奥羽が混乱する中、三戸南部26代当主南部信直は、秀吉から本領を安堵されたそうです😌
一方奥州仕置や、信直に不満を持つ糠部の領主たちは、政実のもとに結集、天正19年(1591年)春、政実はついに蜂起したが、同年9月、秀吉がおくった再仕置軍に包囲され、政実は降伏し九戸城は落城したそうです😢
再仕置軍の蒲生氏郷が再普請して、信直に引き渡し、信直は南部氏の本城とし、名を福岡城と改めたそうです😌
その後、信直の子利直が盛岡城を築き、本城を移した後は、城代が置かれたそうですが、寛永13年(1636年)に廃城となったそうです😌

エントランス広場にある「史跡 九戸城跡」の石碑です😊
九戸城ガイドハウスで案内図やパンフレットを頂いてから、お城めぐりへ出発しました😌

正面に見えているのは、本丸や二ノ丸がある高台のようです😊
行ってみましょう😃
ワタシに付いてきて下さい❗タッタッタッ🐾

続日本100名城の幟です😊
本丸との間は、堀と土塁によって仕切られていて、本丸との比高差は約20mあるそうです😌

整備された園路を進んでゆくと、本丸西側の堀跡がありました😊

ウッドデッキ風の園路から見た堀跡です😊

二ノ丸跡の下で1度道路に出てしまいました😊
お城の外に出てしまったのかと思いましたら、なんと「深田堀」とゆう堀跡だったのです😲

道路横に「堀跡」の石碑がありました😊
現在道路になっているこの場所は、九戸城の二ノ丸と松ノ丸、在府小路(武家屋敷跡)を隔てる堀跡だったそうです😌
底での幅が60mもあり、日本の城跡でみられる堀跡としては最大級の立派なもので、城の時期によっては水堀であった可能性もあるそうです😊

深田堀の二ノ丸切岸です😃
二ノ丸南側の深田堀は、高低差が約10mあるそうですよ😊

この場所全体が、深田堀とゆう堀跡だったのですね😃
びっくりです😲

こちらが大手のようです😊
二ノ丸、本丸へはこちらから入って行きます😌

この先に二ノ丸大手があったみたいです😌
堀を挟んだ武家屋敷(在府小路遺跡)と土橋で繋がっていたそうです😊
二ノ丸大手は福岡城の普請時に改修したと推定されているそうです😌
平成30年度の調査によって、東西48m、南北5m以上の枡形虎口であることが判明したそうです😃
南から入ると土塁によって西へと進路を誘導され、虎口内を40m程度進むと北に折れ曲がり、本丸南東隅櫓付近で二ノ丸に入る構造になっていたそうです😊
想像してみましょう❗在りし日の、二ノ丸大手の姿を😌

現在の二ノ丸跡では、園児たちがピクニックをしていました😊
平和で良いですねぇ😌

二ノ丸搦手にある古碑群です😊
ローマ字の創始者田中舘愛橘の詩碑などがあるみたいです😌
左側が二ノ丸搦手でしたが通行止めになっていました😌

二ノ丸の東側に来ました😊
土塁跡のように見えますね😃

本丸の東面、南面は石垣をもつ堀と土塁で二ノ丸と画されているそうです😌
本丸側に見えているのは南東隅櫓跡です😌
本丸には他に、南西、北東と、3ヶ所に櫓を配していたそうです😊

堀跡との境を、人工的なフェンスではなく生け垣で仕切っているのが、とてもいいと思いました😊
素敵な整備の仕方ですね😃

次は本丸へ向かいます😌