落葉の積もる場所

- The way I was -
 

 就職活動  

2013年10月08日 | WEBLOG















この時期になると いつも思い出してしまいます。













           




















                  もう30年以上も前のことです。












































9月初旬、 相変わらず就職というものに焦らない私の姿がありました。





私は9月30日卒業だというのに、就職の目途がまったく立っていませんでした。





9月の頭からは もう学校に行く義務もありませんでした。











そして、卒業式もボイコットしたのです。




2年も落第してる男が、偉そうに。















さすがに、これではヤバイ…





               何のために国立高専を出してもらったのか。

































こうして10月に入り、ようやく就職活動を始めたのです。






























ひとつめは広島に近いうち建設される大ホテル(今も健在)。





田舎者がアポも無く、市内の開業準備室に入って行き 履歴書を手渡しました。






           「商船学校か、 面白いね」





担当者は履歴書を机の上に投げるや否や、




           「君が必要だと判断したらまた連絡するよ」











父の薦めで履歴書は書いたものの、明らかに「何をしに来たんだ?」という態度。




担当者の表情がそう物語っていました。











  立派な高層ホテル、、たまたま無人の時に崩壊すればいいのに… (逆恨み)

















































翌日は瀬戸内の客船会社です。







こちらはもっとひどかった。





アポを取らない私が悪かったのですが、 履歴書の受け取りさえ拒まれました。




                             当たり前ですけど。











今も存続してるこの会社、





          船が無人のまま沈没すればいいのに、と願う私は大うつけ者です。











































学校の就職あっせん書にも目を通しました。





そこで目に止まったのが ”U” という船会社でした。














内航タンカーでは国内第1位。



仕事内容は配船事務および営業。










    そして 勤務地は高層ビルとして有名だった「東京霞ヶ関ビル」










         












         これだ、 と 勝手に決め付けた私は履歴書を郵送しました。














そして、2日に1度、 矢のような催促電話を掛けました。






               いま、やれと言われても絶対に不可能な行動でした。






























10月中旬、



     私の熱意(?)が実を結び、 東京での採用試験が決まりました。














もちろん、付け焼刃での勉強(内航タンカー、国内外石油メジャー等の知識)




                            は、怠りませんでした。





















そして、



  霞ヶ関ビルで、3科目の試験 および



      当時の副社長(現会長)、人事部長を相手の面接が始まったのです。

















私の印象では、



     副社長  = 田舎者だけど、ピュアな男で何かをやってくれそうだ


     人事部長 = なぜ面接までするんだ、こんなバカ野郎



                              という結果でした。






































そして 4日後、



                まさかの 「採用」通知が来たのです。



















































私は心から感謝しています。




    そこは、いま流行りの「ブラック」の真逆、 「ホワイト企業」でした。































































人生は、どこで なにがあるか 最後までわからない。








        

                    だからこそ、 生きていられるのでしょう。