落葉の積もる場所

- The way I was -
 

新アドレス!  

2011年02月12日 | WEBLOG
           










皆さまに公募していた携帯の新アドレス、





長い間迷っていましたが、 ようやく決めました!!





























本日 ここに発表いたします!





























                









































PLeaSe CLiCK HeRe !




 









                   

トミーさんの軟式ボール 終章

2011年02月09日 | WEBLOG
                  






































バスの車内。
















知的障害を持った男性の降りるべき停留所にバスが到着するようです。










































前方の席に座っていた女性客たちも降りるのでしょう、  



その女性が降車ボタンを押すと、 



知的障害の男性は、狭い座席から時間を掛けて立ち上がり、



下車する人たちの後を追うように、 バスの通路をゆっくりゆっくり歩いて行きます。

















































その停留所で降りる客たちが全て下車した後も、 





ゆっくりと降車ドアに向かって  少しずつ歩き続けます。





















































もしも、  運転手さんが男性に気がつかず、 



ドアを閉めて発車しそうになったら、



あらん限りの大声を出そう。






















         「まだ降りる人がいますよ!」





















そう心に決めて、男性の動きを注視する私。





















































幸い、運転手さんはミラーをしっかりと見ていて、 男性がここで降りることを認識していました。
























































無事、男性がバスを降り、 歩道を歩き出すのを見届けると、



私は思わず 心の中で囁きました。





























              「お互い がんばりましょう」




























































































































































































今、 トミーさんが、どこで何をされているのか 私には見当もつきません。


























幼なじみだったナカタニくんは、 高校生のときに重い鬱病を患いました。

























同じく幼なじみで、 活発だったコーイチくんは公務員になったそうです。































そして、 






コーイチくんの弟で、 兄に促されて トミーさんを三角ベースに誘い入れたセージくんは、




高校を卒業後、 就職して初めて迎えた冬のある朝の出勤途中、




凍った池に車ごと突っ込んで亡くなった、  と 母づてに聞きました。
































































障害者に対しても、 健常者に対しても、








神のいたずらは、いつでも底意地が悪くて、 








私たちに悲しみばかりをもたらす気がしてなりません。
















































































































私が子どもだった頃と比べると、










   「知恵遅れ」 は 「知的障害者」 に




   「つんぼ」 は 「聴覚障害者」 に




   「かたわ」 は 「身体障害者」 へと



















その呼称こそ変わったものの、







本当の意味で 障害を持つ人たちが生きやすい社会が実現しているとは言い難いものがあります。











































































自分に出来ることは何なのか、 しっかり考えて しっかり行動すること。









それが、


トミーさんと トミーさんの軟式ボールから 私へ与えられたテーマだと思っています。






















































































































































こんなにだらだらした長文に最後までお付き合いいただき、 本当にありがとうございました。














この話は、以前のブログ「CGCG日記」の頃から、 いつか書かなければ…と思いながら、




その都度躊躇して、 後回しにしていたものです。


















いよいよブログの継続が怪しくなってきたので、 一生懸命書きました。




















いささか散文的になっているのは、意図して行ったものです。




















情緒一辺倒に走ってしまわぬよう、 自分の感情は極力抑えこんだつもりです。





















































































































この世界から 「しかたがないこと」 が、少しでも減るよう、





半世紀を生かさせてもらった人間として、 微力ながら、出来る限りのことをしていくつもりです。









































































                 













                                  

トミーさんの軟式ボール 3

2011年02月08日 | WEBLOG
   












トミーさんが三球三振を喰らい、壁にバットを投げつけた日から数日後。






彼の姿は中央公園から消えてしまいました。     

















ばったりと。





















































私たちは、 トミーさん どうしちゃったんだろう? と心配していましたが、



来る日も 来る日も トミーさんはその姿を見せてくれません。






































トミーさんは、 軟式ボールを 投球の的にしていた壁の下の地面に置いたまま帰宅するのが常でした。



















トミーさんは現れないのに、 彼のボールだけが 公園の端っこで寂しくたたずんでいました。
 
























「ボールを置いたままじゃけん、また来るよね、 トミーさん…」




























私たちには 待つことしか出来なかったのです。

























































































大声をあげながらバットを投げたトミーさんの姿を偶然見ていた近所のおばさんが町内の家々を回り、




     「あの子は危険だから、公園に来ないようにせんといけん」




と、 数人のおばさんを引き連れて、トミーさんの自宅へ談判しに行った。






























その情報をもたらしてくれたのは、ナカタニくんのお母さんでした。























































公園での三角ベースの合間に、子どもたちは話し合いました。







「みんな、 それぞれの母ちゃんに説明しようやぁ、 トミーさんは悪気がなかったんじゃゆうて」





































































公園から帰宅した私は、 台所にいた母親に尋ねました。




トミーさんのことで、 誰か 家に来たのか と。






































母は、「知恵遅れの子がバットを振り回して暴れたんじゃろ?」 と、冷めた声で答えました。














「違うんよ! 



   トミーさんは三振した自分に腹立てて 壁に向かってバットを投げてしもうただけなんじゃ」














































しかし母は続けます。













「あんたらに当たったら大怪我するところじゃったろ? ああいう子とは一緒に遊んだらいけんのよ!」










































「なんでー? トミーさんは優しい人なんよ、 知恵遅れじゃけど、ええ人なんよ」












































涙ぐみながら、状況を打破しようとしつこく食い下がる私に 止めをさすかのように、







母は言い放ちました。


































       「世の中には、 しかたない事が一杯あるんじゃけん」












































































自室に戻った私は、机に突っ伏したまま 溢れ出る涙を止めることができませんでした。























































        ピッチャー、 第1球を投げました


























        ピッチャー、 第1球を投げました



























        ピッチャー、 第1球を投げました



























        ピッチャー、 第1球を投げました

























































きっと トミーさんは・・・










健常者である私たちと遊ぶことを 彼の親から禁じられていたのでしょう











遠慮していたから、 自分から三角ベースに入って来ようとしなかったのでしょう












































































        ピッチャー、 第1球を投げました



























































孤独なトミーさんの思いが、  諦めが、
















彼のつぶやきとともに 私の頭の中で ぐるぐると回り続けました。




























静かに

















いつまでも。


















































































































































































その後、 トミーさんが中央公園に姿を現すことは二度となく、









私たちの間で、 トミーさんが話題になることも徐々に減っていき、






































さらに 1年後、 私は三原市内の最東端の町へ引っ越したので、






本町の中央公園へ行くこともなくなってしまい、 






通う小学校が違う、ナカタニくんやコージくんセージくん兄弟たちとも 縁が切れました。





















































































公園に置かれたままだった トミーさんの軟式ボールがどうなったのか、








                   私にはそれを知る由もありませんでした。





































































                     

トミーさんの軟式ボール 2

2011年02月07日 | WEBLOG
                        












その日、 私の幼なじみで、活発な性格だったコーイチくんが、みんなに声を掛けました。











     「トミーさんを三角ベースに誘おうやー!」




































私たちはまったく躊躇することなく コーイチくんの提案に賛同しました。






トミーさんが、野球を大好きだと、みんなが知っていたからです。




































コーイチくんに命じられて、彼の弟のセージくんがトミーさんのところに走り寄り、



「一緒にやろうよ」と誘うと、



トミーさんは、    うん、  うん    と微笑んで、 私たちのところへやって来ました。







































トミーさん!   ピッチャーする?  バッターする?












コーイチくんに問われたトミーさんは、 迷わず 「バッター」 と答え、



子どもたちの共有物である、古い木製バットを手に取りました。











































相手ピッチャーは、 ときどき隣町から遊びに来ていた小学校6年生の男の子。









いつも速い球で私たちを翻弄する憎いヤツでした。













しかし、 その日、彼がトミーさんに投げたのは、 山なりの緩いボールばかり。












きっと、 「トミーさん、 打って!」 という思いがこめられていたはずです。




































残念ながら、トミーさんの構えは 生まれて初めてバットを持ったのか?






と見えるような、 不格好極まりないものでした。


































いえ、  きっと、 本当に生まれて初めてのバッターボックスだったのでしょう。




































1球目、         2球目、             そして  3球目。



























トミーさんが強振したバットと、 ボールの間には  30センチ以上の距離があり、







彼は 絵に描いたような 見事な三球三振を喫してしまったのです。





















































      うううううぅぅぅ!

































きっと、自分への苛立ちだったのだと思います。








































トミーさんは、 大きな唸り声を上げると同時に、








手にしていたバットを 公園の壁に 思いっ切り投げつけました。












































子どもたちが共有していた中古の木製バットは、 グリップを境目にして二つに折れてしまいました。























































静まりかえる私たち。












































黙ったまま、 踵を返して、いつもの 自分の「マウンド」へと戻っていくトミーさん。













































































再び、 壁に向かって つぶやきながら投球を始めたトミーさんは、



私たちを振り返ることなく、 自分の世界へと帰って行ったのです。






























































その日、バットが使い物にならなくなったので、 私たちは三角ベースの続行を諦め、解散しました。



















自宅に古いバットがあると言うナカタニくんが、 翌日それを持って来ることを確認して。


































































































次の日、 約束どおり ナカタニくんがバットを持って来ると、 






再びいつもの三角ベースが始まりました。






































やがて、   トミーさんもふらっと現れ、 いつもの一人マウンドも始まりました。





































ごく 普通に ・・




























                          
まるで、  昨日、 何もなかったかのように ・・・ 





     






                                                        

トミーさんの軟式ボール 1

2011年02月06日 | WEBLOG
                           









昭和40年代初めの頃のお話です。
































広島県東部の田舎町・三原市。





海があり、 山があり、 農林水産業や工業が盛んで、 当時は、商店街にも活気が溢れていました。




ここが 私の「故郷」です。

















私はこの三原で、 誕生から14歳までという 多感な時期を過ごしました。











私にとって、基本的な人格が形作られた、 大切な場所です。









































私の自宅は、 この三原市の本町というところにありました。








小さな山の中腹にへばりつくように 家々が適度な間隔を空けて、立っている住宅街でした。



























ご近所には、外国航路の船長さんや 三原郵便局長、 タクシー会社の社長さんなどの邸宅があり、



ちょっとした 「山の手」 の雰囲気を醸し出してはいましたが、



私の家のように、警察官、 



   他にも 税務署員、国鉄職員など、 公務員や普通の会社員も住んでいたので、 



決して『高級住宅地』などというところではありませんでした。


















































住宅街の真ん中に、 三原中央公園という 子ども向けの憩いの広場がありました。







公園の半分は、グラウンド、  もう半分は、簡易なジャングルジムや滑り台がある芝敷きの広場。















グラウンドとは名ばかりで、 一辺が30mもないような狭あいなスペースだったので、



まさに 「猫の額」という表現がピッタリの広場でした。





























そのグラウンドでは、 近隣の 幼稚園児~小学校5・6年生あたりの年代の男の子たちが集い、



野球遊びに興じるのがいつもの光景でした。



























野球とは言っても、 小さなスペースで、 しかも幼い子どもたちも交じっていたので、


「三角ベース」という、特殊なルールが採用されていました。




















普通の野球では、 本塁 → 一塁 → 二塁 → 三塁 という四角形が形成されていますが、



三角ベースは、 本塁 → 一塁 → 三塁 という3つのベースで構成されています。





















特に、人数が10名前後しか集まらない放課後では、有効なスペース活用でもあったわけです。











































































































私が、小学校の4年生だったある日。

















私の幼稚園時代の同級生・ナカタニくん、 同じくコーイチくんとその弟・セージくん・・・、











その他、 名前すら知らない 近隣の町内会に住む男の子たちを含めて、 計12名ほどで、




いつもの三角ベースが始まりました。






























































































































トミーさん。
















おそらく、苗字が 富田さん とか 富岡さん とかだったのでしょう。



トミさん と、呼ぶ子もいれば、  私のように トミーさん と、呼ぶ子もいました。
























トミーさんは、 私たちが、賑やかに三角ベースに興じている時、 



いつも壁に向かって ひとりで 何かをつぶやきながら 軟式ボールを投げ続けていました。


































トミーさんは、 その当時 中学生か、 あるいは高校生だったはずです。
















今なお、 彼の大きな体躯が印象に残っています。











































そして、 彼は  「知恵おくれ」  でした。





























































私は、 近所で ただひとり国立の小学校へ通っていたので、


他のみんなが通う市立小学校にある「特殊学級」のことはよくわかりませんでしたが、


幼稚園からの幼なじみである コーイチくんと彼の弟のセージくん、 ナカタニくんたちから、


「トミーさんって、特殊学級の子じゃったんよ。  特殊学級は知恵おくれの教室なんじゃ」


と、教わっていました。





















































トミーさんは、 私たちが遊ぶ三角ベースには目もくれず、






  
      - おそらく遠慮していたのでしょう -







その日も いつものように 三角ベースのセンター方向あたりで、 


ひとり、壁に向かい、 軟式ボールを投げていました。





































私たちの打球が、トミーさんを直撃したことも幾度かありました。









「怒るとすげー怖いらしい」という噂がありましたが、


トミーさんは打球が体に当たっても、 ニコニコしながら そのボールを返してくれる優しい人でした。

















そして、 また壁に向かって、 何かをつぶやきながら、軟式ボールを投げ始めるのです。
































































そのトミーさんのつぶやきの内容は、 傍で聞き耳を立てた子によって みんなに明かされました。








































「ピッチャー、 第1球を ・・・  投げました」


























「ピッチャー、 第1球を ・・・  投げました」


























「ピッチャー、 第1球を ・・・  投げました」







































プロ野球の実況中継を模して、  彼は 延々と 「第1球」 を投げ続けていたのです。




































おそらくは叶わぬであろう、 プロ野球投手になる夢を見ながら、投げ続けていたのかもしれません。











































遠くにいると、  ウー ウー としか聴こえない、 ひとりぽっちの実況中継。